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きっと何かがあるはずだから

こんにちは。
株式会社プロタゴワークスあかねです。

「“好き”に理由なんて無い」

そんな言葉をよく聞くことがありますが、これって本当のことなんだろうか?

そんなことをよく考えます。

自分自身が好きな漫画や映画や本などについて「なぜこれが好きなんだろう?」なんてことを考えてみるんですが、これが一人で考えているとなかなか「これだ」という部分が出てこないような感じがします。

でも、ひとたび仲間との対話で「なぜそれが好きなんですか?」という問いかけをされると、それについて自分が考えながら語った言葉を自分が聞いてはじめて「ああ、そんな風に感じていたのね」なんて新たな発見をすることがよくあります。

そんな体験を何度もしてきたことによって、冒頭の「“好き”に理由なんて無い」ということについてはだいぶ懐疑的になっていて、今では「“好き”には必ず理由がある」とすら考えていて、もしも誰かにとっては「理由が無い」んだとしたら、それはきっと「“これが理由である”とハッキリ言えるほどの言語化がまだできていない」という意味なんじゃないかなと捉えるようにしています。

そんな「“好き”の理由」について他者と話をすると、よくあるのが「物心がついた頃から好き」とか「気が付いたら好きだった」という話が出ることが多いんですが、そういうことは僕もたくさんありますし、そんな昔の自分が何を理由にしていたのかなんてことは僕にもよくわかりませんし、そもそも、その当時の自分に聞いてみたところで要領を得るような話は聞くことができないだろうなと思います。

でも、“今現在の自分”にだったらその理由を考えて語ることができる可能性は高いんじゃないかなと思っています。

そして、もしも“それ”を少しでも語ることができたとしたら、その対象に対しての“好き”を今よりも更に明確にすることができるわけですし、自分自身の中の不透明だったものが明らかになることで“好き”がより一層際立ってくるように感じられる気がしています。

そんな“好き”とは逆のベクトル上に“嫌い”があるわけですが、これも同じように、その理由を語ることができるようになると色んなことがハッキリしてくるんじゃないかと思っています。

よく「生理的に嫌い」的な言葉を聞きますし、それと同じように“嫌い”の理由を考える必要のない文言として「なんとなく嫌い」とか「なんか嫌い」というような、そもそも「理由なんて無い」と言わんばかりに“嫌い”というカテゴリーに入れてしまうモノがあったりします。そして、“嫌い”と同じように「興味ない」という言葉も同様の使われ方をしているように感じます。

僕の経験上、この「(理由なく)興味がない」という言葉がたくさん使われていたと感じているのが、いわゆる就職活動(転職活動含む)における職業選択の場面でした。

就職相談の場面で、相談者の方が「〇〇の仕事は興味が無い」という話は、相手が老若男女問わず本当にしょっちゅう誰の口からも発されていました。

でも、当時から僕は「好きにも嫌いにも必ず理由はある」と考えていたので、「興味が無い」という言葉が出た際には必ずその理由を問いかけることにしていました。

そして、「興味が無い」と話してくれた方の口から、明確な理由が語られることはほとんど無かったように記憶していますし、そこから色んな話を聞かせてもらうと「興味が無い」に大半の理由は「知らないから、興味が無い」ということが明らかになっていくケースがほとんどでした。

そうして「興味が無い」ことの理由は「知らないから」ということが明らかになると、「知ったうえで、興味が持てるか持てないかを確認する必要がある」ということに多くの人が気付くことに繋がりましたし、そもそも「知らないから、興味が無い」ということが自分の職業選択という人生の中でも大きな選択の局面において「それが、どれくらいの損失に繋がる可能性があるのか?」を真剣に考えるきっかけになっていた人が多かったことを思い出します。

同じように、「好き」も「嫌い」ももしかしたらその理由が「知らないから」に起因していることがあるんじゃないか?なんて思うことはよくあります。

「好き」の場合は「他を知らないから」だったりするでしょうし、「嫌い」の場合は「対象をよく知らないから」だったりするのかもしれません(もちろんそれ以外にも理由はあるでしょうけど)。

そうやって考えてみると、自分が様々な物事の判断に使っている「好き・嫌い」という感情も、自分自身があまりよくわかっていないし、そもそも「好き・嫌い」について深く考えた事が無い可能性が高かったりもするわけです。

なので、今でも「ああ、これ好きだな」とか「これはちょっと嫌いだな」と感じた時には、出来る限り“その理由”を考えて言語化するように頑張ることにしています。

とは言え、やっぱり僕の頭の中でだけ考えたことは全然語れる言葉にならないことが多いので、仲間との対話で言語化してみたり、時にはこうやって文字にしてみることで整理したりすることにしています。

でも、言葉や文字にしている分量よりも明らかに“頭の中だけに浮かんだモノ”の方が多いんだろうと思っているので、なかなか自分の中の整理ということができていない感じがしっぱなしです。本当に、自己理解というモノは終わりが無いしどこまでいってもまだまだなんだなと思い知らされます。

もっとしっかり言語化できて、それが自分でもしっくりくる感じになるくらいまでハッキリ語れるようになりたいなと思っています。



あかね

株式会社プロタゴワークス

https://www.protagoworks.com/

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