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ソーシャルアクションと秘密保持義務

 2023年5月、僕は目を疑う文章に遭遇しました。それは、自分の所属する日本精神保健福祉士協会(以下協会と略)が、構成員及び関係団体に発送、謹呈している紙媒体の機関誌である「メンバーズマガジン」の理事会議事録に、協会が実施していたメール相談事業をNHKが取材し、放送・Web記事化(2021年12月)されたことについて、当時の事業担当であった理事の構成員を倫理綱領違反及び精神保健福祉法違反の疑いで調査していることが、記事名及び前理事と明記した形で掲載されていたのです。

 この記事名と精神保健福祉士を入力してネット検索すれば、前理事の顔写真と所属が出てくるので、どこの誰が違反を疑われ、調査の対象になっているのかが一目瞭然で判明します。通常、構成員に対する不満や苦情等に対する調査は、協会が設置し公平性・中立性を担保した倫理委員会が行い、その際は推定無罪、非公開が原則です。調査の段階で被調査者が特定できてしまう情報を公にすることはありません。なぜなら「違反が疑われている人」と流布された後に、まったく違反が無いと証明されても、「疑われるようなことをした人」というネガティブなイメージを与えかねないので、非公開とされています。それを協会自体が覆す形で構成員や構成員外に情報を削除できない紙媒体で流布したことに驚くとともに、被調査者から名誉棄損で訴えられれば、協会側は慰謝料等を支払う羽目になるのではとさえ感じました。
 また、今回の案件は協会関係者(のちに協会側は構成員と変更)から理事会に、記事中に「寄せられたメールからの抜粋」が掲載されているのは問題ではないかとの指摘があり(相談メールを寄せた当事者からではない)、苦情という形ではないため、および前理事が理事在任中での出来事であったため理事会調査という形を取っていると説明しています。しかし、苦情処理規程(倫理委員会が取り扱う事項)には、「構成員が職務において違法若しくは本協会の定款及び倫理綱領に反する不当な行為をしたことにより、何らかの不利益を受けたとして個別具体的にその是正を求める不服」と定められており、理事会が独自に調査を行うこととの不整合さを感じます。しかも、苦情処理規程には被調査者に対し、代理人選定・弁明の機会・不服申し立てなど被調査者への防御権が規定化されていますが、理事会調査は規程自体が存在しないため、被調査者の防御権の定めもなく、云わば一方的に、そして秘密裏に理事会が調査を実施できてしまいます。

 このことは、メンバーズマガジンが手元に届いた翌月に開催された協会の総会でも大きく取り上げられました。ここで二度目の驚きがありました。
この情報漏洩という事態に対し、理事会は「事務局のミス」と答え、本人に謝罪しないのかとの代議員の質問には「本人(被調査者)が申し出れば
対応する」とも答えました。
  前理事や記事に問題があるかないかという案件と個人情報の漏洩は、全く別次元の話であるにもかかわらず、それを単なるミスと片づけ、本人にも謝罪しないという組織のガバナンスを疑う答弁をする理事会の姿勢に、「この人たちには社会常識は備わっているのだろうか」との疑念を持たざるを得ませんでした。また、記事中に相談メールの一部抜粋(相談内容も一部加工)されたものが、本人の了解なく掲載されたことを問題視し、匿名での相談で送られてきた当事者のアドレスを二次利用する形で、会長名による謝罪メール(会長名による文書は協会における公文書にあたるのですが、構成員には公表されていません)を送ったと答弁されたのです。
 前理事に対する調査が実施されておらず、違反の有無も処分の可否も決定されていない状況において、謝罪するということは、既に違反があったと前提化して動いているとしか思いようがありませんでした。ただし、この問題に関しては、情報漏洩が起きる前の2023年2月に、前理事に対して事情聴取が実施されており、顧問弁護士等が違反についての認識を問いただしていることが判明しています。

 さて、この記事は、協会事業として日本財団から助成を受け、コロナ禍で生活苦を抱えるヤングケアラー向けに相談を受ける活動をNHKに取り上げてもらったものでした。また、この前にも日本テレビで取材を受け、いわば協会のソーシャルアクションとしてメディアに取り上げてもらい、協会自体も協会Twitter(現Ⅹ)に、この記事をアップしてきました。これ自体、ソーシャルワーカーの職能団体として、なかなか社会に届かない当事者の声を、メディアを通じて広め、社会の理解促進や法律・制度などの是正や拡充に繋がげていくという点において評価されて良い活動です。さらに前理事を含めた個人レベルでもSNSで記事を拡散し、より広範なソーシャルアクションにつなげており、時代に即した形を取っています。そして、この記事に関しては2021年12月にFacebookにアップされた記事の投稿に協会の顧問弁護士も「超いいね」を押して支持し、肯定していました。(現在は削除)

 では、いったいどこに問題があるのでしょう。協会と前理事との見解の相違を明らかにしたいと思います。その前に前提となる協会の倫理綱領及び精神保健福祉士法を見てみましょう。

倫理綱領
クライエントに対する責務
第3項:プライバシーと秘密保持
    精神保健福祉士は、クライエントのプライバシーを尊重し、その
    秘密を保持する。
倫理基準
クライエントに対する責務
第3項:プライバシーと秘密保持
    精神保健福祉士は、クライエントのプライバシーの権利を擁護し、
    業務上知り得た個人情報について秘密を保持する。
  a:第三者から情報の開示の要求がある場合、クライエントの同意を得
    た上で開示する。クライエントに不利益を及ぼす可能性がある時に
    は、クライエントの秘密保持を優先する。

第4項:社会に対する責務
    精神保健福祉士は、専門職としての価値・理論・実践をもって、
    地域および社会の活動に参画し、社会の変革と精神保健福祉の向上 
    に貢献する。

精神保健福祉士法
(信用失墜行為の禁止)第三十九条 精神保健福祉士は、精神保健福祉士の信用を傷つけるような行為をしてはならない。

(秘密保持義務)第四十条 精神保健福祉士は、正当な理由がなく、その業務に関して知り得た人の秘密を漏らしてはならない。精神保健福祉士でなくなった後においても、同様とする。
*なお、第40条は第32条(登録の取り消し等)と連動しており以下のように定められています。
厚生労働大臣は、精神保健福祉士が第三十九条、第四十条又は第四十一条第二項の規定に違反したときは、その登録を取り消し、又は期間を定めて精神保健福祉士の名称の使用の停止を命ずることができる。

 これらのことから精神保健福祉士(社会福祉士も同様)は、クライエントの個人情報を秘密と捉え、正当な理由なくおよび本人の了解なく第三者に公にしてはならない法的・倫理的責務を負っていると考えられます。
では、「秘密とする個人情報」とはどんなものなのでしょう。

まず「秘密」についてですが、wamnetで守秘義務についての解説があります。その中に秘密についてはこのように掲載されています。
 秘密とは、特定の小範囲の者にしか知られていない事実であって、これを他人に知られないことが、客観的にみて本人の利益と認められるものをいう、とされている(大塚仁・刑法概説)。

次に「個人情報」ですが、個人情報保護法では次のように規定されています。
生存する個人に関する情報で、氏名、生年月日、住所、顔写真などにより特定の個人を識別できる情報をいいます。
これには、他の情報と容易に照合することができ、それにより特定の個人を識別することができることとなるものも含まれます。例えば、生年月日や電話番号などは、それ単体では特定の個人を識別できないような情報ですが、氏名などと組み合わせることで特定の個人を識別できるため、個人情報に該当する場合があります。
また、メールアドレスについてもユーザー名やドメイン名から特定の個人を識別することができる場合は、それ自体が単体で、個人情報に該当します。このほか、番号、記号、符号などで、その情報単体から特定の個人を識別できる情報で、政令・規則で定められたものを「個人識別符号」といい、個人識別符号が含まれる情報は個人情報となります。

 私たち福祉専門職には職業上における特有の情報もあります。たとえば入院歴(期間や病院名)、病名、障害の特性などが代表的なものです。そして、これらを含むいわゆる「相談内容」というものも情報として持ち得ています。この相談内容には往々にして、様々なクライエントの置かれた厳しい状況そのものを示す情報やそのことに関するクライエントの悩み・不安・憤りなどの想いや感情が含まれています。そして多くの場合、そうした窮状や声は、社会に届くこと、届けられることなく支援者との個別の関係においてのみ共有され、日の目を見ることがない状況にあると言えます。それは、クライエントが社会の中で圧倒的に「情報弱者」であり、社会に訴える術から遠ざけられてきたからでもあります。
 こうした状況に対し、ソーシャルワーカーが何の支援の術も待たないかと言えば、そのようなことはありません。ソーシャルワークには、ソーシャルアクションという実践があり、同時にアドボケイト機能を有しています。
ソーシャルアクションの本質について、高良は「制度欠陥発生に対する対応準備や見直し条項の追加等といった政策主体の対応に加えて、制度対象者や運用者等の声を政策に活かすソーシャルアクションが必要であり、この役割を果たすのに最適なのがソーシャルワークにおけるソーシャルアクションだと考えられる」と解説しています。

 では、このソーシャルアクションを行う際、クライエントの声(情報)は、どの範囲でメディア等に提供したり、公にできるのでしょう。例えば、今回のNHKの記事では、相談メールに記載された相談内容が一部抜粋され、主訴となるクライエントの想いや苦悩、窮状などは、ほぼ原文のまま掲載されていました。このことと先に紹介した秘密の定義を照らし合わせた時、クライエントの不安や悩み、窮状を社会に知られないことの方が、クライエントの利益となるのでしょうか。

 このメール相談事業自体は匿名での相談であり、記事中にも個人を特定できる情報や符号等はありませんでした。
尚、この事業に関しては、「相談者の個人情報や相談内容は、精神保健福祉士法40条(秘密保持義務)や精神保健福祉士の倫理綱領に基づき、誠実かつ慎重に取り扱わせていただきます」との約束がありました。
今回のNHKの記事に関しての争点を要約すると「個人を特定できない相談内容が記されたメールが、クライエント本人の了解を得ず、NHKに提供され社会に発信された」ということになろうかと思います。ここで協会側と前理事側の見解の相違を比べてみると以下になると考えます。

         前理事側       協会側
個人情報:    当たらない       不明
本人の了解:    不要         必要
正当な理由:    当たる       当たらない

 このような見解の相違が生じた要因には、もう一つ理由があります。それは、協会および構成員が、メディアからの取材を受けた際の指針・規程・マニュアル等が存在せず、どの範囲が「秘密とする個人情報」であるかについて、なんら基準が示されていないことが挙げられます。また付け加えるなら、協会事業に関しての取材にかかる承認決定プロセスに関しても定めがなく、担当者および担当者間で、取材に係る事項に対応していました。これは、協会が構成員に公開している理事会議事録や理事会報告を見ても明らかで、議事および報告にメディアの取材に関する記載は、一切ありません。
 他方、メディア側の見解にも触れておきます。複数の記者や記者経験のある方に、今回の件について意見を聞いてみたました。いくつかをご紹介します。
1.メディアには編集権があり、提供された情報をどう放映したり、記事に
 するかは、メディア側が決める。それは、放映後や記事化後、情報提供者 
 にクレーム等がいかないようにメディアが責任を持つという意味がある。

2.メディアは、支援者が受けた相談について、記録やメールがあれば、生
  の原文を提供してもらうのが常道
。それは、支援者側が相談内容を誇張
  したり、捏造していないかを確認し、真実の裏付けをするため。

3.今回のメール相談事業は、対象がある程度限定化されていて、なおかつ
  不特定多数の相談を受ける形を取っていれば類似する内容も多いと思わ
  れ、仮に相談者が抜粋された相談メールの画像を見ても、これは自分が
  送った相談内容だと特定することは困難だと考える。

今回の記事に関して、協会側はメール画像に対し、「肉眼で読み取れる状態で掲載されており、解像度が高く拡大が可能」と指摘しているのですが、これはメディア側も問題であり、議論の争点である「情報の提供に関しての違反の有無」とは別の問題と考えられます。

ここまでをまとめてみましょう。
前理事側
メール相談事業の担当理事として、相談を寄せてくれたクライエントの苦悩・不安・窮状をメディアを通じて、広く社会に知ってもらいたいと考え、個人が特定できない内容であったことおよび匿名相談という限定化された中で知り得た個人アドレスを二次利用して、了解を得る必要はないとの判断から、相談内容を一部抜粋し、主たる内容にはほぼ加工を施さず、生の声としてNHKに提供した。

協会側
相談内容が記載されたメールは、協会内のみにおいて厳重に保管されるべきものであって、それをメディアに対し本人の了解もなく提供したことは、倫理綱領違反・精神保健福祉士法違反に問われるもの。

どちらの主張が合理性を持つのかは、立場によって見解がわかれるのかもしれません。また、個人情報を含まない情報に対する秘密保持義務違反を争点とした判例はなく、法的な解釈としての合理性も、普遍化されたものがあるとは思えません。要は、「議論の余地がある」ということではないでしょうか。
ただ一つ言えることは、協会の事業を主とする問題であるにもかかわらず、前理事個人の責任とする協会側の姿勢には、大きな疑問を感じます。組織である以上、理事個人に何らかの違反や不祥事があったとして、協会としてそれを防ぐだけの規程や内規を定めていなかったことを考えるとトップの責任や理事会全体としての責任も同時に問われるのが社会的常識です。また、協会のトップである会長や理事会が、「どのような取材内容であったか知らなかったから会長や理事会に責任がない」というロジックを以って、前理事の個人責任と考えているとすれば、組織として「知らなかった」・「知る仕組みがなかった」ことが本質的な問題であり、組織全体の問題と捉えることは、社会一般に起こっている企業の不祥事への対応からも常識化しています。
現代は、個人情報の取り扱いについて非常にセンシティブな時代です。そんな中にあって、クライエントの個人情報の取り扱いに関する明確な指針も基準も範囲も明示されていない、いや議論さえされていないことに対し、今回の問題は一石を投じることになると思います。

引用文献:高良麻子 日本におけるソーシャルアクションの実践モデル
    「制度からの排除」への対処 中央法規 2017




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