スマートさの欠片も見当たらないナニクソ節
こんにちは。
株式会社プロタゴワークスあかねです。
この春から"新しく始めたこと”が幾つかあります。
正確に言えば、その中には「今までもやっていたけど長い間サボっていたことを再開した」というのも入っていたりしますが、自分の中ではそれも"新しく始めたこと”にカウントしています。
そんな“新しく始めたこと”を無理の無いように少しずつ続けていると、自分の中に起きている“変化”を感じる機会が増えてきました。
「やっていなかったことをやり始める」というのは、いつ体験してもスタートはとっても重たい感じがしましたが、続けているとその“重さ”もあまり感じなくなってきて段々と習慣化してきているのを感じます。
「ああ、少しは習慣化してきたんだなぁ」と強く感じるのは、スケジュールの都合などで、いつもの決まったタイミングで“それ”を実施することができない時に「ああ、今日はできなかった」とか「なんか物足りないなぁ」と感じたりする時です。
とは言えまだ始めて間もないコトばっかりなので、タイミングがきたら自分の中で“自動的”に動き出せるほどの習慣化まではできていませんが、それでも「やらなくちゃ」とか「さてやるか」なんてことが主体的に出てくることは増えてきました。
それぞれの“新しく始めたこと”について設定している目的に向かって進み始めたところなので、まだまだ“成果”と呼べるようなモノは何も出てきてはいませんが、それでも例えば勉強モノであればノートのページが増えていっていたりとか、テーマを決めた読書であれば読み終えた本が増えていくとか“考える材料”が増えてきているとか、運動であれば体が“運動をする”ということに慣れてきているとか、そんな“変化”が“成果”のように感じられてきています。
こうやって自分が取り組んでいることを書いてみると「なんか色々とポジティブな取り組みをしてそうな感じがするな」と自分でも思うんですが、現実では全くそんなことはなく、ただただ“やらなければいけないこと”が出来ていないから“やらざるを得ない”状態になっているだけであって、その時に自分を駆動しているのは主に“自分自身の不甲斐なさへの怒り”が原動力になっている感じです。
願わくば、ポジティブに心の底から“やりたいこと”や“楽しいこと”全力でにキラキラと向かっていけるような人間になりたいところでしたが、僕の場合はどうやらそういうこととはまるで縁が無さそうです。
静かに、己の不甲斐なさに怒りを燃やしてドロドロとした情念にまみれて苦しみながら“やらなければならないこと”に立ち向かっていくしかないようです。ナニクソ今に見とけよ。
あかね
株式会社プロタゴワークス
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