ついうっかり滲み出ているのかも
こんにちは。
株式会社プロタゴワークスあかねです。
「いやー、忙しくてなかなか時間が・・・」
仕事で関わらせてもらう経営者の方々や社員の方々もそうですし、仕事とは直接関係の無い経営者の方々もそうですし、この言葉を使っていない人はもしかしたらいないんじゃないかとすら思っています。
もちろん自分自身もしょっちゅう使ってしまっていますし、なんなら自分が誰よりも一番言っているんじゃないかなとすら思っています。
実際のところ、他者が「どれくらい忙しくてどれくらい時間が無いのか?」というのは僕にはわかりませんが、自分自身が「どれくらい忙しくてどれくらい時間が無いのか?」というのはよくわかっています。
いや、「わかっている」というのは語弊があるかもしれません。実際にわかっているのは「時間を作ることができるかどうか?」を「わかっている」ということのような気がします。
僕自身は、いわゆる“経営者”であって“労働基準法”で守られる存在ではありませんので極論すれば別に幾らでも仕事をしていても法律的には何の問題もありません。だから「時間が無い」なんてことは実際には起きません。“時間”はずっと流れているので、「何かをする必要がある」となれば時間は如何様にでも使うことができます。
とは言え、“自分の体”による制限はかかります。ある程度の時間が経つと眠くなりますし、お腹も空くし、考えることもどんどんできなくなっていきますし、疲労で動きがどんどん鈍くなっていきます。
なので、どれだけの時間があったとしても“有効に活用できる時間”という意味では「限りがある」ということになるかもしれません。
そうやって考えると、1日の中での大体“8時間程度”というのが有効に活用できる時間としてまあまあ妥当なところなのかもしれません。
じゃあ、その8時間をどうやって使っていくのか?
そもそも仕事をしていると“日常的に必ずやらなければならないこと”がたくさんあるわけです。
そして、僕たちが関わらせてもらっている企業の中には、組織開発や人材開発などに関わる取り組みの一環として“シン・やらなければならないこと”が追加されてくるわけです。
そんな“日常的に必ずやらなければならないこと”+“シン・やらなければならないこと”が合わさった時に、まず「時間が無くて」ということで「できなかった」に分類されるのが“シン~”の方になるのは当然だろうとは思います。
ただ、「当然だろう」とは思っていますが「まあ、しょうがないか」とは思っていません。
「やれなくてもしょうがない」のであれば、そもそも外部の僕たちが何故関わることになっているのか?
それは考えるまでもなく、「この組織で働いている当事者達が、今までのまま進んで行くと、この先の未来がヤバイことになってしまうことに気付き、何としてでも変えないといけないという危機感を持ったから」に他なりません。
そうでなければ、わざわざ“外部の人間”を自組織に招き入れて、今までやってこなかったような“新しい取り組み”をやり始めるなんていうことに時間もお金もかける必要は無いでしょうし、そんなことをするはずがありません。
だけど、「新しい取り組みを前に進めるために、いついつまでに〇〇を◇◇まで進めておいてください」ということを伝えたとしても、それが進まないということは案外よく起きています(もちろん、ちゃんと進めてくれるところもありますが)。
そういう時に必ず出てくるのが冒頭の「いやー、忙しくてなかなか時間が・・・」という話です。
僕も仲間も会社員として働いていた経験が長いので、“日常業務として必ずやらなければならないこと”に忙殺される日々についてはよくわかっています。とても忙しいでしょうし、報告や連絡や相談しなければならないことも山ほどあるのもよくわかります。そして、会社員という立場であれば、それら様々な業務を自分の裁量でどうにかできる幅も限られているのもよくわかります。だからついつい「忙しくて」と言いたくなる気持ちもよくわかります。
ただ、その忙しいさなかでも「そもそも、なぜ“新しい取り組み”を始めることになったのか?」や「なぜ“新しい取り組み”をここまで続けてきているのか?」について1㎜だけでもいいから考えてみて欲しいんです。
自分達が「この状況を何とかして変えていきたい。このままじゃ未来が先細りしてしまう」という切実な想いがあったから、そういう想いを“行動”という現実にしたからこそ始まった“新しい取り組み”だったはずです。
その取り組みを始めて進めてきたことで既に色んなことが変わりましたし、色んな恩恵があったはずですし、こうやって“大変な時期”がやってくるということも事前にわかっていたはずですが、この“大変な時期”に踏ん張って頑張って前に進めないことには、本当の意味では“望んだ未来”を自分達の手で創っていくことは難しくなってしまいます。
もちろん「忙しい」のはよくわかります。
そもそも、本当の意味で“誰かの役に立つ仕事”をしている人で「忙しくない」という人を僕は一人も知りません。
ただ、「とても忙しい」はずなのに、なぜか「時間を作って事を為す」という人は世の中にたくさんいるというのは知っています。
「忙しい」のであれば「事を為すための時間を作る」ところから始めましょう。
そうなると、当たり前の話ですが「今までやってこなかったコト・できていなかったコト」を「新たにやり始める」ということになるわけなので「新しいコトを身に付けるために頑張って取り組む」ということが必要になってきます。
「“今までの自分(たち)”を変える」というのは、こうやって必ず“新しい取り組み”という行動が付いて回ります。
そのための“行動”をしなければ「変える」とか「変わる」なんてことは絶対にできません。
ただただ「待つ」だけでは何も変わりませんし変えることもできません。
“自分”や“自分達”という存在がもしも「変わる」んだとしたら、それはたった一つの方法しかありません。
“自分”という存在にしかコントロールすることができない“自分の意志”をしっかり操って、“自分の意志”によってしか動かすことのできない“自分の行動”を起こして、“自分を変える”ことによってしか「自分を変える」ということはできません。
もっとも、「“自分の意志”を操る」という最初のステップのきっかけになるモノとしては、“モチベーション”というものが重要だと言われていますし、なぜだか「モチベーションを上げるのは“自分以外”の外側からの関りが重要である」と思っている人が多いようですが、モチベーションを“誰か”や“なにか”に頼ろうとしている時点で、「“自分の意志”を操る」ことを“自分以外の存在”に丸投げしていることになってしまうので、“モチベーション”というモノも自分の意志でコントロールするものであるというのは当然と言えば当然です。
そうやって考えていくと、冒頭の「いやー、忙しくてなかなか時間が・・・」という言葉を使うというのは、「“時間を作る”というのは自分の意志でできることですが、そんなことのために“時間を作る”という行為はしたくないんですよ」という意思表示になってしまっているのかもしれないなぁ、と思えてくるので“自分の意志”によってこの言葉を使わないようにしようと思っています。
そのはずなのに、染みついた習性なのか「やるべきことをできていない自分を誤魔化すための言い訳」としてついつい使ってしまっている気がします。
あの頃は誰も買ってくれる人はいませんでしたが“売る程の暇”があった頃が懐かしい・・・。
あかね
株式会社プロタゴワークス
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