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そいつはフリーにしてしまおう

こんにちは。
株式会社プロタゴワークスあかねです。

「前に言われた時は、そんなことまでやる必要なんかないだろうと思ってたんですけど、最近やっとその必要性が分かってきたんですよ」

とある経営者の方が、そう言って会社で最近あった出来事を話してくれました。

「そんな話したことあったかなぁ?」と思いつつ、聞いていると「確かに、我々だったら言ってるだろうな」と合点がいくような話でした。

ザックリとどんな話かと言えば、「社員さんに仕事のやり方を伝えるのなら、誰が見ても再現できるようにもう少し細かい行動に区切って伝えた方がいいですよ」というような話でした。

それを僕たちが伝えたタイミングでは「そんなことまでやる必要ないだろう。って言うか、そこまでやってられないよ」と思っていたそうですが、ここ最近でその考え方が変わってきたそうです。

「どうして変わったんですか?」

そう質問してみたらこんな話をしてくれました。

「(我々から)ずっと言われてたからある時社員に新しい仕事についての指示を出したタイミングで聴いてみたんですよ。“今の指示の中で、何かわからないこととか質問ある?”って。そしたら、社員から質問が出てきたんです。その時に、“ああ、ウチの社員って今までもずっと考えながら仕事をしてきてたんだな”と思ったし、今まで自分が如何に言葉足らずだったのかがよくわかった気がしたんですよね」というような話を、こちらから質問をしたことにじっくり考えながら話をしてくれました。

その昔も、同じようなことが確かによくありました。

「なるはやでよろしく」とか「イイ感じにやっといて」とか「まあ、思った通りでいいから頼むね」とか、そんな指示でも依頼でもない声掛けで他者に対して“丸投げ”で仕事を無茶ぶりする人達が本当にたくさんいましたし、そういケースはそこら中で起きていました。でも、実際に起きていたのは“とても有能な部下たちが、上司の意図を汲んで先回りして仕事をやってくれていた”ということだったんじゃないかと思っています(実際に、僕も“そういう人”からの無茶ぶりを四苦八苦しながら乗り越えてきた時代がたくさんありました)。

でも、今はそんな時代じゃありません。

僕が“そういう人”からの無茶ぶりで仕事を丸投げされていた時代は、いわゆる“氷河期世代の若い人”が文字通りに“掃いて捨てる程”わんさかといたわけです(僕もその世代の一人です)。
だからこそ、“指示を出す側”がいい加減で適当な指示とも言えないような声掛けで「指示を出した」と言い張ればそれが“指示”として罷り通っていました。
もしも“指示を受けた側”が“質問”をしたり“確認”をしたりすれば、あからさまに機嫌の悪そうな表情や態度や声色で「そういうことはまずやってから言えよ」とか「そんなことまで言われないとできないのかよ」とため息交じりに言ってみたり「その辺も良い感じによろしくやっといて」なんて言葉が返って来たり、そうでなければ「アイツ使えないな」という言葉で、他にもたくさん控えている“使えそうな人”に交換されてしまう。
そんなことが実際に起きていましたし、僕自身が身をもって体験もしています。

でも、今のこの時代に“あの頃”と同じようなクソしょうもない関りをしてしまえば、相手はすぐにその組織を去りますし、次の人はなかなか採用できないし、なんなら“悪い噂(という名の正当な評価)”がネットを介してどんどん広がっていきます。

そういう“組織を防衛する”という観点も大事にしていってほしいなと思っています。

でも、もっと大事なことは“考える”ということをして欲しいなと思っています。

「何のために、社員に仕事を覚えてもらう必要があるのか?」ということについて“考える”をして欲しいんです。

これについて考えると、経営者も社員さん達も必ずこういうことに行き当たります。

「その会社で働くことで、自分が成し遂げたい“目的”を成し遂げるため」と。

これは、誰であっても必ずそうなっているので例外はありません。

こんな話をすると、時々こんな言葉が返ってきたりもするんです。

「いえ、自分は守る家族もいないので、自分が面白おかしく遊んで暮らせるだけのお金を稼げればそれでいいんで“目的”とかは考えたことないっス」なんて。

「そうなんですね」と返答をしたりすることもありますが、そもそも“それ”が本心なんだとすれば、それ自体が“あなたがこの会社で働く目的”になっているんですけどね、なんて伝えたりすることはその時と場合によってあったりなかったりしますが。

その本人自身が認識できているかどうかは別として、誰の中にも必ず存在している「その組織でその仕事をする“目的”」から考えてみると、経営者や上司の方が「社員に仕事を憶えてもらいたい」と考えるということは、「該当の社員が、“任されている仕事”を“求められている水準”で成果を出せるようになってもらいたい」ということなのではないかと思えてきます。なぜなら、経営者や上司は“自分が任されているチームが出すべき成果”こそがその人自身が責任を持って達成するべき仕事だからです。

そんな風に考えていくと、冒頭の経営者の方のように(変化以前の姿)、当初は「そんなことまで教えなくたって少し考えればわかるはずだ」と言って、「必要以上に ”教えない”」なんていうのは、そもそもの ”己の役割”や“己の責務”から考えると、単なる“責任放棄”にしか見えなくなってくるのが不思議です。

確かに、“自分はよく理解できているモノ”について“何も知らない人”に対して0から100まで教えるのは大変かもしれません。

だけど、それが責務であり役割であるならそれがどれだけ「大変でめんどくさくてツラくてやりたくないこと」であったとしても、頑張ってやるべきでしょうし、更にそれが「自分がこの会社で仕事をする目的を成し遂げるために絶対に必要なコト」であるのならば、もはや“やらない理由”なんて探さない方が自分のためですし、それが“会社の目的”と同じモノなのであれば、それこそが仕事ですからガンバってそれに取り組みましょう。何しろ“目的”なわけですから。

「そこまでやる必要があるのかないのか?」は、その判断こそ経営者がすることになりますが、それを規定するのは“経営者の能力”ではありません。その組織で働く人達によって規定されます。

「誰が判断するのか?」と「何によって決まるのか?」を混同するとおかしなことが起きてきます。ここをしっかり区別して考えていくことで、冒頭の経営者の方のようにストレスを大幅に減らしていくことができるはずです。

何しろ「自分のストレスは、自分が生んでいる」のは間違いないので、逆に言えば「自分のストレスは、自分で無くせる」のも間違いありませんから。

さて、今年はようやく仕事が納まったので来年は“ストレスフリーな一年”を目指して、自分でストレスを生み出さないように頑張ろうと思います。



あかね

株式会社プロタゴワークス

https://www.protagoworks.com/

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