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その役割を果たしてみれば

こんにちは。
株式会社プロタゴワークスあかねです。

「最近の若い社員は、上司に仕事を手伝ってもらって成果が出てもお礼を言わないんだよ、なんて上司が言っていたんです」

とある金融機関の方がウチの会社に来てくれた時に“自社の話”としてそんなことを話してくれました。

「まだ未熟な社員が仕事を手伝ってもらって成果が出せたから手伝ってくれた上司にお礼を言う」

「これが“当たり前のこと”だ」と認識しているからこそ、その方やその上司の方は冒頭のような話をしているんだと思います。

でも、その“当たり前のこと”は本当に“当たり前のこと”なんでしょうか?

そもそもこの話の中に登場する“若く未熟な社員”とか“仕事を手伝ってもらって成果が出た”とか“お礼を言う”などのそれぞれの言葉が指し示すコトやモノは、誰から見たとしても“全く同じコトや同じモノ”を指し示しているのでしょうか?

上司や先輩から見えているのは“若く未熟な社員”かもしれませんが、本人自身は自分のことを“若く未熟な社員”だと認識しているんでしょうか?もしかすると“未熟さ”というモノの尺度や度量衡が、先輩上司と本人との間で大きくズレている可能性はないんでしょうか?

もしも、本人が「入社したての頃よりも今はずいぶんと成長した」という実感を持っていたとしたら“未熟さ”というモノが未だに自分の中に残っているという自覚はあまり無いかもしれません。

もしも“仕事を手伝ってもらって成果が出た”と本人が自覚できるとしたら、「自分の仕事の中でどこからどこまでが自力で出来た部分なのか?どこからは上司に手伝ってもらった部分なのか?」を理解していることが必要ですし、そもそも「手伝ってもらわなかったら成果は出なかった」ということも理解できている必要があるわけです。

それらが無ければ、当然ですが“お礼を言う”という行動が出てくるのは難しいですし、その必要性もわからないんじゃないかと思うんです。

逆に言うと、冒頭のような「最近の若い社員は、上司に仕事を手伝ってもらって成果が出てもお礼を言わないんだよ」ということが組織内で起きているんだとしたら、ほぼ間違いなく両者の間の様々な認識にズレが生じていることがハッキリしています。

この話に出てきた先輩は30代後半で上司は40代後半とのことでしたが、多くの組織で先輩や上司にあたる年代と言えば30代後半から50代のいわゆる“就職氷河期世代”が多いのが現状でしょう。今の“若者世代”よりも人口がずいぶんと多くいる世代です。

だからこそ“就職する際”どころか幼少期からずっと競争にさらされて生きてきています。本人が競争を望んだかどうかとか、競争のスタートラインに立ったかどうかに関係なく、いつの間にか始まっていつの間にか結果を突きつけられてしまうような“競争”がずっと行われ続けてきましたし、何なら今でも続いているのかもしれません。

そんな世代の人達は、それより上の世代の人達や世の中からは「いくらでも代わりがいる人間、替えがきく存在」として扱われ続けて生きてきています。

「できないヤツはいらない」とか「やりたくないなら辞めればいい」とか「お前の代わりなんて幾らでもいる」とか「別にお前じゃなくてもいい」とか、そういう言葉を直接ぶつけられた経験が僕にもたくさんありますし、直接的な言葉だけじゃなくて他者の言動からそれを受け取らざるを得ない経験もたくさんしてきました。そういう経験をした人達が世の中にたくさんいることもよく知っています。

一方で、今の“若者世代”は“就職氷河期世代”と比べると人口がずいぶんと少ないので幼少期から大事に扱われて周囲の大人たちからも優しく接せられてきています。
“個人”として尊重され、学校でも先生からは「〇〇さん」と敬称つきで呼ばれ、周囲の大人達が日向に日陰に手厚いサポートがあって社会に出てきて受け容れられているのが実情です。

そんな風に「どの時代に生れ落ちたのか」によって、同じ日本という国の中の同じ県の中で育ったとしても、社会も周囲の人達のマインドもルールも何もかも違ってしまっているので、当然ながら“考え方”も“価値観”も大きく異なっているのは当然です。

世代どころか、もはや「生きている時代が違う」と言っても過言ではありません。それこそ“文明開化”くらいのパラダイムシフトがあったのと同じ程度の“時代の変化”なのかもしれません。

それくらいの“違い”が現実として起きてしまっているわけですし、“時代の変化”は別に“若者世代”には何の責任もあるわけではありません。

であれば、「自分達の頃は」とか「昔は」とかそういうことを言っていたり考えていたりしても現実は何も変わりません。

「最近の若い社員は、上司に仕事を手伝ってもらって成果が出てもお礼を言わないんだよ」

なんて言いたくなるようなズレが起きているところから、様々なことを“同じ認識”にしていく必要性があるのであれば、こんなことを言っていても始まりません。

このズレを修正していく必要があるのであれば、その“若者”が周囲の人達(主に先輩や上司)からの“適切なフィードバック”をもらう機会が無くてはなりません。

そして、“適切なフィードバック”によって“組織内での認識のズレ”を修正するタイミングを、日々の仕事の中に埋め込む設計をして、それが狙い通りに実施される必要があります。

もちろん、それを継続していく中で“狙った効果”が出ているかを定期的に確認するタイミングも必要なのは言うまでもありません。

冒頭のようなことを上司が愚痴として話したくなるような現状なのであれば、早めに取り掛からないことには、これから育っていってもらわないといけないんですから“育つタイミング”がどんどん後ろ倒しになっていってしまいますし、それだけ“認識のズレ”があるまま時間が過ぎていくと、そのまま去られてしまう可能性も上昇していくんじゃないかと思っています。

組織の目的に合致している正しい基準や正しい規範を“適切なフィードバック”によって身に付けさせてあげるのが、上司や先輩の役割ですから、「最近の若い社員は、上司に仕事を手伝ってもらって成果が出てもお礼を言わないんだよ」ということに気付いたのなら、それは良い機会だったんじゃないでしょうか。

上司や先輩がしっかりと役割を果たして、若い社員にも適切な役割を果たしてもらえるようになると、そこで働くみんながハッピーに近づいていけるんじゃないかと思っています。



あかね

株式会社プロタゴワークス

https://www.protagoworks.com/

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