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魔法の言葉を唱えていこう

こんにちは。
株式会社プロタゴワークスあかねです。

「社内の別部署の人達がどんな仕事をしてるかわからない」

様々な業種の組織に属して様々な職種で働いている人達と話をしていると“こんな話”を聴くことがよくあります。

ウチが仕事で関わらせていただく企業さんはその全てが中小企業なので、これは大企業で起きている話ではなくて数人~数十人規模の組織の中で頻繁に見聞きされるようなごくありふれた話です。

そして、場合によってはこんな話もよく聞きます。

「同じ部署の人達が日々どんな仕事をしているのかわからない」

もちろん僕が知っている全ての中小企業がこういう状態であるわけではありませんし、当然ながら「社内の誰がどんな仕事をしているのかお互いによく知っている」という組織もたくさんあります。

ただ、往々にして「この組織の中には問題課題があります」とか「組織内の人間関係に問題があります」なんていう認識が組織のメンバーの中にある場合には、冒頭のようなことは確実に起きていますし、同じ部署の人がどんな仕事をしているのかよくわからないなんてことも起きていることがほとんどです。

なぜこういうことが起きるのかと言えば、実際の理由はとてもシンプルで「“目的の共有、円滑なコミュニケーション、相互協力”が実現していないから」だとハッキリ言えるわけですが“こういうこと”が起きている組織で働く人たちは往々にしてこんな風に話をしてくれることがほとんどです。

「ウチの会社は、みんなコミュニケーション取れててみんな仲良いんですよね」と。

こういう話が出てきた時には必ずこんな問いかけをしてみることにしています。

「“コミュニケーションが取れていて仲が良い”というのは具体的にどういうところから感じますか?」なんていうような問いかけです。

そうすると、それぞれの人達が認識している“コミュニケーション”というものと“仲が良い”という状態についての話を聴かせてもらえるので、それぞれの人達が認識している“コミュニケーション”や“仲が良い”ということが組織や仕事にはどんな風に役立っているのかについても聞かせてもらうことができたりします。

そうして段々と見えてくるわけです。

「ウチの会社は、みんなコミュニケーション取れててみんな仲良い」はずなのに、なぜか「「社内の別部署の人達がどんな仕事をしてるかわからない」とか「同じ部署の人達が日々どんな仕事をしているのかわからない」ということが起きているということの理由が。

そこで見えてくるモノの中での最も大きな要素の一つとしては例えばこんなモノがあります。

「“組織”の中で必要とされる“コミュニケーションをとる”というコトの意味や意義と、その人個人が個人として認識している“コミュニケーションをとる”の意味や意義に大きなズレが生じている」というモノです。

これについて考えるとこんな“問い”が必要になるんじゃないでしょうか。

「“組織の中で必要とされるコミュニケーション”とはどういうモノなのか?」

そして、

「自分にとっての“コミュニケーションをとる”とはどういうことか?」

この二つについて“考える”をすることで、「「社内の別部署の人達がどんな仕事をしてるかわからない」とか「同じ部署の人達が日々どんな仕事をしているのかわからない」ということが起きているということの理由が見えてくるんじゃないかと思っています。

そうして大抵の場合はこんなことが浮き彫りになってくるわけです。

「これまで考えていた“コミュニケーションをとる”というのは、主に挨拶をしたり、雑談をしたり、笑顔で受け答えをしたりすること。“コミュ強”であれば、面白いことを言って相手を笑わせたり、いじったり、からかったり、茶化したりして“場を盛り上げるための関り”をすることだと認識していた」

「だけど、“組織の中で必要とされているコミュニケーション”というのは、そもそもが同じ“目的”を共有して、お互いに協力をしあって“仕事”をして“成果”を出すことであり、それをするために必要な情報を伝えあったり報連相を円滑に行うことである」

この浮き彫りになってきた二つのことを合わせて考えてみると、「「社内の別部署の人達がどんな仕事をしてるかわからない」とか「同じ部署の人達が日々どんな仕事をしているのかわからない」ということが起きているのであれば、そもそも「“目的”を共有して、円滑なコミュニケーションをとって、お互いに協力する」なんてことができるはずが無い、ということがハッキリわかってしまいます。
例え、どれだけ「雑談をして冗談を言い合って場を盛り上げてみんなで笑い合っているような“コミュニケーション”が取れていたんだとしても」です。

とは言え、“組織”ではなくて“目的”も特に共有していなくてOKで、特段お互いに協力し合う必要もないし、“成果”なんて求められることがないような“人の集まり”なのであれば、雑談や冗談の言い合いや場を盛り上げることやいじりいじられ笑いを取るってことが大事になってくる状況もあるんじゃないかとは思っています。そんな状況であれば、いわゆる“キャラ”や“場の雰囲気”とか“空気”が大事になってくるのかもしれません。

でも、“組織”であれば「雑談をして冗談を言い合って場を盛り上げてみんなで笑い合っているような“コミュニケーション”」なんかよりも大事なことが明確にあるわけです。

「“目的”を共有して、円滑なコミュニケーションをとって、お互いに協力する」をしなければ“仕事”で“成果”を出すことはとっても難しいです。そして、この難しいことをするためにはこんなことをお互いに知って把握しあえているとスムーズになることがハッキリしています。

「“同じ組織で働く仲間”が、どんな仕事をしていてどんなことを考えていてどんな思いがあって何のためにそれをしているのか?」

“こういうこと”ができているのが、「コミュニケーションが取れている組織」と言えるんじゃないかなと思っています。

“組織”においては、“コミュニケーションをとる”のは単なる手段ですし、“みんなの仲が良い”というのは単なる結果としての状態です。

「そもそもの“目的”は何か?」

この“問い”が抜け落ちてしまって、いつの間にやら“コミュニケーションをとる”とか“仲の良さ”が目的化されてしまった結果として、冒頭の「社内の別部署の人達がどんな仕事をしてるかわからない」という状態に繋がってしまって、仕事はしづらいし協力はできないし息苦しくて閉塞感を感じるような組織が出来上がってしまうことに繋がってしまうんじゃないかと思っているので、いつなんどきでも常に誰もが自分の中にこの“問い”を持って、そして、いつなんどきでも口に出してその場にいる人達と自分自身に対して“問い”を言葉として投げかけていけば、手段としての“コミュニケーション”の必要性と重要性を思い出して実践することに繋がるんだろうと思っています。

「そもそも」は、組織が組織として健全に機能するための魔法の言葉なのかもしれません。


あかね

株式会社プロタゴワークス

https://www.protagoworks.com/

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