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離れて忘れて諦めない

こんにちは。
株式会社プロタゴワークスあかねです。

「それいいね」

他者のアイデアについてそう自分で言っておきながら、時々とても不思議な気持ちになる事があります。

「それいいね」と思った時、自分は本当に良いと感じているわけですが、それを目にしたり耳にするまでは大抵それと同様のモノは思い描けていない状態です。

思い描けていない、つまり、イメージできていないのに「いいね」と感じている自分について不思議に思うんです。

「なんで考えつきもしなかったようなモノに対して、それいいね、なんて感じる事ができるのか?」

それが不思議で仕方ないんです。
一体自分は、どうやって「いい」って事を判断しているのかが自分でもわからない。
自分が何について「いい」と感じるのかについてよくわかっていない部分が大きいんだと思います。

なぜなら、自分が「いい」と感じる部分をしっかり把握できていれば、それを思いつく事ができるはずなんじゃないの?そう思うんです。

だけど実際にそういう事はなかなか起きません。

色んなアイデアを出しながら、それに触発されたりされなかったりしながら、本当に色々なアイデアを、あーでもないこーでもないとやりながらどんどん書き出しながら、ある時どこかで、「それいいね」ってなるのがいつもの事だったりするわけです。

だけど、「それいいね」ってなっておきながら、他にもいいものが出せるんじゃないかなとそこから続けてやっていくことで、「いいね」が他にも出る事もあれば出ないで行き詰ってしまう事もある。

ということは、やっぱり「何が良いのか」はわかっておらず、「それいいね」の法則を掴まえ切れてはいないという事なんだろうなと思うんです。
それに、「いいね」と感じない物の中でも、「これは良くないね」というのもわかる感覚はあるのを感じます。もちろん、「いいね」も「良くないね」もどちらも意見が分かれる場合も度々あったりしますし、逆に、お互いにぴったり一致する場合もあるんですが。

「まあ、感覚的なモノだから」

そう思っている自分がいる事は間違いありません。
だけど、一方では、「いいねがわかるし、良くないねもわかるんだから、その感覚的な部分にあるかもしれない“法則的なモノ”とか“公式的なモノ”もあるんじゃないかなあ」と思う部分もあるんです。

それを何とかして見つける事はできないもんかなあと試行錯誤をしているつもりではありますが、これがなかなか思うようにはいきません。

「何を良いと感じ、何を良くないと感じるのか」

これが今よりもうちょっとだけでも見えて来るようになれば、考え過ぎて頭痛を感じるような事も無くなってくるんだろうけど、それにはまだまだ経験が足りないのかもしれないし、その経験の中で押さえるべきポイントを押さえずに「ただやってるだけ」になってるのかもしれないし、その辺りは何とも言えないんですが、去年位から『アイデアのつくり方』を参考にしながらそういう作業をしてたりはしてみて、以前よりも少しはマシになっているんじゃないのかなと、僅かながらそう感じるような時もあったりするような感じが無きにしもあらず、という感じです。

「センスは知識から生まれる」的な事を聞いた事もありますし、確かにそうだと感じています。何らかの事柄について「センスが良いなあ」と感じる人は、「センスが無い人」よりも、そのセンスのバックボーンになっている事柄についての知識や体験が豊富なケースをよく見聞きします。仮に、その「センスが良い」とされている本人が自分自身について「知識は無い」という自己認識を持っている場合もありますが、その場合は「その事柄に関する何らかの体験が豊富」な事がほとんどです(もちろん、とても稀なケースで、本当に生まれ持っての才で出来てしまう人がいるのも知ってはいますが
)。

なので、これだけ毎回「それいいね」を出会う事に苦労しているという事は、当然ながら、僕たちには「持って生まれた才は無い」という事が明らかになっているわけです。

だとすれば、「それいいね」が今よりもっとわかるようになって、今よりもっと「それいいね」を作れるようになるためには、それらの事柄についての知識や体験を今よりも更に増やしていけば、「それいいね」に遭遇する確率を上げる事ができるという事なんだと思っています。

だから、今もこうやって「それいいね」に出会う為に自分達の脳みそをフル回転させて、ボツになるのも厭わずに、次から次へと書き出していく作業をしつつ、いつか来るであろう「それいいね」に向けて手も頭も止めずにやっていくしかないんだろうし、途中で「これ本当に出来るんだろうか?」と不安になる事もよくありますが、それでも諦めないで続ける事でいつも何とかなってきたんだし、そのうちやってくるはずの「それいいね」に向けて、終わるまで続けるしかないし、やるだけやったら一旦手を止めて、それから完全に離れて忘れるというジェームス・W・ヤング方式で取り組んでみるしかないんです。

才能が無ければ、才能がある人の残してくれたメソッドに頼る。

そういう潔さは、僕たちの良いところだと思っていますし、
そこについては「それいいね」っていつも思っているんです。

なかなか出来上がらない不安についてこうやって書いてみてちょっとスッキリしたところで頭を切り替えて、と。


さあ、張り切って忘れていこう。



あかね

株式会社プロタゴワークス

https://www.protagoworks.com/


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