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迷うのか迷わないのかどっちなんだい

こんにちは。
株式会社プロタゴワークスあかねです。

「何を食べようかなぁ」

たまに外食をしようとなった時には、大抵こんなことを考えているような気がします。

もちろん、特定の何か食べたい物が決まっている時にはそういうことは無く「〇〇食べに行こう」となるわけですが、特に「これが食べたい」という物が無いような時に冒頭のようになることがよくあります。

でも、「何を食べようかな」となっている時に頭の中に思い浮かんでいる物と言えば“これまでに行ったことのあるお店・食べたことのある物”だったりします。

それらを思い浮かべながら「これかな?う~ん・・・あっちのお店かな?う~ん・・・どうしようかなぁ」なんてことを考えています。いや、これは考えているというより迷っていると言った方が正確な気がします。

そうやって迷いながら、結局は“どこか”や“なにか”を決めるわけです。でも、時々は全く決まらないまま諦めることもあります。

例えば、自分一人で行動している時に「何を食べようかな」となった時には、そこから行けそうなお店を携帯で探し始めた時はある程度気分が盛り上がっているんですが、検索を続けているうちに色々と出てきたたくさんの選択肢の中から何か一つを選び出すのがめんどくさくなりすぎて「まあ、今日はコンビニでいいか」ということになっちゃうことがよくあります。

一人の時も、誰かと一緒の時も、そうやって「何を食べようかなぁ」と迷いに迷っている時の自分について考えてみると、「本当は一体何に迷っているんだろう?」と、ふと不思議に思えてきたんです。

何しろ、僕が迷っている時に頭に思い浮かんでくるのは「これまでに食べた“美味しいと感じた物”や“また行こう”と思ったお店ばかり」であって、ハッキリ言えば迷うまでも無くその中のどれかのお店に行けば十分な満足感を得られるのは分かりきっているわけです。だから、思い浮かんだところへ行けばいいだけなはずなんです。

だけど、それでも「迷っている」のが現実です。

それを考えてみると、「もしも、ガッカリしたり後悔することがあったら嫌だから」という気持ちが強くあるような気がしてます。いわゆる「損したくない」ってヤツです。

その時にイメージしている「損したなぁ」という状態は、例えば、特に「何か特定の物を食べたい」という願望が無い時に、「じゃあ、前に行った美味しい物が食べられるお店に行ってみよう」と思ったとすると、「でも、今は積極的にそこに行きたいという気分じゃないし、他のお店に行ったら今の気分にしっくりくる物が食べられるんじゃないか?」なんてことを心のどこかで思ってしまうことなのかもしれません。

自分の気持ちが積極的に“そこ”に向かっている時には、「何がどうあれ“そこ”に行きたい」という強い気持ちが出てきますが、“そこ”に積極的な気持ちが向いているわけでなければ「まあ、行っても行かなくてもどっちでもいいかな」なんて感じになることがよくあります。じゃあ、他の選択肢はどうだろう?と視点を変えてみようとしても“行ったことがある・口にしたことがある”からこそ選択肢になってきているわけで、「わからない・知らない」というモノが選択肢に入って来るとしたら、「行ってみたいと思っていた」と積極的な気持ちが必要ですし、まだ未経験の物にトライしようかなと思うと「失敗したらどうしよう」が入って来るので、やっぱり「迷っている」状態になってしまいます。

こういう時の自分自身を、今こうして思い返してみると「決断する」ということを避けようとしているだなぁ、というのが見えてきます。

そこには「損したくない」という気持ちが大きく絡んでいるような気がしています。

「せっかくお金を払って外食するんだから」とか「わざわざお店まで出かけていくんだから」とかの、お金とか時間とか労力はもちろんですが、何よりも「自分で選んで、自分で決断した結果、失敗したなと思うのが嫌だ」というようなところが、こういう時の「迷っている」を生み出しているんだろうなと感じています。

ただ、自分でも不思議に思うのは、“外食をする”という状況においては「迷っている」ことが多いんですが、“仕事をする”という状況だと外食時と比べたら「全く迷っていない」と言えるくらいのスピードで決断をしていることです。
実際には「全く迷っていない」なんてことは無くて、「どっちだろう?」と考えてはいるんですが外食時のように「決められなくて困る」という状態に陥ることはありません。もちろん、一人だけで考えていても進まない時は仲間と対話をしながら決めていくからスムーズに決断までいけるというのはありますが。

こんなことをこうやって書いていてやっとなんですが、僕の中では“外食するお店・物の選択”と“仕事の中での選択”とでは、「同じことをしている感覚ではない」ってことに気が付きました。

その違いはきっと、「仕事には明確な目的があるけど、外食にはそこまで明確な目的が無い」という違いがある気がしています。

僕にとっての外食は、「自分では作れなくて美味しい物を食べて良い気分になりたい」を求めている感じです。こうやって自分で書いた“求めていること”を見てみると、「これを叶えることができる選択肢は数えきれないほどたくさんあるよなぁ」と思います。

でも、仕事における“目的”を叶えるための選択肢はいつだって様々な制約がかかってくるので限定されてきます。その制約の中で、どれだけ自由な発想をして可能性を開いていくか、道をつくっていくのか。そんなことが求められているんじゃないかと思っています。

こうやって書いて並べてみたことで、僕にとっての外食はあくまでも“消費者としての選択”であり、仕事は“創り出す者としての選択”という、そもそもの違いがあったんだなぁということに気が付きました。

なるほど、そりゃあ「同じことをしている感覚ではない」わけです。同じ“選択”という言葉を使っていながらも、全くの別物だったわけです。

そういうことが見えてきて、「何のために外食するのか?」を突き詰めて考えようとは今のところ思えていないので、しばらくは外食時に「なに食べようかなぁ」と迷いつつも、いつかどこかで「もう迷いたくない」と切実に思う瞬間があったら(あるのか?)考えてみることにしようかな。そんな日が来るのかどうかはわかりませんが。



あかね

株式会社プロタゴワークス

https://www.protagoworks.com/

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