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上がることもあるのねと実感した話

こんにちは。
株式会社プロタゴワークスあかねです。

今日もまたいつもの如く、ウチの事務所が入っているテナントのトイレに向かうために共有スペースの廊下を歩いている時に、普段考え無いようなことが頭に浮かんできました。

「そういえば、最近、自己肯定感というか自尊感情が以前に比べると高まっているような気がするなぁ」と。

自分の自己肯定感や自尊感情に焦点を当ててモノを考えるということがこれまではあまり無かったような気がするので、こんなことが頭の中に浮かんできたことが不思議でした。

普段考えてもいなかったようなことが頭に浮かんできたので、「なぜそう思うのか?」や「なぜこんなことを考えたのか?」について、あらためて意識的に考えてみることにしました。

まず手始めに、「そもそも、自分の中に浮かんできた“高まっていると感じた自己肯定感や自尊感情”とは一体何のことを言っているのか?」から考えてみることにしました。そのためにもまずは、自己肯定感や自尊感情って一体何なのか?についてちょっと調べてみました。

自己肯定感(じここうていかん)とは、自らの在り方を積極的に評価できる感情、自らの価値や存在意義を肯定できる感情などを意味する言葉であり[1]、自尊心(英語: self-esteem)、自己存在感、自己効力感(英語: self-efficacy)、自尊感情などと類似概念であり同じ様な意味で用いられる言葉である[2][3][4][5]。現在、これらの言葉は多義的に用いられることが少なくなく、結果としてあらゆる肯定的な心理的要素を表現する包括的名称(umbrella term)となっているという指摘がある[6]。
自己肯定感の訳語としては、self-positivity、self-affirmationなどを当てはめる試みがなされてきたが、近年ではself-affirmationが使用されている[5]。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

自己肯定感についてネットで調べてみるとこんな意味が出てきました。

これを読んで、確かにここに書いてあるような「自らの在り方を積極的に評価できる感情、自らの価値や存在意義を肯定できる感情など」が以前に比べて高まっている感覚が自分の中にあるのをあらためて再確認できました。

そうなると、自分の中にある「自己肯定感が高まっている感じ」というのはきっと言葉通りの意味なんだろうなと合点がいきます。

じゃあ、この“自己肯定感”の高まりは一体どこからやってきているのか?
そして、“自己肯定感”が今よりも低かった少し前までの自分との違いとは何か?

それについて考えてみました。

と考えた時に、一番最初にパッと頭に浮かんできたのは「身体の変化」でした。

これが浮かんできた理由としては、「“自己肯定感が今よりも低かった少し前まで”とは具体的にはいつの頃を指すのか?」という問いを自分に向けてみたからです。
そうすると、色々思い返してみて「この時期だ」と言えるとしたら、つい1週間程前くらいのことでした。

そこで何があったかと言えば、取り立てて大事件があったわけではありませんが、ちょうどその頃(先週辺り)から、自分の姿を鏡で見ることに苦痛が伴わなくなってきたんです。時期で言うと、ジムでのトレーニングを再開してから実に2ヵ月が経過したタイミングです。その頃から、お腹には薄っすらと割れ目が見えてき始めて、肩も胸も腕も背中も脚も全身の筋肉に薄っすらと境目が見えるようになってきました。

こうなると以前の自分よりも、俄然、鏡を見るのが楽しくなるし嬉しくなってきます。

そして、そんな楽しさや嬉しさは、日々のトレーニングのお陰だということもハッキリしています。

となれば当然ではありますが、ジムに行くのが楽しみになってきます。
もちろん、実際に行けば「楽しい」だけじゃなくて「キツイ・ツライ」は想像以上にやってくるわけですが、それを乗り越えてトレーニングを終えた後の爽快感や達成感がとても心地よくて、キツくてツライトレーニングを乗り越えてこれらを手に入れることができた自分を素直に認めたあげられるし、それがまた「嬉しい」という気持ちに繋がるのを、日々のジム通いの度に味わってきていました。

そんなことを2ヵ月間継続してきたことで、“目の前の鏡に映る自分の姿”に出会えたという現実が、「自分で自分を認めてあげられることに繋がったんだろう」と素直に思うことができました。

確かに、2ヵ月前の自分自身を思い出すと、鏡に映る真ん丸くお腹が出っ張っている自分の姿を見る度に心の中では「ウワ~…」と嫌気がさしていましたし、「なんでこんなになるまでほっといちゃったんだろう…」と、文字通り鏡を見る度に落ち込んでいました。自分が暴飲暴食を続けた結果だということは完全に棚上げしたまま。

もちろん頭ではわかってはいたんです。「完全な自業自得だろう」ということは。でも、そんな「(長きに渡る暴飲暴食という)自業自得の結果として、目の前にある現実の自分の姿」をうまく受け入れて折り合いをつけることが、心の内側では難しかったんだと思います。

それによって生じたのが「自己肯定感・自尊感情の低下」だったんじゃないかと。

しかも、体形の崩れによって生じたのは「自己肯定感・自尊感情の低下」だけではありませんでした。それによる“実害”も生じていました。

その最たるものは、「穿けるズボンが無くなる」という実害が。

そうして、新たに買わざるを得なくなった“本当は穿きたくないけど間に合わせで買ったサイズだけが合ったズボンたち”という、体形維持に努めていれば本来出会う事が無くてお互いが幸せだったはずのモノ達(ズボンと僕)という不幸なカップリングが成立してしまったんです。そうなると、そのズボンを穿く度にまたもや気分が落ち込みます。でも、「他に穿けるモノが無いのでそうせざるを得ない」わけでどうしようもありません。そんな日々を繰り返すと、自己肯定感の低下が意識されないまま毎日毎時間繰り返し行われていたんだと思います。

今は、(以前に比べたらという限定付きではありますが)ウエストも細くなり、前に穿いていた好きなズボンも穿けるようになってきましたし、鏡に映る自分も日を追うごとにつれて「好き」になってきています。もちろん、ジムに行くとキツイしツライので「行きたくない」と思う日もありますが、それでも行ってトレーニングを終えた後の爽快感や達成感を味わうことが出来る自分のことも「好き」だと思うことが多くなってきています。

日々のことなので実際にはそんなに大きな出来事が起きているわけではありません。毎日の中のほんのちょっとした出来事と、その出来事の中で感じるほんの些細な自分の中の感情の話でしかありません。

だけど、その小さく些細な感情の積み重ねが、こうやって数か月すると明確に意識の上にあがってくるくらいの大きさになって、自分の中に感情のうねりを起こすことができて、それが「自分で自分自身を大切に思う気持ち」に繋がってくるんだなぁ、なんてことを実感しています。

傍から見たら、僕がしている日々のジム通いやトレーニングや自己肯定感の上がり下がりなんて「どうでもいい些末でくだらないこと」なのかもしれません。というか、自分以外の人にはあまり関係の無い話なので恐らくそうなんだと思います。

でも、そんな「どうでもいい些末でくだらないこと」ですが、僕にとっては日々の仕事や人生を歩んでいく時には「とっても大切で重要なこと」だったりしています。何しろ、自己肯定感が高い状態の自分の心持ちは“低い状態”と比べると、あらゆるパフォーマンスが比較にならないくらいに違うのを実感できるので。

となれば、低いよりも高い方が良いに決まっています。

当然ですが、「他者や社会に価値を提供する=仕事」だと考えている自分なので、そのパフォーマンスだって高い方が良いに決まっているわけです。

だからこれからも、自己肯定感を高い状態にし続けて、自分のパフォーマンスを高めるためにもトレーニングは欠かせないってことだと、自分自身に言い聞かせていこうと思っています。

とは言え、まだまだお腹には掴めるほどの脂肪が有り余っているので、まずはこれを徐々に落としつつ、今よりも重たい鉄の塊を持ち上げることを目指して、ちょっとずつ積み重ねていく予定です。

だけど、ジムに行く直前には頭の中を駆け巡る前回のキツさ・ツラさから、「うぅ行きたくない…」と葛藤するのは、自己肯定感の上下に関係なく今も変わらず毎日の日課です。これもいつか払拭できる日がくるんでしょうか。


あかね

株式会社プロタゴワークス

https://www.protagoworks.com/

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