減るもんでもないし負けるわけでもないんだから
こんにちは。
株式会社プロタゴワークスあかねです。
「もっとカジュアルにさらっと言っていけばいいのにと思うんですよね」
とある状況に陥った時にの対応として「どうしたらいいのか?」という質問をもらうことがあると、冒頭のようなアドバイスをすることがよくあります。
“その言葉”をもっとカジュアルに言えていたら、“その言葉”をもっとさらっと言えていたら、“その言葉”をもっと気軽に口に出せていたら、きっと今目の前で起きている“現状”はもっとずっと違うモノになっていたかもしれないよなぁ、なんて思うからこそそんなアドバイスをしています。
もしも“その言葉”をいつかどこかの段階で口に出すことができていたとしたら、きっともっと簡単に労力も時間もかけずに本来のあるべき進むべき方向に向かって軌道修正することができていたんじゃないかと思えてしまう状況を、これまでにたくさん見聞きしてきました。
そんな“魔法”のような“その言葉”というのは、「ごめんなさい」という謝罪の言葉です。
自分が間違えていたことに気が付いたら「ごめんなさい」
自分が早とちりや勘違いをしていたのなら「ごめんなさい」
外部環境が変化したことに気付いてそれまでの取り組みが“間違い”になってしまったことがわかったのなら「ごめんなさい」
特に、経営層やマネジメントに携わる人などのいわゆる“人をまとめる立場の人”にこそ、“なにか”があって早めに軌道修正をしたい時にはまず謝罪から入って訂正をすれば、案外と周囲の人の協力は得られやすくなるんじゃないかなぁなんて実体験ベースでそう考えています。
僕自身は「ごめんなさい」「すみませんでした」「申し訳ありませんでした」などなど謝罪の言葉を発しつつ、その後に訂正をすることもまるで1セットかの如くによくやっています。
特に仕事の場面であれば、“謝罪をすること”にも“訂正をすること”にも特に何の躊躇も抵抗もありません。必要があればすぐにそうします。
何しろ、「自分が間違っていたことが分かった・気付いた」というような“新しい分かり方”をしてしまったのであれば、それについては「もう分かってしまっている」わけなので幾ら自分が“気付かないフリ”をしてみたところで「気付かない」ということは当然ながら不可能です。
それに加えて「もう分かってしまっている」わけなので、分かる前の“当初のやり方”では上手くいかないことがハッキリしてしまっています。
であれば、“新しいやり方”が“以前のやり方”とどれだけ違っていようと“新しいやり方”に移行するしかないわけですが、それが仕事である以上は自分ひとりだけが“新しいやり方”をしたところでダメで、当然ながら一緒に働いている人達__部下や後輩や同僚たち__の納得と協力が必要になるわけです。
そのためには、その人達の上に立って組織・チームを率いていた人が「今まで自分が間違っていたんだ、ごめんなさい。ついては、これから新たにかくかくしかじかで進めていきたいからあらためて力を貸してはいただけないだろうか?」という謝罪と訂正が絶対に必要になってきます。
この謝罪と訂正が無ければ、それまで付き従っていた人達の中に納得が生まれることはありません。
何しろ、それまでは「Aをするんだ」と言われていたのに、ある日突然「Bをするんだ」と言われても「いや、つい昨日までAをやるんだ」って言ってたじゃん、と思ってしまうからです。
それを謝罪と訂正が無い状態で「今日からは、AじゃなくてBをやるんだ」と指示命令をされたとしたら、それを受けた人がどれだけ従順であったとしても、表面上はしっかりと指示命令に従っているとしても、指示命令を出した人の立場が自分よりもどれだけ上位に位置していたとしても、「アイツは、人に対してコロコロ言う事を変えるヤツだから信頼はできない」と感じます。
それと同時に、その指示命令を出している人は自分自身が意図しているかしていないかにかかわらず、こう言っているも同然になるわけです。
「俺は、人に対しては言う事をコロコロ変えるけど、絶対に謝罪も訂正もしないし己を非は絶対に認めない人間なんだ。だけど、自分以外の他人には権力を用いて言う事を聞かせようとする人間です。なので、俺のことは、心の底から信頼しなくていいですよ」
そういうメッセージを発してしまっていることになってしまいます。
もちろん、よっぽどの“ヤバイ人”じゃない限りは、積極的に能動的にこんなメッセージを発するわけは無いんですが、でも、以前とは違う指示命令を発する際に“謝罪”と“訂正”をしないということは、まさにこの“ヤバイ人”をそのまま地で行っているのと全く同じことをしてしまっているわけです。
僕自身は、過去の仕事人生の中でこういう“ヤバイ人”の振る舞いをする上司にたくさん出会ってきました。もちろん、言われた指示命令は余程の理不尽でない限りはどうにかこうにか従ってきたつもりですが“謝罪”や“訂正”をしなかった上司については心の中では常に「こいつ、マジでヤベーヤツだな」と思っていましたし、その人を“人間”として信頼したことはありませんでした。
そういう“ヤバイ人”は、その人自身に何らかのトラブルやアクシデントが起きた時には必ず誰か別の人間(大抵は、部下です)に、そのトラブルやアクシデントの責任を押し付けたりなすりつけたり身代わりにしたりということが起きていました。
そういう人にたくさん出会ったきたおかげで、「自分自身はああいう“ヤバイ人ムーブ”をしないようにしよう」と心掛けてきたつもりですし、そのために「気軽にカジュアルにごめんなさいを口にする」を実践してきたつもりです。
それが功を奏した部分もあったと信じたいんですが、“ある段階以降”から部下を持って仕事をしてきた時には“突然の方針転換”などがあった時にも、それなりの納得感を持ってもらった状態で成果を出すために部下が協力をしてくれたいたように感じています
(とは言え、これは自分から見えていた一方的な世界観かもしれませんので、もしも、「いや全然そんなんじゃなかったよ」という当事者の方がいたら個別の苦情は真摯に受け止めますのでお知らせください)。
そんな実体験も含めて、求められ場合には冒頭の言葉のアドバイスをしています。
「もっとカジュアルにさらっと言っていけばいいのにと思うんですよね」
「謝ったり訂正なんてしたら倒れてしまうんだ」という病にでも罹っていない限りは、謝罪も訂正も、もっとカジュアルにさらっと気軽に、みんながお互いに言い合っていけばいいんじゃないかな。それがとっても”役に立つこと”になるはずだから。
そううすれば、もっと組織やチームは柔軟に動きやすくなっていくんだから。今は、そんな風に考えています。
あかね
株式会社プロタゴワークス
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