見出し画像

ハロー注意報

こんにちは。
株式会社プロタゴワークスあかねです。

僕がまだ“若者”と呼ばれる年代だった25年以上前から、いわゆる就職活動や“仕事”の現場においては、「体育会系出身者」の人達についての評判はすこぶる好評だったことを記憶しています。

それから時間が経過しても、常に「体育会系出身者」の好評ぶりは堅調でしたし、今現在では更にその好評ぶりに拍車がかかっているように感じています。

とは言え、一方では「体育会系出身はダメだ」というような論調もネットやメディアの中ではたくさん見かけてきたように感じています。

そんな「体育会系出身者への評判」について、バリバリの文化系である僕はそれらの好評や悪評のどちらを見ても「確かにそうだよなぁ」なんて、自分の身近にいた体育会系出身の人達を思い出しながら納得していただけでした。

そうして、今現在の僕は、採用の現場にいる人達から直接話を聴かせてもらうこともある中で、「体育会系出身への評判が高まっている」というのを実感しています。

そんな「体育会系出身者への評判の良さ」について、以前からずっと言われていることとして、こんなことが挙げられます(あくまでも“そういう傾向がある”という話であって、これに該当しない人もいることは当然だと考えています)。

まずは何より「体力がある」。
どんな仕事の現場であっても、外回りだろうが内勤だろうがとにかく「体力がある」ということは仕事をする上でとても重要ですし、何事も継続して頑張れる人達はみんな総じて体力がある人達です。もちろん、あまり体力が無かったとしても短期的には誰でも頑張れるのは間違いありませんが、体力が無いとその頑張りは継続できませんし、どこかで無理が祟ってその反動がいつかやってきてしまいます。体力があると回復力も当たり前に高いのは言うまでもありません。そんなところから“評判の良さ”に繋がっているのは今さら説明するまでもありません。

それに加えて、「指示命令への反応が速い」。
学生時代の部活動の中で、監督・コーチ・先輩からの指示命令に素早くしたがって即座に行動するということに慣れている人が多いのが体育会系です。実際に、途轍もなく厳しい学校で鍛えられてきた人達の話を聞いてみると、のほほんと文化系で過ごしてきた僕からはとても信じられないし現実世界とは思えないような様々な恐ろしい話を聞くことがありますが、そういう“ザ・理不尽”とういような指示命令にもとにかく歯を食いしばって耐えてきた経験を持っていたりするので、仕事の現場での指示命令にも従ってすぐに行動できるので、そうでない人よりも成長速度の速さに繋がっています。

そして、「成果にこだわる」。
体育会系出身者はそのほとんどが「勝ち負けの世界」で鎬を削って生きてきている経験を持っています。完全実力主義の世界で、常に他者との勝負を繰り返して練習を重ね、本番では日々の練習の成果を出して、対戦相手に勝利するために全力を尽くすという経験をしています。なので、仕事の現場でも「成果を求めて努力する」とか「自分の全力を出して取り組む」ということを日常として繰り返し取り組むことができたりするわけです。

また、「一つの物事を継続できる」というのもよく評価されているところです。継続して取り組んできたことがあるんだから、仕事に対しても腰を据えてじっくり取り組めるはずだ、なんて話も聞いたりします。

こうやって「体育会系出身者の評判の良さの理由」を見ていくと、確かにとっても“仕事”というものと相性が良い部分がたくさんあるのを感じます。

とは言え、“こういう特性”を備えていながらも、「期待通りの活躍をしてくれる体育会系出身者」と「期待はずれだった体育会系出身」のどちらのタイプの人達をも、これまでにたくさん見てきたし話としても聞いてきました。

その違いがどこに表れるのかを、これまでの経験と見聞きしてきた話の内容を基にして自分なりに考えてみたんですが、段々とその違いが分かってきたような気がしています。

その違いをザックリ言えば、「仕事であまり活躍できない体育会系出身者」はポテンシャル頼みの割合が高い競技生活を送ってきた人であり、「仕事でも活躍する体育会系出身者」は、ポテンシャルの大小に拘わらず、常に内省を繰り返して必要なことに取り組んで来た人なんじゃないかと思っています。

そう考えると“競技者としての実績”だけでは、「仕事で活躍してくれそうかどうか」は判断ができないだろうと考えています。
もちろん、競技の実績が高いということは「勝つためにどうするか?」をたくさん考えてきたということに繋がる可能性は高いと思いますが、どんな世界であっても“相手と比べて相対的にポテンシャルの高い人”は存在しますし、相対的にポテンシャルが高ければ、相手と比べて少ない労力しかかけなくても勝負に勝っていくことができる人というのは明確に存在しています。

逆に言えば、ポテンシャルが高くない人であっても、その競技にどうやって取り組んできたのか?という“考え方”や“取り組み方”でその競技に最適化できるようにやってきた、ということもあるわけです。ただ、競技に向いているポテンシャルが高くなかったから想定的な勝負には勝てなかった“だけ”。なんてこともあるわけです。

そうして、その競技という分野から“仕事”という全く別の分野に移った時に、“競技に勝つためのポテンシャル”が役に立つ分野であれば「やってきたことがそのまま丸ごと生かせる」のかもしれませんが、“仕事”においてはなかなかそうはいかないことの方が多いはずです。

そうなると、「競技生活の中でどれだけ内省を重ねてきたか?」という方が“仕事”という分野では「役に立つことがたくさんある」ということになってくるはずです。

そんなところが、体育会系出身者の中でも「仕事で活躍できる人」になっていくのかどうかを分けているんじゃないかと考えています。

ただ、そう考えると、これは別に必ずしも「体育会系出身者」である必要も無いということが見えてきます。

“何らかのこと”において、日常的に内省を重ねながら知識や技術を磨いてきた経験があったとすると、その経験は他のどんな分野においても“役に立つこと”として応用できるんだろうと思っています。

てことは結局、「体育会系だろうが文化系だろうがそんな分類はあまり関係が無いのかもしれない」ということに思い至ってくるわけです。

そうなってくると、こと“採用活動”という場面においては“採用する側”としての「この人は採用後に活躍してくれるかどうか?」を見極めるための技量が途轍もなく重要になってくるし、その技量を高め続けていくためには相当の自己研鑽を積んでいかないといけないのは明白です。だからこそ、「体育会系がいいんだよね」という、「採用する側として望む成果を手に入れるために上手くいきそうな枠組み」に頼っていくのが手っ取り早いってことになっていって、それが多数派になっているだけなんじゃないのかな?なんて思ったりもしています。

「体育会系出身だから」

当たり前すぎるほど当たり前の話ですが、こんな単純な理由ではその人を測ることはできません。
それと同じように、その人が「何の競技をやってきたか」や「その競技でどんな実績があるのか」だけでもその人を測ることはできません。

これまた当たり前すぎるほど当たり前の話でもありますが、その人自身を知ろうとすれば、「何にどのように取り組んでいたか」と一緒に「なぜ、そう考えたのか?なぜ、そうしたのか?」について深いところまで聞かせてもらわないと、その人自身の片鱗すらも知ることはできないんじゃないかと思っています。

そんな風に「その人自身を知ろう」としなければ、体育会系出身だろうが文化系出身だろうがそれ以外だろうが、お互いにとって何の意味も無くなる可能性すらあるんじゃないだろうか。そして、もしかしたら「とっても活躍してくれたはずの人」に出会っていながら、みすみすその出会いを手放してしまうことにもなるんじゃないだろうか。自分自身がハロー効果にやられているってことにすら気付いていなかったとすると。

そんな、もったいないことが起きてなきゃいいんだけどなぁ、なんて考えています。



あかね

株式会社プロタゴワークス

https://www.protagoworks.com/

#ビジネス #仕事 #群馬 #高崎 #対話 #組織開発 #人材開発 #外部メンター #主役から主人公へ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?