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モヤにまかれて右往左往

こんにちは。
株式会社プロタゴワークスあかねです。

「“それ”は自分にとってどういうモノなのか?手段なのか?目的なのか?それともそれ以外の何かなのか?」

そんなことを考えることがありました。

今年の2月頃から体調が悪くなって以来、「自分が好きだったこと」が出来なくなりました。

もうちょっと正確に言えば、「自分が好きだったことを、以前と同じようにやろうとするのであれば恐らく途轍もない労力と時間をかけても依然と同じようにすることは不可能であろうということがわかった」というような状態です。

なので、「やろうと思えばやってやれないことはない」わけですが、そのレベルと言うか、そのクオリティと言うか、その仕上がりと言うか、その到達水準と言うか、とにかくそんなようなモノが以前とは比較することが全く意味の無いことであるレベルなので―言うなれば「保育園児と大人が50m競争のタイムを競う」くらいの―それを「やる」と決めてやるのがとっても億劫になっているような感じでいました。

そんな感じでいるのであれば「じゃあ、すっぱりやるのをやめて違うことをしてみればいいじゃない」なんてことも考えたりもするわけですが、そうなると今度は「いやいや、でもここまでやってきたんじゃないか。こんなことで止めちまうのかよ?」なんて考える自分も出てきてしまったりして、そうなるともう強めのストレスがかかってくるのを自覚するのでそういうことを一切考えないようにするための“便利アイテム”に毎日のように頼っていました。

僕にとってのそんな“便利アイテム”というのはもちろんお酒です。毎晩何があっても必ずお酒を飲むようにして「余計なことを考えてしまってストレスを感じる」ということを無くそうと取り組んでいました。もちろん、この期間は“体調不良”が強めに影響していたのでジムにも行かず、一切の運動もせずに、ただただ晩酌に勤しんでいました。

その努力(?)の甲斐あり、“立派なファットの鎧”を纏うことに成功したわけです。

そんな“逆肉体改造”に成功した自分の体を扱って生活していると、前述の“体調不良”とは全く関係の無い事が明らかにわかる“体の不調”が起きてきました。

その“体の不調”の最たるモノが、動悸・息切れです。

少し早足で歩いたり、階段を上ったり、何かを拾うために一旦しゃがんで立ち上がったり、たったそれだけの事で息が上がるような体になっていました。これには我ながら恐ろしさを覚えました。

もちろん「加齢による衰えだよ」ということがあるのも理解はできますが、それでもまあ「それにしたってさ…」という気持ちの方が強くあるわけです。

そんなこともあって、「これは、ちょっと生活を見直さないとダメなんだろうな」というちょっとした切実さが湧いてきたので一念発起して生活をあらため始めたのが2週間ほど前からでした。

その皮切りとしてまず始めたのが「平日は、家ではお酒を飲まない。例外として仕事絡みでの会合に限ってOKとする」という取り組みです。
これは今のところ継続できています。
と言うのも、以前も同様の取り組みを続けていたことがあって、その時に「このポイントを押さえれば自分は大丈夫なんだ」と理解ができたところが見つかったので、今回もそれをそのままやっているから継続できているんじゃないかと思っています。

そのポイントは、自分自身にルールとして設定した「平日は、家ではお酒を飲まない+例外」です。

これによって、原則のルールとして設けている「平日は家でお酒を飲まない」については、そのまま「月曜日~金曜日は家でお酒を飲まない」わけであり、加えて、僕は基本的に“外に飲みに行く”ということがありません。あるとしたら“例外”に該当する部分に入って来るわけです。

そんな“自分に合ったポイント”を押さえることで常態化してしまっていた飲酒を抑えることがそれほど苦も無く抑えられるようになりました。

そんなことを思い返してみると、冒頭に書いたようなことを考えるわけです。

「“それ”は自分にとってどういうモノなのか?手段なのか?目的なのか?それともそれ以外の何かなのか?」

この場合は“飲酒”について考えてみました。

お酒を飲むという行為は自分にとってどういうモノなのか?手段?手段であれば“なんのため”の手段?目的?目的であればその目的とは何か?そもそも、体調不良になっていなかった時の自分は毎日のようにジムに通ってお酒をのまずにいたわけで、その時は“カッコイイ体・強い体を作るため”という目的があったからお酒を飲まないようにしていたわけで。だからお酒を飲まずにいられたのに、ジムへ行けなくなり運動で発散していた諸々を“誤魔化すため”お酒を飲むようになったんだった。ということは、この常態化していた飲酒は“向きあいたくない現実から目を背けるための手段だった”と言えるんじゃないだろうか?だけど、“体調不良という向きあいたくない現実”からは目を背けることができたけど、飲酒を続けることで今度は別の“ファットだらけの自分の体”という“向きあいたくない現実”が出てきてしまった。それに加えて、“ほんの少し動いただけで動悸・息切れが起きる”という“向きあいたくない現実”にも直面していて、それを「どうにかしなければ」と思っているからこそ「平日はお酒を飲まないルール」によって直ちに飲酒量を大幅に減らすことができた。ということなのかもしれません。

となると、次にやらなければならないこととしては「僕自身の目的を考える」ということになるんでしょう。

本来は、“目的”があるから“手段”を考えるわけですが、今の自分はその辺りが“体調不良”という予期せぬ出来事によって“手段の目的化”が至るところで起きてしまっているような状態だったわけです。

なので、このあたりであらためて「自分の目的」を今一度ハッキリとさせておくことで“向きあいたくない現実”に直ちに向きあって動き出すことが可能になって、今の自分が抱えているモヤモヤのようなモノを掻き分けて前に進むことができるようになるんじゃないだろうか?なんていう希望をほんの少し見出し始めています。

「“それ”は自分にとってどういうモノなのか?手段なのか?目的なのか?それともそれ以外の何かなのか?」

また迷宮入りしてしまって「迷っていること自体にモヤモヤする状態」に陥らないようにしっかり考えてどこかに記録しておいた方がいいんだろうなと思っているところです。


あかね

株式会社プロタゴワークス

https://www.protagoworks.com/

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