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案外と幸運だったのかもしれないぞ

「なんのためにやるのか?」

この“問い”を立てて考えてみる。

「そんな機会に出会えるというのはもしかしたらとても幸運なのかもしれないぞ」なんてことを考えました。

これまでにたくさんの経営者の方々と会って話をさせてもらう機会がありました。そのほとんどの方がいわゆる中小企業(零細・小規模事業者含む)の経営者ですが、業種やその規模によらず、自身の仕事や会社の事業について冒頭のような“問い”を立てながら取り組んでいる方は、どちらかと言えば少数派でした。

同時に、様々な企業や組織で働くいわゆる“会社員=組織人”と言われる方々と会って話をさせてもらう機会もたくさんありましたが、これまた業種や組織規模や職種によらず、自身の仕事について冒頭のような“問い”を立てながら取り組んでいる方は、ものすごく少数派でした。

そんなことを仲間と対話をしながら考えていたら、「昔はどうだったんだろうか?」と過去の“働く人たち”について思いを馳せてみることがありました。

例えば、僕たちが経験したことの無いような“好景気”と言われていた“高度経済成長期”のような時代はどうだったんだろうかと考えてみると、その時代に「なんのためにやるのか?」ということを考えるということは一体どんな意味があったんだろうか?と思えてきます。

何しろ、経営者も会社員も働けば働くほどにお金が手に入るような時代だったわけですし、今の時代とは違って“モノ”も“情報”も少ない状態なので、今の時代よりももっと“渇望”のようなものが誰の中にもあったんじゃないかと想像できます。だからこそ、誰もが猛烈に働くことで、個人も社会も豊かになっていったし、そもそもの情報が少ないので「なんのためにやるのか?」ということを考えたとしても「お金をたくさん稼いで豊かな暮らしをするため」という回答が当然だったのかもしれないと想像できます(もちろん、そうじゃない人だっていたはずではありますが)。

「じゃあ、もっと前の時代は?」と考えてみると、そもそも“士農工商”なんていう身分制度が整っていて「親が農家であれば自分も農家、親が商売をやっていれば自分も商売、親が武士なら自分も武士」というのが大多数の人にとっては一般的だったはずです。

でも、“士農工商”がまかり通っていた時代も、“高度経済成長期”であっても、今の社会よりももっとずっと多くの割合であるほぼ全ての人達が「仕事は食っていくためにするもの」とか「仕事はお金をたくさん稼いで近代的で豊かな暮らしのためにするもの」なんてことを考えていたんだとすると、もしも、「なんのためにするのか?」について本気で向き合って“それ以外のこと”を考えていた人達がいたとしたら、恐らくその他大勢の人達とは圧倒的な差がついていたんじゃないかと思うんです。

何しろ、それら“昔の時代”には「なんのためにするのか?」ということはある意味では「既に分かりきっていること」であり「誰にとっても自明のこと」だったから「“問い”を立てて考える必要のないこと」であり、だからこそ“それ”をわざわざ考えるという“機会”を創り出して考えた人たちは、それだけでもう“イノベーティブ”だし、それ自体が“イノベーション”だったんじゃないかと。

そして、そうやって「なんのためにするのか?」という“問い”を常に立てて生きていた人達が、その時代の傑物とか偉人と呼ばれて、今の時代にも名前を残すような“偉業=イノベーション”を起こしてきた人達なんじゃないのかな?

なんてことを仲間と一緒に妄想していました。

そんなことを考えて、今の時代に目を戻すと、“モノ”も“情報”も飽和状態どころか次から次へととめどなくあふれ出てきている状態だし、そもそも仕事をしていたら「食うに困る」なんてことはほとんど起きないような時代になっています。

であれば、昔の時代のように「働くのは食っていくためだ」とか「もっと豊かな暮らしをしたい」ということをわざわざ考えなくても、ただ働いてさえいれば「食っていける」し「(ある程度)衣食住の満ち足りた暮らし」をすることは叶えることができるようになっています。

だからこそ、今の時代には「なんのためにやるのか?」という“問い”を立てて考え続けていくことが求められているのかもしれません。

でも、昔の時代とは違って「なんのためにやるのか?」が自明ではない時代になっています。

何しろ、働けば働くだけ豊かになる時代ではありませんし、士農工商のような身分制度もありません。働く場所も、働く内容も、自分で選んで自分で決めていく必要があります。そんな時代だからこそ、本当は「なんのためにやるのか?」という“問い”を誰もが自分自身で立てて、自分自身で考えて続けていかないといけない時代になっているんじゃないかと思うんですが、昔の時代とは違う理由で「なんのためにやるのか?」という“問い”を立てる機会に出会うタイミングが存在していないのかもしれません。

結局は、今も昔も冒頭のような“問い”を立てなくても「働く」は出来る時代であることは間違いありません。

だけど、今の時代は昔の時代のように「食っていくことがままならない」という切実さはそれほど深刻ではありません。仕事を選ばなければ「働く」ことは難しくないので「食っていくこと」は出来てしまうのが今の時代の現実です。

だからこそ、「なんのためにやるのか?」を自分で“問い”を立てて、自分で考えるということを続けていく必要があるはずです。

とは言え、今の時代は昔のように“これ”を考えて行動するだけで傑物や偉人に近づけるわけではありません。でも、“これ”を考え続けて行動することで、自分自身が得られる“充足感”や“充実感”は自分にとって“よいもの”であることは間違いないんじゃないかと思っています。

なんてことを考えていたら、そんな効果を生むであろう「なんのためにやるのか?」という“問い”を立てたり考えたりする“機会”を、これからも色んなところで振りまいて提供していこうとあらためて決意したところです。



あかね

株式会社プロタゴワークス

https://www.protagoworks.com/

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