【精神病理】明かすことの安心と苦しみ

僕が働いてる塾は個別指導塾だから発達障害の子も結構多いのね。

特にADHDやASD(自閉症スペクトラム障害)などの、集団の中ではどうしても浮いてしまうような子は、親の意向もあって個別指導に来る子が多い。

最近もASDの男の子が入塾してきたみたいで塾長とその子の話をしてたんだけど、その子は最近ようやく診断をもらったんだって。

塾長がその子とその子の母親と入塾面談をした時には、母親はまさか我が子がASDだとは思ってなかったみたいなんだけど、よくよく考えたらそんな様子もあったらしい。

つまり、その子の母親はシンプルな知識不足だ。恐らくASDがどんなものかも、どんな症状が見られるのかも知らないんだろう。

しかも、その子は小学生だからたとえASDの兆候があっても、周りの行動との差を感じづらいということもあったのだろう。

ただただ知らないだけならいいんだ。だけど、母親や生徒を見ていると、親がその事を認めたくなくて、他の子達と同じような接し方を求める親もいるんだよね。

もちろん、自身の子供が発達障害であることを認めたくない気持ちもわからなくもないが、子供のことを考えた時にそれもどうなんだって思うところも多少はあるんだ。

少しずつだけど、中学生から高校生へと、周りの子たちの実年齢と精神年齢は上がっていき、発達の遅延度合いが目に見えて感じられるようになってくる。

そんな中で特別支援なしに他の子達と同じ環境に入れてしまう事は少し酷なんじゃないかとも思うんだ。

正直、うちの塾にも『無理に塾に来なくていいんじゃない?』って子もいるんだよね。

恐らく親の意向だと思うんだよね。もし仮に、これで勉強ができない事への劣等感が強くなると悪影響にもなりかねないからね。

発達障害に限らずなんだけど、精神疾患の診断を病院でもらってはっきりする方が楽になるという人と、逆にそれによってより落ち込むって人がいると思うんだよね。

で、どちらもすごく分かるんだ。

さらにそれが分かったとして、周りの人に伝えるべきなのかってのはすごく迷うと思うんだよね。

家族や友達、大人であれば同僚や上司に対して、自身が発達障害者であることを打ち明ける事は非常に怖いと思うんだ。


もちろん伝えることで事態が好転することだってあるだろうけど、悪い方に傾くことだってあるだろう?


だから、すごく大きな決断になると思うんだよね。

だけど、実際どっちの方がいいのかなって思って調べてみたんだ。

多少、よくない結果を招くことになったとしても周りに打ち明ける方が良いのか、はたまたそんなこともないのかって感じで。

7カ国のASD患者を対象に実施された、ASDの人が職場において、自身がASDであることを打ち明けることのメリットをデメリットについて調べた研究を基に話してみるね。

この研究では700人以上のASDの人を対象に調べられたんだ。

ただ、日本人を対象にしたものじゃないから、それがそのまま日本にも当てはまるのかって言われると正直分からないんだけど、そこまで大きな違いはないと思うからそのまま使うことにしたよ。

この研究で分かったこととしては、まずメリットとしては『受容されること』だろうね。

周りの人が『ASDなら仕方ないね』と受け入れてくれれば働きやすくもなるよね。

もちろん全員が全員、ASDに精通しているわけではないから、きちんと言わないと分からないことも多いし、その人が周りと違う事がASDによるものだと疑える人ばかりじゃない。

だから『なんでそんな事もできないの』ってなりがちな事でも、ASDであることを知ったが故に配慮してくれることだってあるよね。

という意味で言うと、ASDであることを打ち明けることで環境が良くなる事もあるらしい。

周りの皆が理解を持ってより働きやすい環境を作ってくれる事もあるらしいんだ。

そういう可能性に希望を抱けるなら打ち明けても良いかもね。

だけど、もちろん良い事ばかりじゃない。

やはり最も恐れていることとしてはスティグマや差別のような扱いを受けることだよね。

スティグマっていうのは、精神疾患の人や身体障害者の方に対して勝手な決めつけだけでネガティブな偏見を持ち接することね。

当然そのような見方をする人もいるだろう。

全員が全員、社会的弱者と言われる人たちに優しくできるわけじゃない。

『障害者なんていたらこっちの仕事が増えるじゃない』と心無いことを言われた事がある人もいたらしい。

もちろんそれは良いこととは言えないが、現状そういう声があっても仕方ないよね。

ただ、そういう意見がある事が、余計にASDの人たちに自身の現状を打ち明けることを怖がらせる原因になっているかもしれないんだよね。

だから、多分ASDの人たちが打ち明ける事が出来るかどうかは周りの人たちにある程度かかっているのかもしれない。

だとしたら、僕たちは環境を整える事から始める必要があるのかもしれない。

それらの人たちが優先的に生きやすい世の中じゃなくとも、少なくともそれらの人たちが生きづらくない世の中を作る事は大事なのかもしれないね。

明かすことの安心と苦しみ。


最後まで読んで頂きありがとうございました。

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