コーヒーでもどうですか
こんにちは。
株式会社プロタゴワークスあかねです。
生来の気管支の弱さが大いに実力を発揮して、この春先からしばらく咳が続いていたので病院に通って薬をもらっていたんですが、その薬をもらう時に薬剤師さんから「普段、コーヒーは飲みますか?」という質問を受けました。
日課のように毎朝コーヒーを入れて飲んでいたので「はい。毎日飲んでいます」と答えると、薬剤師さんがある薬を示して「この薬を飲んでる時はコーヒーを控えて下さい。カフェインの影響で手が震えたりすることがあるので」とサラッと恐ろしいことを教えてくれました。
「手が震え出したら困るなぁ…」と思ったので素直に薬剤師さんの言う事をきいてしばらくの間、コーヒーを飲むのを止めていました。
出社してコーヒーを入れるのが毎日のルーティンだったのでしばらくの間は何となくリズムがズレるような感覚がありましたが、コーヒーを飲まないからと言って特にこれといった不都合があるわけでもなく、かと言って“飲まないことによるメリット”を感じられるわけでもなく、しばらくするとコーヒーのことをあまり思い出さないようになりそのまま時間が経過していきました。
そうして最近では咳も止まってきたので薬を飲むのを止めてみたので、ついでに「そうだ、コーヒーでも飲んでみるか」と久しぶりにコーヒーを淹れて飲んでみました。
実は久しぶりに飲むコーヒーに少しだけ期待をしていました。
「久しぶりのコーヒーってやっぱうまいなぁ」なんてちょっとした感動を味わえるんじゃないかという期待です。
でも、実際に数週間ぶりに飲んだコーヒーは特に何かの感動があるわけでもなく、まるで昨日の朝もそれ以前もずっと飲み続けていたかのように、とてもスムーズに僕の生活にそのまま馴染んできました。
加えて、以前もそうでしたが相変わらずコーヒーを飲むことによる“覚醒効果”のようなモノを体感することもできたわけでもありませんでした。
ただ、朝会社に来てお湯を沸かしてコーヒーを淹れるために道具をセットしてコーヒーの粉をフィルターに入れ、その上からお湯を注いでコーヒーが落ちるのを待っている時間は、何と言うか久々に体感してみたらなんとも言えず“いい時間”に感じました。
お湯の温度もお湯を注ぐ量も速度も何のこだわりもなく、ただ漫然とお湯を注いではコーヒーが落ちるのを眺めているだけの時間が一日の中にあるのが、その時間だけ“非日常感”を味わえるような感じです。
何も考えずただ「コーヒーを淹れる」ということしか考えておらず、かと言って「集中している」というわけでもなく、ボーっとしながらボンヤリコーヒーが落ちてくるのを待ちながらお湯をちょっとずつ注いでいくのが“単純作業のリズム運動”みたいな心地よさを感じられるからこそ、この時間を“いい時間”だと感じていたのかもしれません。
そうやって考えてみると、こうやって「適当にコーヒーを淹れている時間」のように、“ボーっとしていながら一つのことに集中しているかのようでありながら自然体でいながら適度に注意力を発揮しつつリズムを刻みながら行為に身を任せている体感”というのが、生活を振り返ってみると案外と無いような気がしてきました。
そんな“適度な集中とリラックス”を感じていたから、このコーヒーを淹れる時間を“いい時間”だと感じていたのかもしれません。
そんな時間を久々に味わって、今日は朝からコーヒーを飲んでみたので、ここ数週間で体から抜けきったはずのカフェインが体の中で何らかの作用を起こすのかどうか。もしかしたら“寝つき”に影響があるかもしれませんが、なにはともあれ、うっかり昨日までのように“就寝前の咳止めの薬”を飲んでしまわないように気を付けようと思います。手が震えて眠れなくなったら嫌なので。
あかね
株式会社プロタゴワークス
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