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プリテンダーじゃあ終わらない

こんにちは。
株式会社プロタゴワークスあかねです。

どんな人の人生でも、どこか一部を切り取って少しの加工を加えれば「キラキラ感」を演出する事ができるのかもしれない。そんな事を思いました。

今日は土曜日。
僕は、朝一でジムに行き、ここのところ計画的に実施しているウエイトトレーニングをやった後に、必ず行っているHIITをやってきました。
土曜日の朝からこんなメニューをこなして、その後に色んな用事を片付けていると、ホントに充実感が凄くて、「一日を充実して過ごしているな」って自己肯定感が高まるのを感じるんですよね。

しかも、昨日は、仕事帰りになんとか時間をやりくりして短時間ではありますが、趣味で通っている柔術道場に行って楽しく汗を流してきました。その楽しさとは、トレーニングの楽しさは全く別な感じもしますが、どっちも今の僕には「欠かせないなあ」なんて感じています。

ここのところ、平日はアルコールを一切摂らないような生活をしているので、週末は身も心も緩めるべく、自分へのご褒美として少しだけ美味しいお酒を飲むことにしています。
今日は、楽しみにしていた“つまみ”を、文字通りつまみながら飲むお酒の格別さが身に染みて、張り詰める平日と緩める休日のコントラストがとても心地良い感じです。

そんな一日を過ごして、現在午後9時を回った時点で、良い感じの疲労感と眠気があいまってきて、このnoteを書き終えたら、ほんの少しだけ本を読んで寝ようかな、なんて考えています。そんな、とても良い週末の休みでした。


なんて事を書けば、概ね、嘘では無い今日の僕の一日であり、かつ、ちょっとだけ“暮らしの中のキラつき感”を醸し出せるような感じになるのかなあ、なんて思うんです。

でも、実態は全然違います。概ね一緒なのに、全然違うんです。

そもそも、今やっているジム通いや道場通いも、ここ数ヶ月の「デブり過ぎ」に端を発していますし、その“ダイエット計画”が始まったのはまだほんの数日前の6月上旬の事なわけです。

そこからなので、今も大して痩せてはいませんが、その頃の自分は、過去最大に肥大化した状態でした。「さすがに、これ以上デブったら、もうこの先一生、デブとして人生を終えなければならないかもしれない」そんな危機感を抱くには充分な程の、自分の人生で最大の“デブ度”を誇っていたんです。
過去の僕しか知らない人からしたら、僕の体重が80kgを超えているという事実について、簡単に信じてくれる人はなかなかいないんじゃないだろうか。それくらいには、太っていないキャラとして認知されていた歴史が長い。なんなら、「やせの大食い」くらいに思っている人もいるだろうなとも思ってはいる。それくらいに、僕とデブはイメージが重ならないはずでした。

でも、それが、ここ2~3年で大幅に事情が変わったんです。
とにかく、「すぐ太る」。そして、「なかなか痩せない」。昔は、全然太れなかったしそもそも「痩せ状態」を脱することがむずかくて、どうやって体重を増やすのかについて真剣に考えていた経験があるほどです。
そんな僕を、「デブまっしぐら」に変えてくれたのは、まぎれもなく「加齢による基礎代謝の低下」と「過度の飲酒習慣」と「運動不足」でした。
これまでの人生でも、その時々の自分にとっては“過度なストレス”と断言できるようなストレスに苛まれ続けてきたので、お酒は常飲していました。その量やペースは、恐らくここ10年くらいずっと変わらなかったんじゃないかなと思います。とは言え、その10年の中で、「お酒を飲まなくなる習慣」を身につけた時期も何度かありました。
その習慣は、毎度毎度、新たなる未知のレベルのストレスに晒される事によって常に打ち破られ続けてきました。

加えて、以前とはうって変わって「摂れば摂っただけてきめんに体に表れるカロリーが形を変えた脂肪」という存在。これに、ここ数年間は打ちのめされ続けてきました。余剰名カロリーは、そのまま体に跳ね返ってくるという現実。
更に、それを加速させる「忙しいから・・・」という言葉を隠れ蓑にした運動不足。というか、運動忌避。運動からの逃避と言えるかもしれません。

とにかく、つらいからやりたくない。きついからやりたくない。まだそこまで太ってないから大丈夫だろ。そんな、僕の中にいるクソどうしようも無いくずみたいなヤツの言葉と思考によって、いつの間にか僕の体は、自分の人生史上で到達した事のなかった体重領域まで易々と進んでいっていました。

そして、鏡の前にあらわれた、それはそれは見事なお腹をした45歳のおっさんのできあがりです。鏡の前の自分の体を見る度に「悲しい気持ち」になるし、そのたびに、「もうこれでいいかな」と思う気持ちが湧いてきます。だって、もう45歳だし、別に自分がいわゆる「ザ・中年体型」だったとしても、それが誰かにとっては何の意味もなさないだろうよ。そんな風に考える自分がいる事にきがつきました。

45歳だろうが50歳だろうが年齢に関わらず、世間からみたら、こんなお腹をしている人は、“そこら辺にいる中年太りの普通のおっさん”です。特に誰にも気にもかけられないだろうし、顧みられることはないような存在であるのは間違いありません。

だけど、自分自身に問いました。
「本当に、この体型のまま残りの人生を過ごしていくのか?」

そしたら、すぐに自分の本音が出てきました。
嫌なんです。こんな自分史上“最デブ状態”で生きていくのはまっぴらごめんだったんです。自分の中にあるのは、長年ずっと「割れ続けてきたシックスパック」のセルフイメージが強固にあるわけです。それが、鏡の中にも実現されていないと気分が悪いんです。何しろ長年その状態しか知らなかったわけなので。僕の脳は、自分のお腹については、シックスパックである状態が自然な状態だと認識しているようなんです。

そうなれば、もう、やるしかない。
そろそろ2週間になろうかという、このダイエット計画もかなりのキツさを感じるようになってきましたが、今のところそんなにめざましい成果は出ていません。当たりまえですが。かといって、それでやめる気にもならないし、お腹が割れるまでは何が何でもやり続けるつもりです。以前もそうだったように。

そんなわけで、決して「楽しんで日々を優雅に過ごしている」わけじゃあないんです。

どこか一部分を切り取って加工すれば、もしかしたら見方によっては「若干のキラつき感」も演出できるかもしれませんが、そもそもの本質は、キラつき感なんて皆無どころかそれとは全く別のベクトルの、とにかく醜くてこ汚いオッサンが誰にも見向きもされないゴミと化す前に、なんとかそれを食い止めて、出来ればせめて自分くらいは自分を認めてあげられるような路傍の石になろうプロジェクト的な側面が大きいわけです。

そもそも、冒頭に書いた「美味しいお酒」=「金麦」の事ですし、「おつまみ」=「スーパーで見かけて、何となく食べたいなあと思った、チップスターのりしお味」です。
そんなもんですら、切り口を少しだけ工夫すれば「若干のキラつき感」が醸し出せる可能性が見えてくるわけなので、いわゆる「プロデュース」ってやつの力強さは、生半可なもんじゃないんだなあと思いました。

それを自分自身で感じてみて、このインターネット上で繰り広げられる様々な「きらびやかなお話」について、今更ながらに、冒頭の僕と同じような輩がたくさんいるんじゃないだろうか?そんな事を考えたりしたわけです。

とは言え、僕には他の人が、本当にキラキラしていようが、ただのイミテーションだろうが特に何の関係もありませんし、そもそも、それらを知るよしも無いのでどちらでもいいんですが。

少なくとも、僕の生活が、ほんの少しでもキラついて見えているとしたら、それは明らかに「どこかしらの一面を切り取って加工しただけのモノ」です。間違いありません。

そんなからくりだらけの「オッサン再生工場物語」、今後も楽しみにしていて下さい。



あかね

株式会社プロタゴワークス

https://www.protagoworks.com/


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