いやはやとっても難しい
こんにちは。
株式会社プロタゴワークスあかねです。
「コミュニケーションて難しい」
ここ最近、こんな言葉を全く別々の人達から聞くことがたくさんありました。
こう言っていた人達の話を聞かせてもらっていると、そのほとんど全てで“すれちがい”が起きているんだろうなということがハッキリと見えてきます。
そのすべてのケースに顕著なのが、「曖昧な表現を多用していながら、その曖昧さを自分も相手もスルーしてしまったまま話が進んで行った挙句、望ましくない方向に向かっていく」ということが何度も起きていることです。
僕と仲間からすると“こんなケース”は、自分たちが過去に散々嫌と言うほど経験してきたからこそ、「その時そこで、何が起きていて、その当事者たちがどんな気持ちでそのコミュニケーションを重ねていながら、どんな状態になっていっているのか」がまるで目の前で起きているかのようにハッキリと見えてくるんです。
例えば、先日はこんなことがありました。
「もっとさ、種まきしないと」
「種まきだったらやってますよ」
「やってないから結果が出てないんでしょ」
「俺が毎日何をやってるか知らないじゃないか」
「知らないけど、種まきやってたらもっと結果出てるでしょ」
「だからやってるんですよ必死で」
「俺も同じような頃には必死で種まきしてたよ。種まいておくから収穫できるんだよ」
「マジで話になんないですね」
なんて会話が、経営者同士の飲み会の中で繰り広げられていました。方や、経営を軌道にのせてきた先輩経営者と、なかなか思うように経営が軌道に乗らず悩んでいる若手経営者との話だったんですが、この話をしていた二人とも、特にそこまでアルコールを飲んでいたわけでもなく、深く酔っていた様子ではありませんでした。
この話を、すぐ目の前で聞いていて「ああ、きっと“種まき”って言葉が二人の間で別のことを指しているんだろうなぁ」なんて思っていたわけですが、話をしている当事者達はどうやらこの“種まき”という言葉の意味がお互いにズレているということを認識することが無いまま“売り言葉に買い言葉”のような感じで進んでいっていました。
この後、この話をしていた二人はどんどんヒートアップしていってかなり険悪な空気になりかけていたので、隣でこの話を聞いていた僕と仲間たちとで話の間に割こんでいって、あからさまに“対話”に持ち込んでいったことで、とりあえずケンカにならずに、お互いの言いたかったことを具体的に詳細に伝えあうことができたので、お互いに相手が自分自身に向けてくれていた気持ちを受け止めあうことができたようでした。まあまあ時間はかかりましたが…。
“対話”に持ち込んでいった時に僕たちがしたのは、「曖昧な言葉“種まき”の意味をそのままにしないでハッキリさせるために質問をする」ということをまずしたわけです。
そうして、先輩経営者が意図するところの“種まき”について話をしてもらいながら、どんどんと“具体的な行動レベル”にまで明らかにしていきました。
すると、その“種まき”が意味するところの行動が見えてきたことで、若手経営者は「あ、自分がしていた行動は“種まき”になっていなかったみたいだ」ということに段々と気が付いてきた様子でした。
そこで今度は若手経営者に“今、感じ考えていること”について話をしてもらいました。
すると、自分の思っていた“種まき”が見当違いだったことについての反省の弁や先輩経営者に対する感謝の言葉なんかが語られはじめました。
もちろん、こんな流れになるまでにはただ質問をするだけではなかったところもありますが、お互いに「相手の話を聴き、問いかけ、そのうえで感じ考えたことを語る」という“対話”を重ねることで、あんなに険悪になって何なら一触即発ムードまでいったのが幻だったかのように、相手に思いを馳せながら思いやりを持って言葉を交わすところまでいきました。
そして、最後には冒頭の言葉を二人が言っていました。
当然ながら、「いつでもどこでも相手がどんな人達であっても“対話”さえすればこうなります」なんてことが言いたいわけではありません。
でも、冒頭のように「コミュニケーションて難しい」と言っていたり思っていたりするような状況では、ほぼ必ず確実に、この時の事例のような“すれちがい”が起きているのは間違いありません。
そして、この“コミュニケーションの難しさ”は、これまたほぼ必ず確実に「自分と相手の相互がコミュニケーションをサボるから起きている」と断言できます。
なぜなら、この時の事例のように「“曖昧な言葉”の意味を質問する」ということをお互いがしないまま話を重ねていくことが“すれちがい”の原因です。
そして、そういう“すれちがい”が起きている会話の場合には、これまたほぼ間違いなく“相手に対する否定”が双方の間で起きています。
この“相手に対する否定”は「そうじゃなくて」とか「全然違う」とか「わかってないな」とか「だからダメなんだよ」とかそういう直接的な否定の言葉はもちろんですが、いわゆるアドバイスもそうです。
でも、一番の“否定は、この時の事例のように「相手の話を具体的に詳細に深く聞いて受け止めることなく、ただ自分の言いたい事だけを一方的に話す」ということです。
「相手の話をしっかり聞いて受け止める」
これは傾聴の基本中の基本ですし、これが無ければ“他者とのコミュニケーション”を本当の意味で行うのは不可能だろうと思っています。
冒頭の言葉のように「コミュニケーションて難しい」と言葉にして言っている人達は(僕が出会った人達に限りますが)、例外なくこの「相手の話をしっかり聞いて受け止める」をサボっていました。
じゃあ、「コミュニケーションて難しい」と言わない人たちはみんなサボらずに出来ているのか?となれば、それはまた別のお話かもしれません。
なんてことを書いておきながら、僕自身も“曖昧な言葉”をたくさん使ってnoteを書いているので、まだまだサボっているのかもしれません。
何しろ、「サボる」についての意味について何の共有もできていないことに「ああ、書き終わった」と思ってから気付くくらいなもんですから。
コミュニケーションと難しいよなホントに。
あかね
株式会社プロタゴワークス
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?