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諦めきれぬと諦める

こんにちは。
株式会社プロタゴワークスあかねです。

「自分の言っている事がうまく伝わっていなかったのを知ってショックだったんです」

先日お会いした経営者の方が、そんな事を話してくれました。

誰だって、自分が一生懸命伝えた事が伝わっていないどころか、自分が思ってもいなかったような受け取り方をされて、挙句、それが自分自身への批判として向いてきてしまったとしたら、それは本当にショックだと思いますし、僕も実際に同じような体験をした事があります。

あれは、人生で初めて自分に部下がついた時の事です。

それまで自由奔放に一人で気軽に動き回っていたのに、ある日突然「部下がついた」という事に強いプレッシャーを感じていた僕は、「自分の思い描く上司像」でその部下たちに接するという事をしてしまいました。

もしも、僕の思い描いた上司像が「誰にとっても理想の上司像」なのであれば何の問題も起きなかったんだとは思うんですが、当然ながらそんなわけは無く、僕の一挙手一投足が悉く「ドヘタ」だったために、そのチームはうまくいかず、上司である僕vs部下たちという対立が生まれました。

そうして、僕の上司が会議の進行役になった状態で、僕の「吊るし上げ会議」が始まりました。内容は、「それまでに部下が感じた不平不満を洗いざらいぶちまけて、それを上司である僕にぶつける」という内容でした。いわゆる袋叩きです。

僕は、「自分がしてきた事の責任を取るため」に、一切の反撃をせずにただ嬲られるがままでいました。もちろんこれは、その時会議の進行役をしていた僕の上司の命令でもありました。この会議の目的は、「虐げられてきたと感じている部下の気持ちを晴らす」その為に設けられた場です。ここで思う存分に不平不満を吐き出してもらって、そのうえで、もう一度このチームを仕切り直す。そういう目的で設けられた場です。

「そんなのごめんだぜ」そんな僕一人の感情で、全てを台無しにするわけにはいきません。
その時の僕は、上司に言われる通りにこう考える事でその場に居続ける事にしました。
この時は、ホントにこれしかないと思い込んでいたわけです。

この時、袋叩きに合いながらも、部下の言い分を聞いていてわかった事が一つありました。

それまでに、僕からの部下への関わりは、そのほとんど全てが彼らにとっては、「何を言われているのかわからない状態」だったという事がわかったんです。

全ては、上司として未熟だった自分自身の引き起こした事だとはわかっていますし、自分の伝え方が全て悪かったんだという事もわかりましたが、それでも自分なりには一生懸命に上司としての役割を果たそうと思って仕事に取り組んでいたのは間違いありませんでした。

にもかかわらず、一切の防御も抵抗も無しに数人がかりの不平不満と非難の総攻撃による袋叩きに耐えなければならないという苦行。

先日お会いした経営者が言っていた話を聞いて、こんな過去の出来事を思い出し「当時は自分もかなりのショックを受けていたなあ」と、他人事のように思い出しました。

そんなショックも、時間が経ったからなんか、いつの日にか思い出す事もなくなり、それ以降も「他者に何かを伝える」という事をしながらも「他者から何かを伝えてもらう」という事もたくさんしてきました。

その中でも大きな気付きがあったのは、僕が週に1回受講しているオンラインによる武術のレッスンでした。

僕は菊野克紀先生の『誰ツヨDOJOy』で、習っているんですが、先日のクラスでの事です。

「今まで理解していたと思っていた“ごく普通の事柄”だと思っていた事柄が、実は全く違っていて、今までに自分が一度も考えた事の無かった理解によって、外からの見た目はほとんど同じにも関わらず、その動きによって得られる体感が全く違う」という体験をしました。

恐らく何を言っているかわからないと思うので、もうちょっと追加で説明を試みます。

菊野先生は、それまでのクラスの中でも「拳を握る時には、指先から動いて巻き取るように握る」と教えてくれていました。実際に、オンラインの画面越しに実演もしてくれて、それを見ながら僕も同じように握っていたつもりでいました。言われているように、指先から動いて、巻き取るように、拳を握ります。

だけど、実は、この言葉は僕の理解していたものとは全然違った事に気が付いたんです。

それは、先生のこんな言葉からでした。

「指先を自分の掌に近づけるという意識じゃなくて、あたかも、指先の位置は固定されたままで、そこに引っ張られて巻き取られて拳がつくられるような意識で(※僕なりの意訳です)」という説明をしてくれました。

その説明の通りに、拳を握って突くという動作をしてみた時の体感が、これまでに自分がしていた「拳を握って突く」という動作と全く異質の体感だったんです。

この時に、初めて菊野先生がこれまでにずっと説明してくれていた言葉と、これまでに実演してくれていた拳の握り方の動作が、全て一致して理解できたんです。

僕がこのオンライン『誰ツヨDOJOy』の週1回クラスで習い始めて約1年が経ちます。
この1年間で、教わった事はたくさんありますし、教わった事を自分で試しながら様々な体感が得られているのは事実です。ただ、この1年の間でしばらくクラスに参加できない時期もありました。

そんな1年間のクラスを僕が受講してきた中で、上記の「指先を自分の掌に近づけるという意識じゃなかくて~」という説明を僕が受けたのは、この時が初めてでした。

『誰ツヨDOJOy』は、東京都内ではリアル道場で日々教えてもらえるクラスもあるので、もしかしたらそちらでは当たり前に教えてもらっている内容かもしれませんし、オンラインでも僕が受講していなかった回では説明していたかもしれません。

実際のところがどうなのかは分からないんですが、僕の中には別な仮説も浮かんでいたりするんです。

それは、「先生が、日々、どうやったらもっと(我々)会員の理解が進んで、今よりももっと(会員の皆が)文字通り“誰でも強くなる”事ができるのかを、常に考え続けているからこそ、先生自身の中に内面化されている“動き”を、より精緻に言語化して、より多くの人が受け取りやすい比喩を生み出し続ける為に、“説明はもうこのくらいでいいかな”と諦めることなく考える続ける事で、その伝え方が進化し続けているんじゃないか」という仮説です。

僕自身はこの時初めてだったこの説明を聞いて、これまで自分が理解していた“と思っていた”拳の握り方が、実は全然違っていたかもしれないという「問い」を持つことになりましたし、実際に「(新しく理解したやり方で)教わった通りに」拳を握った事によって、これまでに無い体感が得られました。

この握り方で、何かを叩いた事はまだ無いので実際の威力があるのかどうかはわかりませんが、空を突いた感覚が既に今までと全然違っているので「これは間違いないヤツだ」と確信しています。


冒頭の経営者がしてくれた話と、自分の過去の体験と、先日のオンライン稽古での先生の説明。これらによってあらためてわかった事があります。

これがきっと、「他者に何かを伝える時に、絶対に必要な事」なんじゃないかと思っています。

それはこんな内容です。

他者に「うまく伝わらない」と思った時には、「なんで伝わらないんだよ」と、怒りを覚えたり、呆れたり、不貞腐れたり、落胆したりしても意味が無い。「なぜ伝わらなかったのか?」とか「何があれば伝わるのか?」と問いを立て、考えて、また伝えてみる。
それでもまた伝わらなければ、また考えてまた伝えてみる。
これを、繰り返し繰り返し、伝わるまで諦めずに、考え続けて伝え続けるのが必要だ。

これ以外には、僕自身が「本当の拳の握り方」による突きの威力を体感する事は出来なかったんじゃないだろうか。

そんな事を考えずにはいられません。


それにしても、こんな事を書いていると、「ビジネスと組織開発と自分が習っている武術を同じモノとして考えている人なんてホントにいるんだろうか?」そんな風に思われる事があるのかもしれないなあ、なんて、ふと頭をよぎる事があるんです。

でも、「ホントなんだから仕方ない」と、ここは素直に諦める事にしています。


この男は、実在する。


あかね

株式会社プロタゴワークス

https://www.protagoworks.com/


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