見出し画像

軽自動車に乗ってたんと考えた

こんにちは。
株式会社プロタゴワークスあかねです。

「行ってきます」

朝、いつも通りに家の玄関を出て駐車場に向かうと、いつも自分の車が停まっているはずの場所には、見慣れない軽自動車がありました。

「コノ車ハ、昨日、車検ノ代車トシテ、一時的ニ、借リテキタ車」

そんな思考が、一瞬だけ戸惑った間に頭の中に流れ、なんとか驚かずに済みました。

平然を装って車のエンジンをかけようとするも、乗るのが2回目の代車では、スタートボタンがどこにあるかを最初と同じように探すところから始まります。

そして、ボタンを押すだけではエンジンはかからず、「あ、そうだ」と思い出して、ブレーキを足で踏みながらスタートボタンを押すと元気よくエンジンがかかりました。

「あと何回乗ればこれらの動作がすんなりできるようになるのか?」

そんな事を考えながら、普段の通勤路を、この代車で初めて走りました。

いつも通りに、踏切の前で一時停止をして左右を確認した時に何だか見慣れないモノが一瞬目に入りました。

「あれはなんだろう?」

そこから細い道を抜けるまでは、その何かを確認するのを我慢して、細い道から片側二車線の国道に出るところにある信号を待ちながら、さっきの気になった部分に目を向けると、そこには複数の小さなミラーが付いていました。

その複数のミラーの脇には車の前方部分のイラストと矢印が描いてあり、どうやら、その複数のミラーで視認できる車の前方部分の死角が示してあるようです。

自分の車にはついていないその小さな複数のミラーを見て、「ああ、確かに自分の車より車高も高いから死角になる部分が多いんだろうな」と思い、そのサービスの良さに感心しました。

「最近の軽自動車は大きいし広いよ」

そんな話を、この代車と同じタイプの車に乗っている人から時々聞いてはいましたが、実際に乗る機会はこれまでに無かったので、「まあ、そうは言っても軽自動でしょ」と、自分の昔の記憶にある軽自動車の概念で話を聞いていました。聞いてはいましたが、実際には、聞き流していたんだと思います。自分は自分の車があるし、高速道路を利用する機会や長距離走行をする機会も多いので、軽自動車を買う予定が無かったのもありますが、そもそも他に車を買う予定もしばらく無いし、もっと言えば、あまり車に興味が無かったからかもしれません。

つまり、「車の事をほとんど何も知らないから」車に興味を持つことが無かったんじゃないだろうか?今は、そんな風に思っています。

なぜ車に興味を持つことが無かったのかと言えば、今乗っている車に大きな不満も無く、満足しているからなんじゃないかなと思っています。

僕は、これまでの人生で車に興味を持った事があまりありません。あくまでも移動手段としての快適さがあればそれでいいと思っています。それは今もあまり変わらないんですが、車に対して求めている事はそんなに多く無いような気がしています。

これだけは実現したいと思っているのは幾つかだけ。

1つは、自分以外の人を2~3人乗せてもそれなりに荷物が乗る室内の大きさがあること。これは、自分が「使いたい」と思った時にいつでもその物が使えるように普段から荷物を車に積んでおきたいという“めんどくさがり”なところから来ています。

2つめは、大人数人が乗って高速走行していてもエアコンの効きが悪くならない性能であること。これは、以前に昔の軽自動車に乗っていた時のこと。真夏の暑い日にエアコンを使用しながら走っていたんですが、そこで差し掛かった山道の上り坂でアクセルを更に踏み込んだんですが、エンジンは唸るばかりで速度は上がらず、なんなら徐々に速度が落ちている感じすらしてきました。そこで、エアコンをオフにすると速度は徐々に上がり始め無事に坂道を走り切れました。だけど、車の中はめちゃくちゃに暑くて一瞬で汗だくになりました。

そんな経験を何度もして、車を買う時には「エアコンの効きが良い」というのを絶対条件にしようと思い続けています。

あとは、カーナビとバックモニターとETCが付いている事くらい。

これらの条件は、いわゆる普通車だったらほとんどの車が問題無くクリアできると思います(最後の付属品は無ければ付けて貰えばよいだけ)。なので、自分の車への満足度は約10年間(今の自分の車に乗り始めてから)ずっと高いまま維持されています。

だから、これ以上を求める事は無くなっているんじゃないかなと思いますし、車自体へ求めるモノも、今も相変わらずな感じです。

そんな自分にとって、今回の代車に感じた事は、自分の中の“軽自動車観”を刷新する体験だったのかもしれないと、今思っています。

昔の自分が乗っていた軽自動車から考えると、今のの進化ぶりは、ホントにすごいなと思っているんです。

何しろ、乗った感じは、この軽自動車の方が自分の車よりも体感的に広いんです。
なのに、外から見た時の車体は、自分の車よりも明らかにかなり小さい。恐らく、この車のセールスポイントになっているんだとは思いますが、「小さいけど広い」が実現され、たくさんの荷物や人数が載せられるという事なんだと思います(だからこその、「たくさん」という意味が込められたかのようなこの車名なのかもしれません)更に、上にも書いたように、運転席からの死角が極力少なくなるような工夫が安価にされています。これによって、安全性の確保と不安の減少がされています。エアコンの効きについてはエンジンの性能が関係してくるんだと思うので仕方ないとは思いますが、逆にこの軽自動車で高速道路を頻繁に長距離走行しようと思う人は少ないんじゃないだろうかとも思います。

これは、よく言われることだと思うんですが、あの小ささであれだけ社内が広くなっているという事は、車体に使われている素材は薄くて軽いはずですし、軽自動車は衝突時に“潰れる”事で衝撃を逃がすというのを何かで見た記憶もあります。つまり、事故が起きた時には“潰れる”事が前提になっています。

という事は、普通の道路よりも速い速度で走る事が求められ、且つ、事故が起きた時の危険性が高いと考えられる高速道路の走行には、軽自動車はあまり適していないと考えるのが合理的なんじゃないのかなと。

そう考えると、頻繁に高速道路を利用しない前提であれば、最近の軽自動車はとても優れているのかもしれないと思っています。

そんなわけで、家から約10kmの道のりである通勤ではこの代車の快適さを十分に享受する事ができています。

これがあと数日続くらしいので、その間に、この軽自動車が欲しくなってしまわないかが今から心配でもあります。

自分の車が、購入からそろそろ10年が経とうとしていて、更に、車の一つの節目と言われる10万kmはとっくに超えてしまっています。そうなると、「買い替え」という次の行動を考える必要が、そのうち出て来るのかなと思ってはいるんです。

群馬で暮らして仕事をする以上、車が無い生活は現実的ではありません。
自分達でやっているこの会社もこの仕事も“電車移動”を前提にして設計してはいませんので、移動は基本的に車が前提ですし、そもそも駅から歩いていける場所に何かがあるわけではありませんし、電車が山手線のように「5分に1本走っている」わけでもありません。

という事は、「生きる」という事は、「車とともに生きる」という事なのかもしれません(もちろん、誰もが自動車を所有できるわけでは無いので、狭義の意味での自動車だけじゃなく移動手段という広義の意味で、自転車やバイクや公共交通機関のバス等を含んだ意味で“車”と書いています)。

そうするとつまり、ここ群馬で暮らしていくという事は、「車とどう向き合い、どう付き合っていくのか?」という「問い」が、誰にとっても必ず必要になってくる。

そんな事を、今これを書いていてようやく気が付きました。


「車には興味が無い」

ついさっき、上の方で自分が書いていたこんな言葉がありましたが、今ここに来てあっさり撤回しておきます。

今は、「車と向き合いどう付き合っていくのか?」という「問い」を自分の人生で初めて持つ事が出来て、それについて考えたいし考える必要性を感じているので、これからは「車には興味があります」と言っていこうと思っています。過去の自分よ、さようなら。

朝令暮改どころか、一つのnoteの中での上令下改です。

「問い」が立つんだから、自分の「考え」に固執しても仕方無し。
「問い、考え、語る」のが「考える」という行為の中身であり「対話」である。

自分達にとっては、これがとても大切な考え方だったりするわけです。
この「考える」とか「対話」について、文字通り、考える時にはいつも『方丈記』の冒頭部分が僕の頭の中に浮かんできます。

「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」

自分の人生は途切れないけど、自分の中身はいつかの自分とは全く違う。そんな風にいつも考えています。なぜなら、過去の時点である「いつかどこかの自分」から今この時点の自分は、生きている以上は、「考える」の経験も体験した事も出会った人の数も全て変化しているわけです。

時間の経過とともに、そもそも細胞が変化しているんだから「何も変わらない」というのは、生きている以上は“絶対に不可能”なわけですから。

これは、全ての人に共通する事であり、もし仮に「自分は変わっていない」という人がいるんだとすれば、それは「変化に対応してきながらも、あたかも、以前と変わっていないかのように整える事が出来ている」という事なんじゃないかなと思っています。

そんな僕は、「男に二言はありまくり」というのをモットーにしていますし、ここで書いた「車には興味がある」という方針変更も、自分としてはとてもしっくり来ています。

もしかしたら、こんな僕の姿は、傍から見ると「意見をコロコロ変える変節漢」に映るかもしれません。

でも、僕の中には、

「問い、考え、語る」ことが大切であるという“主義”を貫く“首尾一貫”は、いつでも常にしています。

そんな自負がありますし、これが意外と役に立つんです。


あかね

株式会社プロタゴワークス

https://www.protagoworks.com/


#ビジネス #仕事 #群馬 #高崎 #対話 #組織開発 #人材開発 #外部メンター #哲学対話 #主役から主人公へ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?