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我慢の果てに掴めるものは

こんにちは。
株式会社プロタゴワークスあかねです。

「給料は我慢料だから、とにかく嫌なコトだろうがやりたくないことだろうが仕事だからやりますよ俺は」

他社の組織開発に関わらせてもらい、他社の社員さんの話を聞かせてもらう機会が多いと、こんな話をしてくれる人に時々出会います。

こういう話を聞くと、僕はいつも昔の自分を思い出します。

その頃の自分は「給料は我慢料」という言葉を聞いた事が無かったはずなのに、実感としてはまさに「嫌なコトやりたくないコトを我慢してやるのが仕事だ」と明確に思っていました。

何しろ、その頃の僕にとっての仕事は「生活するためのお金を稼ぐための手段」だと思っていましたし、自分のやりたいコトと何らかの仕事がリンクすることはありませんでした。

今から考えると「考えるまでも無く当たり前の話」ではあるんですが、仕事を探す時にはいつも決まって「できるだけ楽して、できるだけたくさんお金がもらえる仕事は無いだろうか?」ということし考えていなかったので、そりゃあ「給料は我慢料」という状態になってしまうのは必然でした。

そもそもその当時の僕は、仕事におけるスキルも経験も知識も何もかもがありませんでしたが、それらの無さに反比例して職歴の多さは他の誰よりも多いような状態でした。

その当時、「仕事という側面」から見た僕をリアルで知る人達からはほぼ全ての人に将来を心配されていました。「お前、マジでヤバイな。こんなんでこの先大丈夫?何考えてるの?」なんて言葉は心底聞き飽きる程聞いてきましたし、その後に続く「説教」だったり「ダメ出し」だったりもたくさん聞いてきました。

そんな話をしてくれた人達には共通点がありました。
その中でも最大の共通点としてあったのはこういうところでした。

僕がその選択をするにあたって「何をどんな風に考えているのか」や「今の自分自信の気持ち」や「自分のこの先に対する気持ち」を一切聞いてくれないし、仮に僕の言い分を話す時間があったとしてもその全てに対して否定をしてくる、というところでした。

もちろん、その当時の僕に対して話をしてくれていた人達はきっと僕のことを心配してくれていたんじゃないかな?とは思ってもいますが、それと同時に「心配してくれる人は、あんなにアドバイスやダメ出しなどの否定をするもんなんだろうか?」ということも思っていました。もちろん、今の僕のように言語化して考えることは出来ていなかったとは思うので「今から考えてみるとそう感じていたような気がする」というくらいのことではありますが。

そんなことも含めつつ、あの当時を今の自分が振り返ってみると、当時の僕も僕に何かを話してくれた数々の人達も全員が「キャリア」についての知識は一切無い状態で、その人個人の体験からの話をしてくれていましたし、もちろん僕も自分の体験と周囲の人達から聞いた話くらいしか「考える材料」が無い状態でした。
そして、当然ながら「対話」なんてモノも誰も知りませんし、こんな話をする状況と言えば基本的には1対1の状況なので、お互いに「自分の経験」しか材料が無い中で「ぼくのかんがえるさいきょうのキャリア論」をただぶつけ合ってるだけの状態でした。

こうやって振り返って考えてみると「まあ、ああいう風になるしかなかったんだろうなぁ」と思えてきますし、あの当時僕にアドバイス(?)をしてくれたたくさんの人達に悪気は無かったんだろうなと思うこともできますし、何よりも、あの当時の自分自身の「ダメさ・しょうもなさ・くだらなさ」を思い出すとともに、あの当時の自分の中に渦巻いていた「状況が全く良くなっていかないことに対する焦り」とか「自分で考えて行動すればするほど泥沼化していくやりきれなさ」とか「どうして自分ばかりこんな目に遭うのか?という納得のいかなさ」などの負の感情を思い出すと、「あの当時、今の自分みたいな人が近くにいてくれたら少しは違ったんじゃないかなぁ」なんてことを思うんです。

そんな思いが僕の中にあるからなのか、冒頭のように「給料は我慢料なんで」という話をしてくれる人に出会った時には、その人の中に「どんな思いがあるのか?」を(可能であれば)聞かせてもらうようにしています。

負の感情を抱えたまま仕事をしていたあの頃、生活していても仕事をしていても「自分自身の成長を感じることも無い」し、「仕事に対する“やりがい”は無理やりに「これがやりがいなんだろう」と自分の中で決めなければ感じることも無い」し、そもそも「自分自身の未来について希望を持つことも無い」という状態でした。

もちろん、当時の僕と同じような話をしているからと言って、当時の僕と同じようなことを考えているというわけでもないでしょうが、それでも、もしかしたら「昔の自分」のような人もいるかもしれないとは思っていますし、実際にこれまでに何人にも「同じようなことを感じていた人達」にも合っています。

そういうモノが僕の中にはあるので、「あの頃の自分みたいな人を増やしたくない・あの頃の自分みたいな人がいたら“キャリアの専門家”として適切なサポートを提供したい」と常に思っています。

「給料は我慢料」

そう思っていたあの頃の自分にも、今現在そう思っているウチが関わらせてもらう他社の社員さんにも、「仕事をするということが、我慢する代わりに給料をもらうことではなくて、自分で自分の行動をマネジメントして成果を挙げた報酬として稼ぎ出すモノになることの楽しさ」を少しでも知ってもらえたらいいなぁと思っています。

それを、自分自身の手によって変化させることができたら、仕事だけじゃなく自分の人生すらも自分でマネジメントしていくことで、ずいぶんと生きやすくなるし楽しくなるってことを知ってもらいたいんです。

あんなに嫌な思いをしてグチャグチャな感情に塗れていた長い長い時間も、今となっては「あの時期が無ければ今は無かった」と断言できるわけですが、「いい思い出」になんて全くなりません。本当に「嫌な思い出」ばっかりです。

だけど、あの頃の嫌な思いだったり自分自身のクソ駄目さ加減が、今の仕事では「他の誰も手にすることの出来ない自分だけのオリジナルな矛と盾」になっているのを実感しています。

立派な経歴も輝かしい経験も一切無いことがこれだけ役に立つだなんて、あの当時の自分には一切全く想像すらもしていませんでしたが、こんな自分のあんな体験が、今は「どこかの誰かの役に立つこと」に還元できているんだから人生は何があるか全くわかりません。

とは言え、人生をやり直せるとしたら絶対に同じ経験はしたくないですし、他の人にもおすすめはできませんが、それでもまあ誰かの役に立つことに使えているんだから、そういう意味ではとりあえずのところは「いい経験だった」と言えなくも無いのかもしれません。



あかね

株式会社プロタゴワークス

https://www.protagoworks.com/

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