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この熱源を利用して

こんにちは。
株式会社プロタゴワークスあかねです。

新しいことについて学び始めてみると常に「自分て本当に何も知らずに生きてきたんだなぁ」という現実にぶち当たります。

随分前からこのことを自覚できるようになってからは、何も知らない分野についての学び始めは、“子ども向け”と銘打たれたモノや漫画を多用しているモノやイラストが多用されているような、なるべく読み進めやすそうな本からスタートすることにしています。

何しろ自分自身が“その分野”については無知なので、そういう如何にも「初学者向けです」というような本以外はパラパラと捲って目を通してみたところで、そこに書かれている内容がどの程度「わかりやすい」のかの判断もつきませんし、その内容が“その分野”の全体から見た時にどれいくらいの範囲について触れているのか、どのくらいの粒度で書かれているのかを判断することもできません。

それを強く自覚しているからこそ“子ども向け”とか漫画やイラストが多用されているような本から入ってまずは“その分野”の全体像をボンヤリとでも把握できるようになることを目指します。

今はちょうど“その分野”についてそんなことをやっている段階なんですが、これがなかなかスムーズに進みません。

そもそもが“その分野”については、苦手意識が強く、これまでにずっと避け続けてきたところなので、「自分の興味関心が内側から湧いてくる」というような状態ではありません。

とにかくただ「これから確実に必要になるから絶対に学んでおかないといけないだろう」ということだけでやり始めている状態なので、学びを進める中で“飲み込みにくさ”というモノを強く感じる瞬間が多々あります。

それを感じる度に「ああ疲れた」とか「もうこれ以上やりたくないなぁ」なんて思います。

でも同時に「これを知って理解しなければここから先に進めないんだからやるしかねーだろが!」と肚の底から熱いモノがこみ上げてくる感覚があります。

どうしてそんな熱いモノを感じるんだろうか?と考えてみると、もしかしたらこんなことがあるんじゃないかと思っています。

それは、“世の中の仕組み”という分野であると同時に、世の中の多くの人が僕と同じように「理解しているようでいて、実はあまり理解していないままその仕組みに乗っかって流されているけれども、一部の人は深く理解していて使いこなしてさえいる」ようなモノだというところからスタートしているんじゃないだろうか。

そして、これまでの自分は“その分野”について「センスとか才能の問題なんだろうな」という風に考えてしまっていました。“その分野”について何の知識も無いにもかかわらず。

これは例えば「自分たちが日々使用している“母国語”と同じような認識なのかもしれない」と感じています。

“母国語”は、「よし覚えるぞ」と思っていないけれどもいつの間にか他者と会話ができるようになっています。
そうやっていつの間にか身に付けていた“母国語”を使うと、それほど労せず他者と会話ができるから「話が通じている」という感覚を持つことができます。
「話が通じている」という感覚を持つことができるから「意志の疎通ができている」と思い込んでしまいます。
「意志の疎通ができている」と思い込んでしまうから、実際に意志の疎通ができているのかどうかを確認しないままにしてしまって“防げたはずのミスやアクシデント”に見舞われて“人間関係のトラブル”が発生してしまう。
そうして、発生してしまった“人間関係トラブル”という“結果”だけを切り取って“コミュニケーション能力の問題”ということにしてみたり“空気を読む能力の問題”にしてみたり“好き嫌いの問題”にしてみたり、なんてことが起きているわけです。

でも実際には、「話が通じているかどうか」や「意志の疎通ができたのかどうか」を確認するような関りをお互いにずっとしていたとすると、ミスやアクシデントや人間関係トラブルの大半は起きる前に防げたはずですし回避できたのかもしれません。

そうやってミスやアクシデントや人間関係トラブルを防ぎ回避するために必要なのは“生まれ持ったコミュニケーション能力”なんてことではなくて、本当は“正しい知識”を得て“正しく使う”ための“適切なトレーニング”と“心理的な柔軟性”が必要なだけだったりするわけです。

だけどもう既にナチュラルに使いこなせている“つもり”の“母国語”について、できている“つもり”の会話やコミュニケーションについて、今更“正しい知識”を学んで“適切なトレーニング”をして“心理的な柔軟性”を発揮するなんてことは、めんどうだと感じるでしょうしそのための時間を捻出するのも大変だし必要性も重要性も感じることはほとんど無いからこそ、未だに様々な組織の中で“人間関係トラブル”がそこかしこで起き続けているのかもしれません。

これまでは「ナチュラルに身に付けた“つもり”のモノ」を使って暮らししている中で起きる“うまくいかないこと”に直面すると、「能力/センス/才能が無かった」ということにしてしまってきた部分だけど、実際には「正しい知識・適切なトレーニングが無かった」ということだったとあらためて認識できました。

まさにこれと同じ構造が、今僕が学びはじめている“その分野”についても言えるんだろうと思っています。

正しい知識と使い方を学んで“適切なトレーニング=現実世界での実践”をする。

これを繰り返していくことで、「今まで“うまくいかなかったこと”が、今までよりも“うまくいく”ことになる」というのは、“仕事”をはじめとして、これまでの人生で経験してきた様々なモノゴトでも体感できているので「間違いなくそうなる」という確信を持って進んで行くことができています。

そういう構造だからこそ「何とかしないといけないし、やれば何とかなるんじゃないのか?だから四の五の言わずにやるんだよ!」と自分に言い聞かせる自分が内側の奥の方からやってくるのかもしれません。

あとはこれを継続していくだけですが、ひとまずは今この瞬間の燃えに燃えている情熱のまましばらく突っ走っていこうと思っています。

真っ赤に燃える熱い春になりそうです。



あかね

株式会社プロタゴワークス

https://www.protagoworks.com/

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