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“歩”だって進み続ければいつか“と金”になるんだぜ

こんにちは。
株式会社プロタゴワークスあかねです。

「本物って、全然違うんだな…」

つい先日、仲間と同行していた出先からの帰り道に、またもや大好きな中華料理屋さんに寄ってお昼ご飯を食べてきました。


「寄って」なんて言うと、かなりの“ついで感”がありそうですが、実際には出先から会社に帰る道すがらにそのお店はありません。

全く別の方角へ向かう必要があるので、「出先で用事を済ませて、次の用事である“中華料理屋さんでご飯を食べる”を済ませ、ようやく帰路についた」というのが正確かもしれません。

そんな“わざわざ感”が山盛りになっても、やっぱり時々行きたくなるのがそのお店の魅力なんだろうな、なんて自分を正当化しつつ、お店に着いた時間が昼の12時40分頃。

世の中ではいわゆるお昼休みタイムの後半まっただなかです。

これまでにも何度かこのお店でお昼ご飯を食べてきましたが、僕が来たことのある時間はそう言えばいつも午後1時をかなり過ぎてからの来店だった事を思い出しました。

“ランチタイム真っただ中”にこのお店に来たことは一度も無かったので、この時に初めて思い知りました。

なんと、あれだけいつもガラガラだと思ってたお店の目の前の駐車場は満車で、少し離れた第二駐車場に車を停めて少し歩いて店内に入ると、普段座るテーブル席は満席です。

すると、店員さんが奥からやってきて、なんと宴会用の個室に通してくれました。あの、“クルクル回るテーブルが付いている円卓の部屋”にです。

このお店に来るたびに、「あの円卓のある部屋に座る事はさすがに無いよなあ。ここは家から遠いし、家族で来るにはちょっと不便だし、会社からもだいぶ離れてるから仕事絡みの宴席なんていうのも難しだろうし」なんて思っていたんですが、たった二人で円卓の部屋に通してもらう日が来るなんて。

大昔、家族とどこかの中華料理屋さんに行った時に、円卓に座った記憶はありましたが、なにぶん昔のこと過ぎていまいちよく覚えていなかったので、まずは確認をする事にしました。もちろん、あの“クルクル回るテーブル”をクルクル回してみてどれくらいスムーズに回るのかを、です。

そんな事をしている間に、メニューが運ばれてきたので、「今までに食べた事の無い物を頼む」という事を忘れずにメニューを眺め、“知ってる味”を頼みたくなる自分の保守精神を制して注文しました。

ワクワクしながら頼んだ“牛肉とピーマンの細切り炒め定食”が運ばれてきました。

「メニューにはそう書いてあったけど、これは青椒肉絲とは違うんだろうか?」なんて事を思いながら食べてみると、さっきまで思い浮かべていたメニューの表記と青椒肉絲との違いなんて全くどうでもよくなるほど、とにかく美味い。

レトルト食品の中華料理シリーズのCMの如く、ただひたすらに、炒め物を口に運び、ご飯を口に運び、スープを飲んで、合間に時々水を飲み、付け合わせのザーサイを齧る、という動作を繰り返すだけのマシンと化しました。

食後には、いつも“とにかく良い香りのお茶(どうやら、ジャスミン茶らしい)”を出してくれるんですが、食後に飲む温かいこのお茶が最高に美味しいんです。

ここまできたら、もう心も体も大満足して、しばしリラックスタイムです。

そんな中で、前から感じていたモノが言葉になって出てきました。

「やっぱり、本物って素人にもわかるんだなぁ」

世の中に“美味しい物”はごまんとあります。
ここ群馬にもたくさんあるでしょうし、もちろん各都道府県どころか、世界中に美味しい物はあるでしょう。スーパーやコンビニに売っている物だって美味しいと感じる物はたくさんありますし、あまり食べる機会はありませんが“冷凍食品”も今はかなり美味しくなっているという話を聞きます。

もちろん“美味しいと感じるかどうか”は完全なる主観ですし、万人がこのお店のご飯を美味しいと感じるかどうかで言えばそんな事は無いんだとは思います。

だけど、ここのご飯を食べた後の“満足感”は、あんまり感じる事が出来ないけれども、時々ごく少数ながら他の物や他の事柄でも感じる事があったりする“満足感”と同じような気がするんです。

そんな“満足感”を思い返すと、ここ最近では、今取り組んでいる新しい“学び”にもその満足感を感じます。

「じゃあ、そこに共通するモノって一体何だろう?」と考えてみると、それが、ここのご飯を食べた後に言葉として出てきた“本物”って事なんじゃないかなと。

もちろん、ここで言う“本物”って言うのは、あくまでも僕が感じる本物であって、それを感じないから“偽物”だと言いたいわけではありませんし、そもそも僕自体が“本物”かどうかと問われたら、それについては「よくわかりません」と答えるしかありません。

“本物”かどうかは、“その物やサービスを提供された側”が決める事でしょうし、決めてよい事なんじゃないかなと思うんです。

「何を持って“本物”とするのか?」については、完全に“その人の主観”以外の何ものでもありませんので、それが“客観的な事実かどうか”というのはあまり関係ない話です。

でも、少なくとも“そのサービスを提供された側のその人”からしてみると、それは紛れも無く“本物”であり、それ以外のモノとは明確に差異化されて認識されているじゃないかなと思います。

もちろん、僕が感じた“このお店のご飯”も“取り組んでいる学び”も、僕にとっては紛れも無く“本物”で、それ以外のこれまでに触れてきた同様のカテゴリーのモノとは、明らかに差異化されているような感覚があります。

「“本物”と“それ以外”の違いが、なぜわかるのか?」

当然そんな問いも浮かんできたりはするんですが、それについては、今のところ僕にはわかりません。

ただ、食べている時や食後の“高揚感&満足感”が、それ以外の同カテゴリーのモノとは明らかに違うんです。

学んでいる時や講座が終わった後の“高揚感&満足感&納得感”が、それ以外の同カテゴリーのモノと明らかに違いますし、その後に自分で使ってみる事が出来るし、使ってみた時の出来上がりと前に進む感じが、全く次元が違うんです。

そんな事が僕の中で現に起きているので、そういう事実を生み出してくれるようなモノを総じて“本物”と呼んでいる。

そんな感じです。


自分の身の周りで、これだけ“本物”に出会ってしまうと、僕たちの提供しているサービスも「誰かにとっての“本物”として在れるように」。そう願ってしまうのはもう仕方ありません。

「せめて、昨日の自分をほんの少しでも越えていられるように」それを常に行動に起こして日々の仕事に取り組む。

それが、僕の考える“本物”である為の最低ラインの条件なんじゃないかなあ。

そう思いつつ、今日も自分に問いかけます。



「昨日の自分を越える為の取り組みをしたかい?」

この問いに対する、一点の曇りもない本当の答えは、自分だけが知っています。


さて、今日の自分はどうだったかな?



もちろん、考える迄も無く答えは瞬時に浮かんできます。




「当たり前だろ。だって、“本物”目指しているんだぜ」



あかね

株式会社プロタゴワークス

https://www.protagoworks.com/


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