なんでどうしてなぜなのか
こんにちは。
株式会社プロタゴワークスあかねです。
「なんか新しいことやりたいんだよね」
「“なんか新しいこと”ってどんなこと?」
「なんか新しいことってのは、普段とはこう、なんかが違ってさ、それでいて今までには無かったような何かがあって、新しさがあるようなことっていうかさ」
「うーん…何かを言っているようで、結局何も言っていない感じがするんだけど?」
「いや、だからさ、なんか新しいことがやりたいんだよ!」
友だち同士の会話だったり、飲み会の中での会話であれば、こんな会話のやり取りをしているのもそれなりに楽しいんじゃないかなと思います。
でも、こんな会話が“自分の働く組織の中”で行われていたとしたら、なかなかに背筋が寒くなるような感じがしてきます。
でも、実際にはこんな会話がされていたりするのを実体験としても味わっていますし、色んなところで見聞きしています。
こんな時、大抵は“なんか新しいこと”をやりたい人からの発信で話がスタートするわけですが、話をスタートしておきながらも“なんか新しいこと”以外のことは考えていない状態で話はじめるから、それを受ける側の人達の間には大きな混乱が生じてきます。
何しろ、「何に対しての“なんか新しいこと”なのかがわからない」とか、「“なんか新しいこと”をなんのためにやるのかがわからない」というような疑問が一切解消されないままに、その話を何とか勢いだけでゴリゴリと押し進めようとするわけですから。
そんな“受ける側”に上記のような疑問が発生している状態においては、「“なんか新しいこと”をやりたい」と“発信した側”の人の中には、本来の意味での“目的”が存在しないままに言葉を発している状態なのは間違いありません。
つまり、“発信側”の人はスタート時点から“手段の目的化”が起きている状態で、そんなことになっている自分自身に気付かずに周囲の人に働きかけをしてしまっているわけです。
こうなると、発信した本人も、それを受けた周囲の人達も、途轍もなく“残念”な状態に陥ってしまいがちです。
でも、そんな“残念な状態”から脱する方法が一つだけあります。
それは、“受ける側”の人達から“発信側”の人に向けて、こんな問いを投げかけることです。
「その“なんか新しいこと”ってのは一体何のためにやろうと考えてるの?」というような問いです。
それはそのまま、「“なんか新しいこと”をやる目的を確認するための問い」です。
この問いを向けられることで、“発信側”の人はここから初めて“なんか新しいこと”の目的について考え始めることになるのかもしれません。
もしくは、実はもう既に“目的”についてはしっかり考えていて、この問いを向けられるまですっかり忘れていただけなのかもしれません(可能性は極めて低そうですが)。
そうして、“目的”について語られることがあれば、そこで初めて“目的の共有”ができるので、そこから“なんか新しいこと”をやるかどうかについて“みんな”で考え始めればいいんじゃないかなと思っています。
逆に言えば、周囲の人を巻き込んで“なにか”をやろうと考えて発信しようとする時には、自分の中に何の有用なアイデアの種が存在しなかったとしても、せめて“なんのためにそれをやるのか?やりたいのか?やろうと思うのか?”くらいの“目的”について語る事ができなければ周囲の人の力を借りることは叶いません。
でも、“なんのために新しいことをやりたいのか?”の“目的”について真剣に情熱を込めて語ることができれば、それはきっと“受信側”の人達にとっては「発信側の想いを共有できた」ということに繋がり、そこで“発信側”の想いに共鳴するような“受信側”の想いが生まれることに繋がるんだろうなと思っています。
なんのためにやるの?なぜそれをやるの?どうしてそんなにやりたいの?
それらについての本気の想いを語るところからしか、自分以外の誰かの力を借りるなんていう大それたことはできるはずが無いんだろうなと、他者の発信するのを耳にして、あらためて感じた次第です。
あかね
株式会社プロタゴワークス
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