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そこにヒントがあったのか

こんにちは。
株式会社プロタゴワークスあかねです。

必要な事務手続きの都合でお世話になっている人と世間話をしていて、その人のこれまでの人生の選択について話を聞かせてもらうタイミングがありました。

「どうしてこの仕事をしているのか?」そんな質問からはじまって、どんな学生時代を過ごしてきたのか、日常でどんなことに楽しみを見出しているのか、など色んな話を聞かせてもらったんですが、これまでに何度か仕事の場で会った時には、こんな話をする時間もタイミングもやってはこず、基本的には書類を前にして、その記入に必要なことや次回の準備物などについての事務的な会話をするくらいだったので、その人について知っていることは“名前”と“年齢”と“職業”と“仕事上の役割”くらいのものでした。

だからなのか、その人に対しては「仕事上の、しかも手続きという限定された場面での付き合いがあるだけの人」という感じで、それ以上のことを感じたり考えたりすることがこれまでにほとんど無かったことに、今回のような話を聞かせてもらっている時に気が付いたんです。

でも、こうやってその人の人生の選択の話やこれまでの人生の話を聞かせてもらったことで、何というか、これまでに見ていた“その人”とは全く別の“その人”のように見えてきたような感覚がありました。

何というか、言うなれば“思い入れ”みたいなものが出てきたとでも言うような感じでしょうか。

普段の自分の仕事の中では、“敢えて”その人の人生の選択について聴かせてもらおうとする取り組みをしているわけですが、よく考えてみると、“会社の仕事”を離れた途端に“敢えて”目の前にいる人に人生の選択について質問をしたりすることはあまり無かったなあと、ふと気が付きました。

そこには特に、明確な意図みたないものを持っていたわけではありません。「自分は絶対にプライベートでは“仕事”みたないことはしないんだ」なんていうポリシーも無ければ、こだわりもありませんでした。だけど、振り返ってみた時には、まるでそんなこだわりを持っている人みたいになっていたのかもしれないなぁと今は感じています。

「じゃあ、今回とこれまでとは一体何が違ったんだろう?」

そんなことを振り返ってみると、きっかけは「“趣味”が同じ分野に向いていた」ということだったのかもしれません。

その人と話をしていたら、時折“格闘技好き”という話が出てきたので、そこから「いつから格闘技に興味があったのか?」という興味がわいてきて質問を投げかけていたら、いつのまにか、人生の選択にまで話が及んでいったような感じでした。

事務手続きが終わってから小一時間ほどその人の話を聞かせてもらって、「とても面白い話を聞かせてもらってありがとうございました」と、その日は終わったんですが、そこから、“友人やパートナーに求めるもの”としてよく言われている「趣味の合う人がいい」という言葉の中に含まれている本当の意味がわかったような気がしたんです。

趣味が合うということで、まずは会話のきっかけやとっかかりが見つかります。そうすると、その趣味を軸にすることで、詳細に説明しなくてもお互いに通じる“高文脈”が見つかります。もちろん、ここはお互いの趣味への入り込み度合いや練度によって様々ではありますが、そのレベル感に差があったとしても、深さや高さが進行している方から文脈から汲み取ってまだ浅い方へ歩みよることで、随分と会話のキャッチボールを楽しむことは可能でしょう。そうなると、「なぜこの趣味をはじめたのか?」というきっかけをお互いに質問して話し合うことで、その人の“価値観”や“世界を見る視点や視野や視座”がなんとなく共有できてくるわけです。もちろん、一回や二回で共有できる場合もあれば、時間や回数が必要な場合もあるとは思いますが、そういう部分が共有できると、その人への“共感”が生まれてきやすくなるんじゃないかなと思うんです。

だけど、きっかけやとっかかりになる“趣味が合う”というのが無いと、ここに到達するのにとても時間がかかる場合が多いんじゃないか。だからこそ、大人になってから出会った人との間に“お互いへの共感”が生まれることというのは、「同じ目的や目標に向かって力を合わせて共同作業をする」という“仕事”を通じた場面で起きることがほとんどになってくるんだろうなという気がします。

もちろん、“一緒に過ごした時間の長さ”というのがあれば、長い時間一緒にいることで必然的に“共有する出来事”が多くなるんだとは思いますし、特に、子どもの期間であれば“学校”や“習い事”などで半ば強制的に発生する様々な“イベント”が多くなるでしょうし、それが増えれば増えるほど、“お互いへの共感”が生まれるタイミングが増えることが多いので、幼なじみや同級生が“友達”になることが多いんだろうし、その後に長く続く関係性になっていくことが多いというのは周りでもたくさん見聞きしますし、僕も実際にそうだなと思っています。

でも、大人になると、仕事と趣味以外の場面を通じて、人生の選択や価値観についての話を聴くような深いところに向かっていく“きっかけ”や“とっかかり”は、敢えて作り出していこうとしない限りは、いや、敢えてそうしようとして、なかなか発生してこないのかなと、自分のこれまでを思い返してみて感じました。しかも、そういう話をするためには、長い時間が必要になってきたりします。1時間や2時間では全然足りない、もっともっと長い時間が、話を聴くのにも自分の話をするのにも必要になりますし、そもそも、片方の人から片方の人にだけ興味関心があったとしても“共感”は双方向にはなりませんので、それが双方向からの興味関心と“共感”が醸成されるには、長い時間とたくさん顔を合わせる機会が必要なんだろうなと、あらためてよくよくわかったような気がしました。

これがわかったような気がしたことで、当然ではありますが、自分に友達がとても少ない理由もよくよく分からされたような気がしています。謎は全て解けた。解けてしまった。


あかね

株式会社プロタゴワークス

https://www.protagoworks.com/

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