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過去の自分と向き合おう。

どんどん増えて困る、
未完成品たち。

特に刺繍系。

「刺す」のが好き❤

だけど、刺し終えたら
気が済んで、放置。

そして、刺した後の
方向性が見いだせず、
ここでまた、放置。

それらを、まとめて
箱に詰め込み放置して、
現実に向き合わないまま
ココまで来ました。

・・・

あれから、何年
経ったのだろう?

暫く前、その箱から
話しかけられた気がして、
箱を手に取り、
フタを開けてみた。

すると、箱の中には、
無造作に投げ入れられた
未完成品の山があった。

未完成品の山々(ほんの一部)

刺繍を始めたのは、
いつだったかな?

刺繍というより、
本当は、刺し子。

会社を辞めて
学校に通っていた時、
授業の中で
刺し子に出合った。

2018年。

アメリカ人の先生から
刺し子を教わり、なぜか?
強く惹かれてしまった。

そこから
自分でも情報を集め、
自宅で練習を始めて、
刺し子というものに
少しずつ触れていった。

*~*~*~*~*

今から数百年前の日本の、
農村や漁村に暮らしていた
庶民の人たち。

その女性達が、
必要に駆られて始めたと
言われている、刺し子。

それを、

現代に生きる私が、
ただ楽しみのためだけ
やっても良いのだろうか?
と、疑問が湧いた。

物が溢れ、
物を粗末にしながら、
物質的には何の
不自由も制限もなく
生きている、今の私。

そんな人間が、
軽々しく刺し子に触れ、
「刺し子」という言葉を
誰に断りもなく
 自分勝手に使って、
本当に良いのだろうか?

*~*~*~*~*

最初の数年は、
やってはいけない事に
手を付けている様な気がし、
びくびくしながら、
ひっそり一人で刺していた。

ここで私が
変なことをしてしまうと、
過去への冒涜になるような
気がしたから。

それなら、何を?
どうすれば??

生き延びるために
刺し子をされていた
過去の人々に対して、

失礼にならないように、
誰も傷つけることなく、
刺し子をする事が、
私なんかに
 できるのだろう?

と、模索した。

・・・

伝統柄なら、
刺しても良いかな?

でも、

自作の図案も
試してみたい。

それなら、

新品の布や糸を
使わなければ、
大丈夫かな?

ん-。。。
なんか違う。

でも、何が違う?
なんで違う?
全く、分からん!!!

・・・

日本の布を使えば良い?

アメリカで手に入る
材料を使ってはダメ?

江戸時代の人達は、
外国からの輸入品を
使わなかったでしょ。

でも、わざわざ
飛行機に乗せてまで
材料を調達するって、
どうなんよ?

地産地消?
身土不二?

じゃあ、素材は?
当時と同じく、
綿だけ?麻だけ?

ちょっと待って。

そもそも、
日本の伝統は、
日本にいる人だけが
継いでいくべき、
だったりするのか…?

…と、

アメリカに来てから
刺し子を知ったことを、
悔やむことも多々あった。

こんな風に、日々、
たくさんの悩みと迷いが
生じてくる中で、

当時の私が、自分なりに
試行錯誤しながら刺した
未完成の品たちが、
箱の中には埋もれてました。

刺し子以外もありますが。


未完成の刺し子の品を
数年ぶりに手に取り、
しばらく眺めていたら、
なぜか、笑えてきました。

・・・

あの頃の私は、
くっそ真面目で堅物で、
めっちゃ不器用だったなー。

なんで、あの頃、
あんなに一人で
悩んでたんだろー?

ってか、あんた今も
全然変わってないじゃん!

そうかー??
少しはまともに、
なったと思うけど?!

・・・

と、

過去作を見ていたら、
今の自分と
 作った時の自分とが、
対話しているような
気持ちになりました。

~*~*~*~*~

その後、
作りかけの刺し子たちを、
閉じ込めていた箱から
引っ張り出しまして、

改めて、
続きの作業に
 取り掛かかろう!と
決めました。

・・・

過去の自分が
見いだせなかった
作品の未来を、

今の自分に
見いだすことが、
できるのだろうか?

(⇑ 新たな疑問。)

とりあえず、
当時の自分の
能力不足を責めるのも
1つのテ👍ではあるのだが、

もしかしたら、
私の成長を待つという
優しさのようなモノが、
この作品たちには
あるのかもしれない。

と、ふと思いました。

( もう1つのテ✌

~*~*~*~*~

過去の自分が作った
モノに触れ、
そのエネルギーを感じ、
自分の感情を
 振り返ることは、

最近、忘れつつあった、

モノの声を聴き、
モノの気持ちを考える、

良い機会にも
なりそうな気がします。

おわり。

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