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ドンマイを自分に向けられないのはなぜなのか

こんにちは。
株式会社プロタゴワークスあかねです。

「あーあ、またやってしまった」

自分がやってしまったミスについて、こんな風に悔やむことがよくあります。

ただ、「またやってしまった」と思いつつも実際には“同じ事”をしているわけではありません。事象としては全く別の事柄ですし時系列も全く異なっています。

それなのになぜか「またやってしまった」と悔やんでいる自分がいることについて、ふと疑問が湧いてきました。

「なぜ、全く別の事柄なのに“また”と感じているのか?」と。

今回やってしまったのは“連絡しわすれ”でした。
それを自分で認識した時に、冒頭のように「またやってしまった」と感じたんです。

でも、ここ数年間を思い返しても“連絡しわすれ”というミスをした実績はありません。もっと以前なら確かにやっていましたが、今の会社を起こしてからは一度も無かったんじゃないかなと思っています。少なくとも、今回のように「やってしまった」と感じた記憶はありません。

そんな事実は無いハズなのに、なぜ「またやってしまった」と感じたのか?

そこにはもしかしたら、「“連絡しわすれ”という“行動”を再び繰り返してしまった」という意味では無くて、「“連絡しわすれ”というミスをしたことによって自分が感じている“罪悪感”や“後悔”や“申し訳なさ”のような感情が湧いてくるような“行動”をしてしまった」というようなモノがあるんじゃないだろうか?今はそんな風に考えています。

そう考えると、確かに今の自分の中に渦巻いている“罪悪感”や“後悔”や“申し訳なさ”という感情と同じようなモノは、これまでの人生で何度も何度も数えきれないほど感じてきた記憶が無数にあります。

小さなことから大きなことまで様々思い起こされますが、そのどれもに共通しているのは、「他者に、迷惑をかけてしまった・申し訳ない事をした」と自分が感じている事ばかりです。

そんな無数の記憶にダイレクトに繋がっているからこその「またやってしまった」なのかもしれません。

こういうことがあると「もう二度と“同じこと”はしないぞ」と思いますし、実際にミスに繋がった行動が起きないように対策を考えたりもするんですが、実際には“同じ行動”をとらなくなっても「またやってしまった」が起きることがあるわけです。

今回で言えば、“連絡しわすれ”を起こさないための取り組みを既に考えて実行できるようにしています。例えそれによって“今回と同じミス”が起きなくなったとしても、やっぱりいずれ何らかの形でのミスはきっと必ず起こってしまうと思っています。

そうやって今後もずっと「ミスが起きては対策をうつ」の繰り返しによって、徐々にミスの幅が狭まり、発生する頻度は間隔が開いていくのかもしれません。

それでもやっぱり「またやってしまった」からは抜けられないんだろうとは思っています。その時に感じる“罪悪感”や“後悔”や“申し訳なさ”の中には、きっと僕が「他者からの評価を気にしている」ところからやってきている部分が多くあるんだろうとも。

ただ、“それ”があるからこそそれらの感情に絡めとられて動けなくなってしまうということをせずに、迅速に「ミスが起きたら対策をうつ」を実行できているんじゃないだろうか、という部分があるような気もします。

なんて若干ポジティブ気味にまとめようと思ったんですが、やっぱり自分がやってしまったミスはしばらくずっと気になってしまうのは、もう自分のサガとして諦めることにしています。

どうせ気になってしまうんだから、気になっている間は徹底的に気にしてみることにしてこれからしばらくウジウジ考える時間を取ってみます。

それではウジウジタイムスタートです。



あかね

株式会社プロタゴワークス

https://www.protagoworks.com/

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