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ぜんぶまるっとひっくるめ

こんにちは。
株式会社プロタゴワークスあかねです。

「仕事とプライベートは別」

「仕事は仕事、プライベートはプライベート」

そんな話を、ずっと昔から色んなところで聞いてきましたし、自分もそう思っていた事が確実にありました。

だから、会社の行事などが休日にあったりすると、

「なんで休みの日にまで仕事関連の人達と顔を合わせないといけないんだよ」

なんてことを思っていましたし、それは自分にとって「嫌な事」だという風に捉えていました。

でも、今はそう思ってはいないしそんな風に思う事も無くなりましたので、過去の自分がその頃「なぜそう思っていたのか?」について、今はもうハッキリとしたことを語ることができません。推測混じりのボンヤリとした記憶みたいな感じでしか思い出せないような感じです。

昔と今で、「なぜ変化したのか?」については、パッと思い浮かぶものはありません。あるのは、ぼんやりとした「こういうことなのかなぁ?」というような憶測めいたものと、現状の自分が考えていることからの推測くらいしか材料がありません。

何しろ、過去の自分自身が、「なぜ仕事とプライベートは別だと思っているのか?」について一度も考えた事なんてありませんでしたから。

「それを考えたことが無かった」ということについては、ハッキリと思いだせます。かなり昔のことであっても、自発的に「考えよう」として考えたことについては大抵は覚えていたりするんです(これが何故なのかはよくわかりませんが、そういう作りになっているってことなのかな程度に思っています)。

そして、そもそも「プライベートとは何のことを言っているのか?」についても一度も考えたことがありませんでした。

プライベート【private】
[形動]個人的な物事であるさま。公のものでないさま。私的。「―な用件で早退する」
[補説]「仕事とプライベートを区別する」「プライベートを明かす」などのように、「私生活・私事 (しじ) 」の意で名詞的に用いることがある。

辞書にはこう書いてあります。

とすると、「仕事とプライベートは別」と思っていた自分は、もしかすると「仕事=公・プライベート=私生活」という区分けをしていたのかもしれません。

でも、そうなると「仕事=公」としているんですから、今度は「公」の意味を調べる必要が出て来るでしょう。

何しろ、その頃の僕は「公」についてすらも自発的に考えたことなんて無かったはずだったので。

そんな「公」についてすら考えたことの無かった僕が、「仕事とプライベートは別」と思っていたりしたということは、実は、「仕事とそれ以外」という大雑把な区分けをしていただけだったのかもしれないという事に思い至りました。

それが見えてくると、そこから更に見えてくるものがありました。

「仕事というものは自分の人生の中に積極的に入れたくないし歓迎したくないもの」であり、「仕事以外のものこそが自分の人生として積極的に考えていきたいし歓迎したいもの」なんていうふうにボンヤリ考えていたんじゃないかなと思うんです(まあ、あくまでも今の時点から過去の自分の頭の中を推測すると、という話ですが)。

じゃあ、そんな価値観はどうやって自分の中に生まれてきたのか?

これが、今の自分からはどうやって考えてみてもわからないんです。全てが憶測と推測になってしまうので、過去の自分がどうやってこの価値観を手に入れたのかはもうわかりません。

だけど、今の自分の価値観はわかります。
そして、なぜそう考えているのかもわかります。

なぜなら、「働くってなんだろう?」については、自発的に考えてきましたし、今も継続して日々考えているからです。

となると、「過去の自分がなぜあの価値観を持っていたのか?」と考えた時に、最も妥当性の高そうな要因の最たるものは、

「自分の頭で、“働くってなんだろう?”と考えていなかったこと」

というのが見えてきます。
そして、これは間違いなく考えていませんでした。

「仕事とプライベートは別」という価値観を大事にしていたにもかかわらず、

「(その時やっていた)この仕事って何だろう?」ということを深く考えていませんでした。

「働くって何だろう?」ということを深く考えていませんでした。

「プライベートとは何だろう?」ということを深く考えていませんでした。

「自分にとってのプライベートとは何か?」ということを深く考えていませんでした。

だからこそ、どこかで誰かが常に言っているような「仕事とプライベートは別」という呪文のようなもので、自分自身を縛っていたのかもしれません。

今は、「仕事とプライベートは別」とは考えていません。

もちろん、「別な部分」もありますが「別じゃない部分」もあると考えています。

なので、落合陽一さんが提唱している「ワークアズライフ」が近いかなと思っています。

でも、それよりもうちょっと自分の感覚に近いのは、かの“ゴッドハンド”大山倍達先生が仰っていた言葉に似ているような気がしています。

大山先生は、「技は力の中にあり」と仰っていました(by『空手バカ一代』)。

僕は、この大山先生の言葉を原型にして、「仕事は人生の中にあり」だと考えています。

技が自分の体から発せられるモノである以上、技と力はどうやったって切り離せないのと同様に、仕事も自分がする以上は自分の人生とはどうやったって切り離せません。

あらためて考えてみると、「わざわざ考えるまでもないくらい当たり前の話」だと感じます。

だから、今は、「仕事とプライベート」と考えることは無くなって、仕事も趣味も日常生活も非日常体験も嬉しいことも楽しい事もツラい事も苦しい事も怖い事も不安な事もそれらをみんなまとめて「これが自分の人生」だと考えています。そして、できるだけ幸せな人生を送りたいとも考えています。

そんな風に考えるようになったのも、色んなことを自発的に自分の頭で考えるようになったからなんだろうなと思いつつ、過去の自分が如何に何も考えておらず、見聞きすることにただただ乗っかってるだけなのに、まるで「自分でちゃんと考えていますよ」みたいに生きていた事を思い出すと、心の底から恥ずかしいなと思っています。

そんな“過去の自分”への戒めと、“これからの自分”に対しての“今の自分”の提示として、こんな話を書いてみました。

「仕事は人生の中にあり」

これ以外と気に入っています。



あかね

株式会社プロタゴワークス

https://www.protagoworks.com/

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