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友人とする話の内容といったらば

こんにちは。
株式会社プロタゴワークスあかねです。

久しぶりに会う友人達と、久しぶりに一緒にごはんを食べてお酒を飲みました。

かく言う僕は“友人”と呼べる人は「そんなに多くないな」と自覚しています。
恐らく、僕が「この人は友人だ」と思っている人については同じように僕のことを「友人だ」と思っていてくれるだろうと認識はしているんですが、その相互認識がはかれていることをこれまでに確認し合えた人以外で、僕が「友人である」と認識している人はいないような気がしています。

そんな話をすると、色んな人から「あなたは“友人”の枠が狭い」というような事をこれまでにたくさん言われてきましたが、それについては「言われる通り、確かに“友人”の枠が狭いのかもしれない。でも、僕から見て“友人”の枠が広い人は、「その枠を“敢えて”広げ続ける努力をしているように見える」なんていうふうにも見えるわけです。

どっちがいいとかわるいとかの話では無いですし、そもそも“良し悪し”についてなにかを言いたいわけでもありません。ただただ僕にとっては“友人”という枠組みは「そのくらいの幅である」というだけですし、それ以外の人にとっても同じく「それ以外の幅である」というだけなんだろうと思うんです。

そんな僕ですが、「この人は友人であると自覚しているしお互いに認識し合いたい」ということは結構明確に思っていて、該当する人にはそんな話をする機会を狙いつつ直接伝えることにしています。
その都度都度の反応は、もう既に思い出せないモノがほとんどです。
ただ、こうやって、30年近く経った今も昔と変わらずに時間を作って、会って、一緒にお酒を飲んでごはんを食べて、話をして、真剣に考えて、笑って。そんなことを、同じ空間で同じ時間を過ごしながら、何時間もただただ楽しい時間を過ごしていると、昔のことも当然ながらたくさん思い出されてくるんですが、それよりも何よりも“今この瞬間”と“これから先の時間”に思いを馳せることがたくさんありました。

話をしていた内容とすれば、その場にいた自分達以外の人が聞いたら「なんだこのしょうもない話の内容は?」と思うような内容だったんだろうと思うんです。

だけど、その場にいた我々だけには、普段どんな場面でどんな人達とするどんな話よりも、圧倒的に面白くて刺激的でタメになって学びの多い話だったはずでした。

ただ、段々と酔いが覚めてきた今のこの頭で考えてみると、どう考えてみても、それらはやっぱり“酔っ払いのたわごと”だったのかもしれないなぁ、なんて思い出しながらこのnoteを書いています。
もう眠さが限界なのでこれを書いたら寝ようと思います。おやすみなさい。



あかね

株式会社プロタゴワークス

https://www.protagoworks.com/

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