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これはゲームじゃないんだから

こんにちは。
株式会社プロタゴワークスあかねです。

「覚悟を決めるっていうのは、やっぱりすごく難しいことなんですね」

仲間と対話をしていて、僕も仲間も共に考えていたことがこういう言葉として出てきたことがありました。

僕たち自身が使う機会が多い言葉ですが、考えてみれば「覚悟とはどういう意味なのか?」と思って調べたことが無かったので調べてみました。

かくご
【覚悟】
《名・ス自他》
1.
悪い事態(に多大の努力がいるの)を予測して心の準備をすること。
 「―はよいか」
2.
仏教
迷いを去り道理を悟ること。


ネットで調べたらこんな意味が書いてあり、自分がイメージしていた覚悟という言葉の意味とそれほど違っていなかった感じがしています。ただ、<2>の意味で書かれている仏教用語(?)としての“覚悟”という言葉の中にある「迷いを去り道理を悟ること」の中の「悟ること」というのが自分の中には無いような気がしているので、仏教での使い方とは少し違っているのかなという気がしています。

なので、この「悟る」という言葉についてもついでに調べてみました。

さと‐る
【悟る・覚る】
《五他》
1.
はっきりと理解する。見抜く。「言外の意を―」。感づく。
 「陰謀を―」
2.
仏教
心の迷いを去って真理を会得(えとく)する。悟りを開く。

こうやって見ると、<1>の「はっきりと理解する。見抜く。感づく」という意味に近い「悟る」は持てると気があるような気がしますが、ここでも<2>の仏教用語(?)としての「心の迷いを去って真理を会得する」という意味では「悟る」なんていう体験をしたことは無いような気がしています。

そうやって考えてみると、自分が使う場合の「覚悟を決める」というのは、こういう意味が一番近いような気がします。

「悪い事態(に多大の努力がいるの)を予測して心の準備をし、迷いを去って物事の筋道をはっきりと自分で決めること」

こうやって、辞書で調べた言葉の意味を組み合わせたものを眺めてみると、確かにこういう意味で使っているような気がしてきます。

そして、あらためて思うのは、「この意味での“覚悟を決める”というのは途轍もなく難しいんだよなぁ」ということです。

思い返せば、僕たちも数年前に「自分たちで会社を作ろう」と“覚悟を決めた”わけですが、その時も本当にそう決断して行動するまでにはある程度の迷いはありました。
それこそ、「悪い事態(に多大の努力がいるの)を予測した」からこその“迷い”です。

でも、その当時の現状をそのまま継続した“自分の未来”を想像してみた時の「悪い事態(に多大の努力がいるの)を予測して」見えてきたモノと並べてみたら、 “自分たちで会社を作ってからの未来”の方が「自分達のイメージする人生に近いんじゃないか」と腑に落ちたからこそ“覚悟を決める”ことができたような気がしています。

そうやって考えてみると、「覚悟を決める=悪い事態(に多大の努力がいるの)を予測して心の準備をし、迷いを去って物事の筋道をはっきりと自分で決めること」をするためには、“片方を選択して、何かをしなかった場合の未来”と“もう片方を選択して、何かをした場合の未来”をどちらも、その時の状況でとれる手段を全て用いて想像をしてみて、比較検討してみる必要があるのかもしれません。

「どっちの未来の方が、より“自分の生き方・在り方”を実現することに近づくのか?」を基準にして。

そうなると、やっぱり「自分はどう生きるのか?」ということを常日頃から考えておく必要があるのかもしれません。

そんなことを考えていると、会社を作ろうかどうしようかなんてことすら考えていなかったずっと以前でも、「覚悟を決める」という場面が何度かはあったことを思い出してきましたし、その度に、「どっちの方が、自分の思う“かっこよさ”に叶うのか?」を基準にしていたことを思い出しました。
そして、「自分の思う“かっこよさ”じゃなくて、“かっこわるい”を選んでしまったら後で必ず自分で自分を認められなくなっちゃうだろうから」なんて思っていたことも思い出しました。とは言え、それらの選択をたくさん後悔したこともありますが、それでも今は、その時の選択について、「あの時の選択が今に生きていると言えるから無問題だな」と思っています。

ゲームの中の世界とは違うので、何かを決断した後で「ああ、やっぱりこっちは失敗だったから、やり直して、あっちのルートを進もう」ってことはできないので、たくさん迷うしなかなか“覚悟”が決まらない、決められないのは、僕もたくさん経験しているのでその気持ちはとてもよく分かる気がしています。

でも、“覚悟を決める必要のあるタイミング”で「覚悟を決めるのを保留する」というのは、それはそれで“そういう選択肢”を選んだということになってしまいます。仮に、そんなつもりが無かったとしても。

もしも、この人生がゲームの中であれば、「決定ボタンを押さなければゲームは進行しないから、ちょっとじっくり考えよう」ということも可能ですが、やっぱり僕たちの人生はゲームじゃないので、“そのタイミング”がやって来た瞬間に「覚悟を決めるのを保留する」という選択肢を選んでしまうと“保留という選択肢を選んだなりの展開”で進んで行ってしまいます。

そして、それは結局「“覚悟を決めずに保留すること”によって起きる悪い事態(に多大の努力がいるの)を予測して心の準備をし、迷いを去って物事の筋道をはっきりと自分で決めること」をしてしまったのと同じことになってしまいます。
これは、その本人にその意志があったかなかったかに関係なく“そういうこと”として進んで行ってしまいます。
何しろ、時間はずっと流れていってしまいますし、自分がいるこの社会は“自分以外の無数の人”によって形成されていて、自分の意志でそれらの“流れ”を止めることはできませんから。

でも、「覚悟を決めずに保留する」と、何故だかわかりませんが「何も選択していないし、何も決断していない」という気がしてしまいますし、消極的な姿勢でいるので“それによる影響”というモノが何か起きるような気もしませんし、“それによる影響”を自分が被るような感覚も無かったりします。

これは、僕自身の実感としてもそう感じますし、多くの人達を見ていてもそう感じているんだろうなと思える言動が多々観測されます(そもそも、そうでなければ覚悟が必要な状況では“覚悟を決める”ってことをしているんじゃないかなと思えるので)。

「生き方・在り方を考える」とか「覚悟を決めずに消極的でいても時間が流れ、それに伴って状況が変化していく」とか、そんな諸々があるからこそ「覚悟を決める」ということが難しいわけですし、そもそも「覚悟を決める必要がある」という考え方をすることがまず難しいのかもしれません。何しろ、その“必要性”を自覚してしまえばいずれ必ず近いうちにそれをやらないといけない状況が発生します。

でも、と言うか、だからこそ、その“必要性”を「見ない」とか「見えない」という状況にしておくことができれば、それを考える必要が無くなった状況を作ることが可能だということに無意識では気が付いているから「その必要があるという考え方をしないで済むための道筋を進んで行くこと」になるのかもしれません。

これが、それこそゲームだったらプレイヤーが“気付いた”か“気付いていない”かに拘わらず、選択肢としては“気付いている人向けのもの”と“気付いていない人が選びそうなもの”が最初から提示されていたりすることが多いですし、仮に“気付いていない人が選びそうなもの”を選んだとしてもそこから先に話が発展していかないようになっていて、結局は“気付いている人向けのもの”を選ばないと話が先に進まないからそれを選んで進める、なんて否が応でも“気付いた”ものとして話が進んでいくわけです。

でも、この現実世界ではそうはなりません。

実際の内面でどんな葛藤があるにしても無いにしても、「覚悟を決める必要がある」と“気付いていない”状態で、かつ、「覚悟を決めずに保留する」を選んでしまっていることにも“気付いていない”状態に陥るなんて状況は、恐らく、無数にあったし遭遇しているはずです。でも、“気付いていない”ので、どのタイミングがそうだったのかをちょうどその時に自分でわかることはできません。

だけど、後々じっくりと振り返ってみることで、「もしかしたら、あの時がそういうタイミングだったのでは?」と気付くことができる場合もあります。

ただ、そのためには“問い”が必要です。

「自分は、どう生きるのか?」とか「自分は、どう在りたいのか?」という「生き方・在り方」についての“問い”が必要です。

それらの“問い”が無ければ、例え「俺は、覚悟を決めたぜ」と思ったとしても、それは恐らく“思い付き”の域を出ないモノであって“覚悟”とは少し似ているだけの全くの別物なんだろうな、と考えています。

逆に言えば、常日頃から「生き方・在り方」についての“問い”を自分自身に向けて考えていたとしたら、そこでする“覚悟”は意味通りの覚悟なのかもしれません。

そうすると、冒頭の「覚悟を決めるっていうのは、やっぱりすごく難しいことなんですね」というのは少し違っていたのかもしれません。

「覚悟を決めるって難しいんだなぁ」と思った時には、もしかしたら、「“生き方・在り方”について考え続けるのって、凄く難しいことなのかもしれないなぁ」ということを感じていたってことなのかもしれません。

こうやって色々考えたのを眺めてみると、ゲームとは全然違うんだなぁと思いつつも、「でも、ゲームの主人公って、そもそもの目的が定まっているわけで、その点で言えば“覚悟”は決まっているからこそプレイしてると面白く感じるのかもしれないなぁ」なんて思えてきました。なるほど、だからこその「主人公」なのかもなぁ。



あかね

株式会社プロタゴワークス

https://www.protagoworks.com/

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