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こんなに苦いんだから良薬でしょう

こんにちは。
株式会社プロタゴワークスあかねです。

「なんでいつもこんなに薬を飲んでるんだろう?」

自分がまだ若者だった頃、いわゆる“大人”と呼ばれる人たちがそれ程体調が悪いようには見えないし、普通に働いているのに毎日何種類かの薬を飲んでるのを見てそんな風に思っていました。

子どもの頃や若者だった頃には、自分が薬を飲むタイミングは風邪をひいた時や何らかの病気をして学校や仕事などに行けない状態の時ばかりだったのでそんな風に不思議に思っていたんだと思います。

でも今は、自分もすっかり“大人”になってしっかり薬を毎日飲むような生活になりました。

とはいえ、じゃあ何か大きな病気なのかと言えばそんなことでもなく、かと言って「じゃあ飲まなければいいじゃん」と飲まずにいると調子が悪くなってくるような状態です。

自分がこういう状態になってみてようやく“あの頃の自分”が当時の“大人”に対して感じていたのは「“体調が悪い”という状態について、自分の体が若く健康だったから何も知らなかっただけだったんだ」ということに気が付かされました。

「自分が“知らない”ということすら知らない」

“あの頃の自分”はそういうとってもしょうもない状態であり、「自分の体が若く健康である」ということについて“有難い”と感じることもなかったなぁと今更ながらに気が付かされました。

こういう「無知の無知」でいる状態だと“学び”はほとんど機能しません。これは、こんな自分の実体験からも明確にわかりますし、数多の人達の話を聴いて来た経験からも間違いないという実感があります。

「じゃあ、“無知の無知”状態だと“学び”が機能しないからほっとけばいいのか?」

そんな風に僕も考えたこともありましたが、これもどうやらそういうことでも無さそうです。

なぜならば、「自分が“知らない”ということすら知らない」という状態にいる「無知の無知」状態から、「自分が“知らない”ということに気付いた」という「プチ無知の知」状態になっていくのもこれまでに自分や他者を通して数多見てきました。

そのためには“キッカケ”が必要です。

もちろん、自分でその“キッカケ”に気付いて自分でその“キッカケ”を使って変容していける人もいますが、周囲にいる人達が「意図的に“学びのためのキッカケ”を用意しておく」ということがたくさんあればあるほど、「無知の無知」から「プチ無知の知」に変容していく可能性が高まるのは言うまでもありません。

とは言え、「自分が“知らない”ということすら知らない」という状態から「自分が“知らない”ということに気付いた」状態になるためには、その本人は“適応課題”を乗り越えないといけません。

とは言え「無知の無知」状態にいながら目の前の“適応課題”を「ああ、これは自分の適応課題だ」とその場で気付くことは難しいかもしれません。

でも“なんらかの越えなければならないモノ”として周囲の関りで設定してあげて、その“なんらかの壁”を乗り越えるサポートをしてあげることで、その本人が“なんらかの壁”を乗り越えることができたとすると、「“適応課題”を乗り越えた」という体験を一つすることができます。もちろん、「“その体験”が“適応課題”を乗り越えた体験である」というフィードバックを周囲の人がしてあげられれば尚いいんじゃないかなと思います。

そういう体験を幾つか積み重ねることでしか、「無知の無知」のまま“大人”になってしまった“あの頃の僕”が「プチ無知の知」へと変容していくことはできなかったんじゃないかと思いますし、実は目の前にゴロゴロしている“学びのキッカケ”を活用していくためには、周囲の人達の関りによって“こういうこと”をやっていくしかないんじゃないかなと思っています。

幾つもの薬を食後に飲み苦みに顔をしかめつつ「あんなに薬と縁遠い生活だったのになぁ」と昔を懐かしみながら、こんなことを考えていました。



あかね

株式会社プロタゴワークス

https://www.protagoworks.com/

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