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わからなくなったって無問題

こんにちは。
株式会社プロタゴワークスあかねです。

「なんだか、今の状態がよくわからなくなってきました」

仲間の口から突然こんな話が出てきて、とってもびっくりしましたしとっても焦りました。

何しろ、僕から見た時のウチの仲間は、ウチの会社の守護神的存在でありつつ主砲としての存在感も抜群なので、野球で言えば“二刀流の使い手”、いや、走攻守揃ったスーパースターだと思っています。

そんな仲間におんぶにだっこ状態の僕からしたら、冒頭のような言葉を仲間の口から聞いた日には、そりゃ焦ろうってなもんでしょう。

でも、仲間がわざわざそんな話を僕にしてくれている状況で、話を聴いている僕がそんな焦りを表に出してもいいことは何一つありません。

努めて冷静なフリをしながら何の話なのかを聞いてから、「どうしてそう思っているのか?」を聞かせてもらいました。

聞いてみると、どうやら今関わらせてもらっている、とある企業での組織開発プロジェクトの進捗についての話のようでした。

僕からすると、特に“よくわからない状態”になっているような感じ”はしていなかったので、「どうしてそう思っているのか?」の部分についてたくさん話を聴いてみました。

そうして色んな話をしてくれたんですが、それらの話を並べて見ていくとどうやら「自分がイメージしていたような進み方をしておらず、自分の想定とはだいぶ離れていっているように感じている(意訳)」というような話でした。

なるほど、そう言われてみると仲間が当初イメージしていて僕と共有していたようなところからはだいぶ離れているのは間違いありませんし、ここまで進んできたモノを“当初のイメージ”に近づけていこうとすると確かに「ちょっとどうやって近づけていったらいいのかイメージがわかない」というのは間違いありません。

ただ、仲間と僕が“当初思い描いていたイメージ”というのは、あくまでも「理論から考えると目指すべき姿である」のは間違いありませんが、じゃあ僕と仲間が参照していた理論だけで、その企業の組織開発プロジェクトを前進させることができたのかと言えば、はっきり言うと「それは、絶対に無理でした」と僕も仲間も即答できる状態だったことは動かしがたい事実です。

そんな“当初の状態”を思い返してみたうえで“現状”と比較してみると、誰がどう客観的に見ても「以前より格段に働きやすくなっている」のは間違いありませんし、実際にその企業の社員さんの声としても挙がってきているし、何しろ社内での揉め事やトラブルが起きなくなったし、プロジェクトに参加してくれている社員さん達が以前とは比較にならないくらいアイデアを考えて発言してくれるようになっています。この状態だと、外部から関わらせてもらっている当事者の僕が“謙遜”をしてしまうと、その企業のみなさんに対して“随分と失礼な状態”になってしまうんだろうなと思っています。

そんな状態になっているわけですが、仲間が“当初思い描いていたイメージ”とは確かに随分と違う状態ではあります。

そんなことを、仲間と話しながら一緒に確認していきながら、こんな“問い”を投げかけてみました。

「“当初のイメージ通りに進むこと”と、企業の経営者と社員の人達が“働きやすくなった実感を持てること”だと、どっちの方が“役に立つこと”なんですかね?」

そう問いかけてみたら、すぐに気付いたようでした。

「“役に立つこと”をする」

僕たちの仕事で重要なのはこれだけです。

それが例え“当初思い描いていたイメージ”とは全然違うモノだったとしても、その企業で働く人達にとって“役に立つこと”なのであれば何の問題もないわけです。

何しろ、プロジェクトが始まる前に「何をどれだけイメージしていた」んだとしても、始まってみたら“その人達の現実”の方が圧倒的に重要なわけです。
もちろん、僕も仲間も“当初思い描いていたイメージ”は適当に形作ったわけではありません。“その時点”で手に入れることができたありとあらゆる材料を使って、僕たちの経験で培った能力を全部使って作ったモノですから、正直に言えば“その時点”ではMAXの自信作に決まっています。
そうやって、どれだけ苦心惨憺の末に創り出した物であっても、それはあくまでも“その時点”までの材料だけしか無かった状態で出来たモノです。
そこから時間が流れていけば、僕らが関わらせてもらう場は「仕事をする場”なので、当然ながらその時々で“現実”はどんどん変化していきます。
つまり、“当初の時点”から“現時点”までの間にまたもや材料は増えに増えまくっているわけです。
そうして修正を加えながら常にその時点における最も“役に立つこと”を考えて関わっていくわけですが、そうしているうちにいつの間にやら“当初思い描いていたイメージ”からはずいぶんと遠くまで来てしまうことは当然あるわけです。

もちろん、仲間もこのプロジェクトにはずっと関わっているので、ここまでの経過も知っているわけですが、僕みたいに“いい加減”な人間じゃないので、プロジェクトがスタートした時のことや、重要な転換点での出来事や経過をかなりしっかり覚えてくれているわけです(この辺りが僕とは全然違う“走攻守揃っているところ”です)。そうであるからこそ、プロジェクトが進む中で、想定外の方向に「パチン」と跳ねたような瞬間があると「どこにいった?」的に見失う瞬間が出てきたりするわけです。

そこへいくと僕の場合は、細かい部分を覚えておくことができないので(全く自慢できるようなことではありません)、あくまでも“全体観”で眺めて本質的な部分だけを押さえておくことしかできませんので、“当初思い描いていたイメージ”とか「こうしてこうしてこうなって」的な筋書きはあまり思い出すこともできず、ただただ、「このプロジェクトの目的から考えて“役に立つこと”になっているかどうか」しか見ることができません。

そんなわけで、珍しくウチの仲間が少し混乱するような瞬間に遭遇しましたが、僕から言わせてもらえば「自分は、常に混乱しているようなものですから、その程度の混乱じゃまだまだですよ!」とマウンティングしたいくらいです。

まあでも、こんなことがあるとつくづく思うんです。二刀流どころか“走攻守”揃った三刀流の仲間と、それらを全て持ち合わせていない無刀流の自分とが組んで仕事をしているからこそ、二人の強みと弱みが極端に出ていても、お互いでカバーできるもんなんだよなぁ、ってことを。

とは言え、冷静に眺めてみると僕が仲間に助けてもらっている割合が圧倒的に高いので(9:1くらい?)フェアとは言い難い気がしていますので、もう少し自分にできることが何か他にも無いもんかと一生懸命探してみようと思っています(が、結局は大抵のことが足手まといになりかねないので、邪魔だけはしないように心がけて大人しくしているが吉なのかもしれません)。



あかね

株式会社プロタゴワークス

https://www.protagoworks.com/

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