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もっとずっとおもしろくできるんだとしたら

こんにちは。

株式会社プロタゴワークスあかねです。

「アイツがホント全然仕事しないから全部こっちに回ってきて、マジでイラつくんだよね」

つい最近、職場であった出来事を本当にイライラしながら話してくれているのは、少し年下で同じ職位だけど仕事経験がだいぶ少ない後輩と一緒に働いているAさんです。

この春から一緒に働いている後輩Bさんの仕事ぶりについて、Aさんはずっとストレスを感じながら仕事をしていて、会う度に同じ話をいつもしてくれます。とは言え、僕も特にアドバイスを求められているわけではないのでその話を聞きはしますが、逆に言えば「アドバイスが欲しい」とも言われていないし「自分と対話をして欲しい」とも言われていないし、何なら「ただ聞いていて欲しい」とも言われていないので、毎度のことながらAさんの話を聞いてどうリアクションをするのかはその時の僕がしたいようにすることに決めています。

Aさんは、直近であった“職場での出来事”を話していますが、今の話を聞いていても“春先に聞いた話”や“初夏に聞いた話”や“真夏に聞いた話”と細かい枝葉の部分が少し違うだけで起きていることは同じことのように聞こえました。よくわからない部分については幾つか質問をしながら聞いていると、「これはやっぱりいつもと同じ話なんだろうな」ということが見えてきました。

そうしていつもの如く、Aさんが僕に何を求めてこの話をしているのかはよくわからないですが、これまたいつもの如く「そう思わないか?」と僕に同意を求めてくるので、そのタイミングで自分の考えていることについて話をしました。すると、これまたいつもの如く、僕のした話については頷くでもなく、相づちを打つでもなく、時折「でもさ~」といつか聞いたことのある話を延々と繰り返すという時間が続きました。

Aさんがひとしきり話終えてある程度感情が落ちついたように見えたところで、こんなことを聞いてみました。
「そんなBさんと一緒に働いている現実がある中で、Aさんはどうしたいの?」

すると、色々とまた話をしはじめるわけですがすぐに“Bさんに対しての不満”に戻っていこうとするので、そこでは軌道修正をしながら“相手に対しての不満”ではなく“自分が望む状態”についての話をしてもらいました。

そしたら、こんな話をしてくれました。

「こんなストレスを感じないで毎日仕事したいんだよ」

そこからは、何をどうすればAさんがストレスを感じないで毎日仕事ができるのか?という部分に焦点を当てながら話を進めることができました。

これまでも同じ質問を投げかけたことは何度もありましたが、その度に「こっちはストレスフルなんだよ」という話を延々するだけだったので、今回も同じような流れになるかと思っていたんですが違う流れが生まれたことに心の中で驚きと喜びを感じつつも今回の流れを作っていくことができたことで進展が生まれたのは良かったなと思っています。

そこからは、「何にどんなストレスを感じているのか?」や「そのストレスが生まれた時にどんな行動をしているのか?」や「Bさんのアクションやリアクション」やその他諸々の話をたくさん聞かせてもらいながら、ストレスを感じないで毎日仕事をするために“役に立つこと”を一緒に考えました。

そうして見えてきたのは、悩みを抱えている誰と話をしても必ず辿り着く同じ地点でした。

「自分に変えられることと変えられないことを見極めて、変えられないことは受け入れ、変えられることにだけ尽力する」という心理的柔軟性の話でもありストア哲学の話でもあるこの地点。もちろん、「その時々で、自分が“この考え方”で世界を見ることができているのか?」という客観とか俯瞰とかの視点も含めて。

こうやって考えてみると、結局は「自分に変えられることと変えられないことを見極める」が上手くできないからこそ「自分に変えられないこと」についてストレスを感じて、「自分に変えられないこと」に尽力してやっぱり何も変わらないことにストレスを感じて、「自分に変えられること」に時間も労力も注げずに自分の仕事のパフォーマンスが落ちていることを(意識的にか無意識的にかはわかりませんが)自覚してストレスを感じている。そんな悪循環に対してまたストレスを感じてしまっている。というような“負のバッドスパイラル”に陥っているのがハッキリと見えてきます。

これこそが「自分が感じているストレスは、自分自身で生み出している」と言われる最大の理由なんだろうなと考えています。

こんなことを考えていたら、高杉晋作の歌と言われている有名な言葉が思い出されてきました。

「おもしろきこともなき世をおもしろく」

全くもって高杉晋作には詳しくも無いしほとんど何も知らないんですが、この言葉だけはなぜか頭の中に残っています。その理由が、このnoteを書いていて何となくわかったような気がしてきました。

今の僕が考えているのは、この言葉もきっと心理的柔軟性やストア哲学の考え方と同じようなニュアンスだったんじゃないかということです。

自分の“意志”で、「自分に変えられること」と「自分には変えられないこと」を見極めて切り分けて、「自分に変えられないこと」は「ああ、オレには変えられないんだ」と受け入れつつ、「自分に変えられること」にだけは全力で行動していく。
そうやって、「自分にとって何か面白いことが起きるのを待っていたって何も起きないこの世界を、意志を用いて主体的に能動的に問いを立て考えて行動して面白くしていく」という“意志の力”の話だったんじゃないか。そして、これはそのままロイ・バウマイスターが提唱している“will power”の話にも通じてくるんじゃないだろうか。

そんなことを考えています。

「“ストレスは自分が生み出している”ってことは、自分で生み出したモノに囚われて低パフォーマンスの日々を生きていくのはなかなかにツライよなぁ」

自分自身のストレスフルな状態について、そう思うことが出来たとしたら“意志”の力で方向を転換することができるのかもしれません。

なにしろ、「自分が何を考えて、何を言葉として発して、どう行動するのか」については、全て自分だけで決めて自分だけが変えられる、自分以外の誰にもこれをすることは絶対に出来ないことなので。



あかね

株式会社プロタゴワークス

https://www.protagoworks.com/

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