いつも心に氷山を
こんにちは。
株式会社プロタゴワークスあかねです。
仕事柄、他社のサポートに関わらせてもらっていると“組織の問題”というのが噴出しているところに遭遇することがよくあります。
“組織としての問題”が噴出してきた時には、その組織を構成しているメンバーが抱えている“個々の問題”がその真因だったりするんだよなぁ、というのがこれまでに様々な組織と個人に関わらせてもらってきた中での実感です。
そして、“個々の問題”についてそのメンバー個人に話を聴かせてもらう機会があった時に、すぐに直接的にその“個々の問題”を話せる人というのはほとんどいません。
“自分が抱えている問題”に気が付いていないのかもしれませんし、“自分が抱えている問題”を直視したくなくて気が付かないことにしているのかもしれませんし、“自分が抱えている問題”を無かったことにしたくて全く別の事柄を“問題”としているのかもしれませんし、“自分が抱えている問題”を“問題”ではなく“よいモノ”として捉えてしまっているのかもしれませんし、それ以外の“なにか”が理由なのかもしれません。
いずれにしても、いきなり他者に向けて“自分の問題”を正直に全て話ができる人というのは存在しないので(存在しているとしたら、その人が抱えているモノはもう既に誰かに話しているはずであり、そうだとしたらそれはもう“問題”として存在することが出来ないくらい解消に向かっているはずなので)、僕がその人個人に関わらせてもらう機会があるんだとすれば、まずはその時点からの信頼関係の醸成からスタートする必要が出てきます。
そうして信頼関係を作っていくことができたとしたら、ある程度の時間をかけてその人の抱える“問題”について、その人の世界からの話を聴かせてもらえるのかもしれません。
でも、相手が話してくれたことが本当にそのまま“問題の真因・核心”なのかと言えばそうではないことがほとんどなのが実際のところです。
これまたパラドックスみたいな話ではありますが、本人が本当の意味で“問題”と“真因”に気が付いているのであれば、それはもう既に“問題”では無くなっているはずですから。
「〇〇が問題で、真因は△△です」と本当にわかっているのであれば、なぜ“問題の真因”が△△だとわかっているにもかかわらず今この瞬間もまだその〇〇が“問題”なのか?
それはつまり、「まだ真因△△を取り除くための行動ができていない」ということに他なりません。
であれば、「△△は真因だと思っていたが、実際には、それは真因ではなくて、本当の真因と呼べるモノは“行動”が起こせない理由を解消できていないから」なのかもしれません。
じゃあ、その人が「〇〇という問題があって困っている」という現実を何とかして“今より良い状態”にするために、その“問題”を解消しようとするのであれば、△△を取り除くために必要な“行動”を起こすことが必要であり、その“行動”を阻害するモノこそが言葉通りの“真因”に他なりません。
そうやって考えてみると、組織を構成する各メンバーたちが抱えているであろう“個々の問題”を解消するのは、案外と簡単にできてしまいます。
もちろん、そのために最も尽力しなければならないのは「個別の問題を抱えているその当事者本人である」というのは考えるまでもありません。
「自分が抱えている“問題”を解消するために必要な行動をする」
たったこれだけのとってもシンプルな解決策しかありません。
もちろん、その解決策である“行動”を起こすためにはもしかしたら“周囲のサポート”や“周囲の協働”が必要な場合もあるかもしれませんので、そうであれば、周囲のサポートや協働を得られるような取り組みが必要であり、それすらもやっぱり“己の行動”になってくるというのは自明のことだったりするわけです。
「それは分かってる。だけど、そんなるハナからわかっちゃいるけど、でも、だって、~~だからできないんだよ」
そういう話もたくさん聞かせてもらうことがありますので、“できない理由”はこれまでもたくさん聞かせてもらってきましたし、きっとこれからもまだまだたくさん聞かせてもらうことになるのかもしれません。
色んな“できない理由”があるのはよくわかります。僕もよく「~~だからできないよなぁこれは」って思うことがよくあります。
だけど、明らかに自分の目の前に抱えてしまっている“自分の問題”があることを認識してしまったら、その“問題”が「本当はどんな姿をしているのか?」を理解してしまったら、それはもう解消するためにやることは決まってしまっているんじゃないかな、と思っています。
これまでそういった数多のケースを見聞きしてきて思うことがあります。
自分の中に“自分の問題”を抱えていることを(なにがしかの理由で)認識できずにいたり、“自分の問題”の本当の姿を把握できず(せず)にいたり、“自分の問題”の真因を捉え違いしてしまっていたり、“自分の問題”を解消するために絶対に必要な“行動”をせずにいたりすると、どうやらどんな人であっても“不安”を感じているようでした。
そして、その“不安”は徐々に勢いを増していきます。その“不安”が段々と大きくなっていくにのと同時に、その人を取り巻く様々なモノゴトについて“不満”に感じ始めるというのが、これまで数多のケースを見聞きしてきた“組織の問題”には共通しています。
そうして“不安”と“不満”は、その人本人以外の他者や事象や物や事に向かう“攻撃”に形を変えていきます。
そして、当然ながら“攻撃”を加えられた人は防御姿勢を取ったり反撃を試みたりします。
その辺りになると、当事者以外から見て明らかな“組織の問題”として浮かび上がってきていました。
これが、長年放置されてしまっていた状態だったりすると、その組織は“なかなか手ごわい状態”で固定されてしまっていたりして、そこで毎日働いている人達の心情たるや想像するだけで複雑な気持ちになってきたりするわけです。
“なかなか手ごわい状態”の組織の中にいるとしたら、もはやこんがらがってしまった“問題だらけ”の組織の状態をほどいていくことなんて不可能に思えるかもしれませんが、“組織の問題”と“個々の問題”との関係性をベースにして観察しなおしてみると、これが案外と“問題解決の糸口”が見えてくるような気がしてくるので不思議です。
そんな時に、「ああ、これが氷山モデルで言ってることなんだなぁ」なんて、まさに氷山見物をしているくらいにクールな感じで一歩や二歩どころか物凄く距離を置いて客観的に眺めることができたりするので、常に自分自身を、氷山を遠くから眺めてその全貌をイメージできるくらいの距離に移動できるようにしておくことが必要なんだなぁ、なんてことを考えています。
もちろん、氷山を眺めるんだから完全防寒を怠らずに備えておくのは大事です。
あかね
株式会社プロタゴワークス
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