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わかってるつもりでいるけれど

こんにちは。
株式会社プロタゴワークスあかねです。

自分の仕事や生活を、客観的な事実として振り返ってみることで、色んなモノが見えてくるような気がしています。

例えば、日々の中で起きる“重要な選択”や“重要な気付き”などがあると、こうやってnoteを書くことで振り返ったりするうえで、とてもやりやすいわけです。

でも、「そんな重要な何かは無かったなぁ」と感じる一日もあったりするわけです。特に、休日は仕事をしている日とは“頭のモード”が全然違ったりしているような場合が多くて、いざ自分を振り返ってみても、これと言った選択もしていなければ、これといった気付きも無かった。そう感じる一日があったりするわけです。

僕の場合は、noteを書く際に、「今日はどんなことがあったかなぁ」なんて一日を振り返ってみた時に「あ、これは書いて残しておいてもいいかなぁ」と思えるような何かが見つかることでキーボードを叩く手が軽やかに動くわけですが、今日のように「今日は本当にどんなことも無かったなぁ」と感じてる時には、キーボードを前にしてただただ困ってしまって「どうしようかなぁ」と思ってしまい、気が付くと(眠気によって)気を失っていて、ハッと気付くと時間が経ってしまっている。そんなことがよく起きます。もちろん、今日もそういう日です。

でも一方では、「いや、そんなことは無いはずだ」と思う自分もいたりするわけです。

「大の大人が、一日、自由に過ごしていて何も選択しないとか、何も気付かない、なんてことがあるんだろうか?」とも思ったりするわけです。

これが湧いてくると、やっぱり結局なんだかんだ言っても「何かはあるんだよなぁ」ということになる場合があるんです。「ああ、そうそう、こういうことをそういえば今日は感じたんだった」というような、日常の中で流れていってしまった大事な選択や気付きがあったりするんです。それを、一日の終わりに思いだせると、これはとっても嬉しいんです。「そうだったよなぁ。こう思ってたよ、確かに」って思ったりして。

そんなことは本当によくよく起きるわけですが、今日みたいに、徹底的に「何も思いだす事が無い」という日も、意外とたくさんあるわけです。

ということは、当然ながら、「ストックしている記事も無ければ、ストックしているネタも無い」というわけです。

自分みたいに、日々の中で書く事を考えて書いていくということをするとなると、確かにこうやって「マジで書く事が無い」なんていう日がかなりたくさんあるわけなので、本当に“ネタ帳”みたいなモノは作っておくと便利なんだろうなと、しみじみ感じます。

それでも“ネタ帳”を作らないままこうしているのには、特別な理由があるわけではありません。

何やかんやで、「結局、キーボードを前にしたら、手が動いて何某かは書けるんじゃないかなぁ」なんていう、何の根拠も無いような自分に対しての希望的観測みたいなものがあったりするような気がしています。本当にそんなことがあるかどうかはわかりません。でも、あるような気もしています。良く言えば、「自分自身に対して何の用意も準備もさせないことで、何かを書く訓練を積ませている」というような取り組みを己に課している。そんな風にも感じます。

一方で、“ネタ帳”のようなものを用意すればこんな苦労をしないで済むようになるはずなのに、毎日毎日同じような事を繰り替えていしてしまっている“学習能力が無い人間”として日々を生きているとも感じるわけです。

実際、僕としては前者の様な取り組みをしているつもりでもあるんですが、本当は後者なんだろうなとも思っています。

こうやって書いてみるとちょっと整理ができてきたような気がしているんですが、前者としての取り組みは、これまででもう十分にできてきたような気もしています。でも、後者の“ネタ帳”を日々作っておくという取り組みは、これまでやったことがありません。

なので、これからは、今日みたいな日に困らずに済むように“ネタ帳”みたいなモノを用意しておく、というのも自分にとって良い事なんじゃないだろうか?

そんな風にも思えてきたので、ちょっとばかり試してみようかと思っています。

と同時に、そうは言っても、結局はこうやって何やかんやでキーボードを叩くと何の意味も無いようことを話題に手は動くというのを体感できているので、これまでもずっと“ネタ帳”を作らずに来てしまったんだろうなぁ。

そんな事を思いつつ、今日は布団に入ろうと思います。おやすみなさい。



あかね

株式会社プロタゴワークス

https://www.protagoworks.com/

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