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折り紙の難しさに潜んでいたミゾ

こんにちは。

株式会社プロタゴワークスあかねです。

休日の今日、子どもと一緒に折り紙をやりました。

子どもから、「マジックキューブをつくろう」と言われ、何の事やらわからなかったので「それが何かわからない」と伝えると、ネットで調べながら作ろうと提案を受けました。

検索して出てきた情報を見ると、どうやら折り紙で箱のような形状のモノを作って、それを糊で貼り付けて繋げていって遊ぶモノのようでした。それが、今、本人の中と、周囲の子ども達の間でとても流行っているから作れるようになりたいとのこと。

僕は、立体を頭の中で想像して体現するのがあまり得意ではないという自覚があります。

折り紙もそうですが、数学の“展開”というものが頭の中で全然イメージできなくてなんだかよくわかりませんし、知恵の輪のような立体パズルも動きをイメージすることが難しいですし、格闘技の寝技でもお手本を一回見せてもらってもその動きを頭の中で再生する事もできませんし、自分の動きとして体現することもできません。何度も確認して、何度も試して、何度も修正しないと体現ができないのでこの辺りの“センス”みたいなのはとても低いという自覚があります。

そんな苦手があるからなんでしょう、折り紙も“お手本”を見ながら折っていても、よっぽど簡単なモノ以外は一回でキレイに折れる事はほとんど無かったので、折り紙には苦手意識があって、子どもの頃から“紙ヒコーキ”くらいしか折らずにここまできました。

ただ、子どものたっての願い(?)というのもあって、「それなら、よくわからないけど折り方も検索してみるか」と出てきたページに、折り方が写真と文章を添えながら出来上がるまで順序通りにならべて解説してくれているページがあったのでそれを見ながら進めてみました。

が、これが、僕にはとてもハードルの高い手順書でした。

確かに、一つのアクションごとに1枚の写真と解説があったんですが、そこで使用されている折り紙の色が“淡いピンクのような色”でした(実際には僕にはわからないので、子どもに色を教えてもらいました)。もちろん、折り紙の裏面は白色です。

こうなると、いわゆる“色弱”の僕にとっては、「どっちも同じ色」にしか見えません。なので、折り紙が折られているのは形状の変化によって認識できるんですがが、それが表面なのか裏面なのか判別がつきづらくて、更に解説には“色”を用いた解説になっているので、ほとんど全く理解ができませんでした。

子どもは、“色弱”ではないようなのでそのページどおりに進めているようでしたが、折り方についての質問を僕にしてきます。そして、僕は答える事ができません。

僕の色の見え方については、日常的に何かある度、例を示して伝えてはいるので「見え方に違いがある」というのは理解はしているようですが、「それがあると、目の前のモノがどう見えるのか」までは今ひとつよくわからないらしく(当たり前ですが)、僕がわからない理由がわからない様子でした。

こうなるとなかなかのカオスです。

折り方がわからない子どもが“自分のわからないこと”について質問をしてくる。

僕は、色の見え方によって折り方がわからないので、それをそのまま伝え「わからない」と答える。

そうすると、子どもは“親切心”から“写真の色”について解説してくれる。

僕はそれを聞いても、どこが何色なのかわからないのでそれを伝えるが、子どもは自分には見えていて判別ができるので、それをまた繰り返し伝えてくれる。

以下ループ。

てな事になりそうだったので、この流れが見え始めてきたところで、別の提案をしていくわけです。

「じゃあ、動画で折り方を見てみよう」と。

僕が子どもの頃にも、こんなようなやり取りでの行き違いはしょっちゅうあったような記憶がありましたが、現代は“動画”というモノがとても気軽で身近になっているので、「こんな時はYouTubeの出番かな」とすぐに切り替える事ができるのでともて便利な時代になったなぁと感じます。

こうして、折り紙問題は解消していき、子どもも無事に“マジックキューブ”の折り方をマスターできたようだったので一件落着です。

と同時に、

「この一連のやり取りは、様々な企業の中で起きている“人材育成の問題”と全く同じ側面があるよなぁ」という事にあらためて気付きました。

僕は“色弱”という、いわば“マイノリティ当事者”としてずっと生きてきています。

だけど、僕が該当している“色弱”は、今の社会的には“弱者としての位置づけ”はほぼされていないのを実感しています。

“色弱”だからといって、そこで起きる不利益を声高に言いつのっている人は、僕も含めて僕の周りにもいませんし、そういう団体があるかどうかもしりませんし、それが社会問題になっているという記事も読んだ事も無ければ誰かが問題にしている話も聞いたことがありません。もちろん、僕も特に問題だと感じた事もありませんし、「まあ、そういうもんだから」と感じています。

ただ、“嫌な思い”これまでたくさんしてきましたし、これからもきっとするでしょう。

なぜなら、「この色の見え方は、そうじゃない人には絶対にわからないから」です。

色弱の人間からしたら、明らかに「わかりづらい色の区分け」が、この社会には山ほど存在しています。例えば、僕にとっては「赤と緑は反対色である」という区分けがそもそも“なぜそうなっているのか意味がわからない”という部類のモノだったりします。そして、同じく“色弱”に分類されている人であっても、この「わかりづらい色の区分け」は人によって異なるらしいです。同じ“マイノリティ当事者”であっても、この見え方は共有できない部分も多多あるようです。

なんていう「“マイノリティ当事者”としての生きづらさ」を延々と披露したいわけではなく、ここはただただ「そういう世界があるんだよ」という前提の共有のつもりで書いてみました。

この前提のように、「全然大きな問題でも無いような、色の見え方の違い」程度のものでも、これがもし「マジックキューブを製造する職業」だったとしたら、僕は「この仕事に適正の無い人である」と判断される可能性が高かったわけです。

だけど、それは、「この作業の指示が、“色の判別”を基準として採用している場合」です。

でも、作ってみてハッキリわかったのは、マジックキューブづくりにおいては“色の判別”を基準にすることに意味はありませんでした。恐らく、「説明する人からすると、最も簡単に説明をする時に示す基準を色にするのが簡単だしわかりやすいと”その人が”感じたから」が理由でしょう。もちろん、個人の方が作成しているWEBページなのでそれで何の問題もありません。ただ、これを仕事として考えた場合には、僕が今回やってみたように“動画で手順を示す”という事をしつつ、それを見て作業をした人達から「この辺がわかりづらかった」などのフィードバックを多くの人からもらって改変を何度かしていくだけで、「どんな特性を持っていても、かなりの大部分の人達に“マジックキューブ”を再現してもらう事が可能な作業マニュアル」が完成するだろうなと、容易に想像ができました。

こうなると、「この仕事に適正がある人」とされる人の幅はグンと上がります。当然、生産性は上がりますし、当たり前ですが「役に立つ」わけです。

僕自身が、過去に“色弱”である事から感じることの多かった「嫌な思い」は、自分が携わっている組織開発という仕事に「役に立つこと」として変換してみると、昔の自分みたいに“困る人”や“嫌な思いをする人”が増えないですむ事に繋がるんだなあと、これまでもずっと考えてきましたが、今日あらためて感じる事ができました。

“マイノリティ当事者”の僕であっても、同じ種類に分類されるけど別の特徴を持つ“マイノリティ当事者”の見ている世界をわかる事はできませんから、そもそも、「“色弱”じゃない人達が“色弱”の人達の事を理解する」なんて事がどだい不可能なのは百も承知です。

でも、「絶対に理解できない」からこそ、「自分とは別の人が見ている世界」を包摂するために、意見を聞いたりフィードバックをしあったりすることって絶対に必要不可欠なんだろうなと、強く感じています。

だから、相手が子どもであっても対話が必要だし、仕事をする場面でも対話が必要だし、イザコザや問題や諍いや争いが起きているところを、どうにかするためには、”問う”から始めて”考える”をして“語る”を回す対話が無いと、みんなで「役にたつこと」を生み出す事が必要なんだろうな。

そんな事を、折り紙で“マジックキューブ”を作りながら考えました。

時間をかけて10個くらいの連なりを作ったので、満足のいくものが出来て気をよくしたからか「明日は、100個作るぞ」とか子どもが言っていたけど、まさか、明日も一緒にやることになるのだろうか・・・。



あかね

株式会社プロタゴワークス

https://www.protagoworks.com/

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