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原作改変と二次創作について

映像化の際の原作改変について論争がある。私個人としては、表現方法が違う以上、それに合わせて内容を変えるのは、避けようがないことだと思っているし、表現方法が変わるなら内容も変えた方が最適化されるものだと思っている。

映像化=二次利用である

原作となる小説やマンガを映像化、アニメ化するにあたって、法的にはそれらは二次利用として定義されるものとなる。
それは著作権的には翻案を伴うものであり、つまり二次創作として語られることが多い同人誌なんかと同一のカテゴリに入れられるものとなる。
著作権には同一性保持権というものがあるが、それは生み出した作品を勝手に改変されない権利であり、映像化に際しては必ず改変を伴うため、改変に関しても許諾を行う契約内容となる。
さらに言えば、権利としては小説→翻案された脚本→脚本を映像化という順序をたどり、映像は小説からたどると3次的創作物となる。
どう頑張ったとしても、小説そのままに映像を作ることなんてできない。ストーリーラインはなぞることができるかもしないが、心理描写から何からを全部入れ込むことなんてできないし、そんな作り方をした映像作品は余計なシーンが多すぎて誰も見ないだろうことは想像に難くない。
何を語るにしてもまずは前提としてこの構造を踏まえておきたい。

映像化に期待されること

小説やコミックスを映像化するにあたって、期待されることは何だろうか?
作品のいちファンが期待することは、その作品のキモを変えずに、さらに映像的面白さをプラスして、作品を表現したもの。になるだろう。
ただし、作品を映像化する主体は商売としてそれを行う。映画を作るなら興行収入を上げたいというのがメインになるし、ドラマにしても視聴率を上げたいというのがメインになるだろう。何せ商売。経済的成功が主目的になる。
つまりはより多くの人の求める物にしたい。なので、より多くの人になじめるように、なるべくキモの面白さを保持しながら改変を行っていくということになる。
そのため、とがった表現はよりマイルドになる傾向があるし、一方で原作読者からするとイメージがいまいち合わない役者が起用されたりする。
巨人の星がインドでアニメ化された際には、野球はクリケットにされた。改変としてはとても大きなものだが、多くの層に受け入れられるようにする改変というのは程度の差はあれ、そういうものだと思う。
小説を書いている原作者に、あなたのその小説を元に脚本を作ってくださいと言ったら、やっぱりいろいろと内容が変わってくると思う。表現したいことの核は変わらないだろうが、それを表現するための枝葉の部分は割と大きく変わるケースもあるだろうと思う。
他人が書けば、表現したいことの核の部分も認識のずれによって変わる可能性は大いにある。

同人誌も原作改変

映像化は二次創作と同じだと先にも述べた。
で、あるからこそ、現代において人気のある多くの作品は、二次創作という形で無断で改変されている。
個人の作る同人誌の多くは無許諾であり、無断で翻案しているためある意味原作著者の著作権を侵害していると言えそうなものであるのは間違いない。
R-18なものは顕著だろうが、そうでなくても、原作著者の表現したかった作品の精神に全部が沿っていると断言できそうもないものは多い。
そういった二次創作と、ドラマ化などの違いは、正式に許諾をしているか否かと、規模の違いだけだ。
正式に許諾しているからこそ、作品の精神に沿っていないものが許せないというところはあるかと思う。原作者が監修してないのかよ。と責任を負わせてくるようなことを言うやつも多い。
映像化の際のよくあるコメントとして「いち視聴者として楽しませてもらいます。」というのが昔はよくあった。この原作者のコメントは、ある意味とても合理的なスタンスなのだと思う。許諾はしたが、内容までは知らんぞと。
なんにせよそれらの翻案に対して、いろいろという資格があるのは原著作者だけであり、作品の核がなんであるかは、作った本人にしかわからない。
他人はそれを推測するしかないし、取り違える可能性は高い。

だからこそ、映像化やコミカライズなど、メディア展開をする際に原著作者はよくよく注意してほしい。必ず翻案は伴わなければ成立しないので、どう頑張っても程度問題になること。作品の核を理解してもらうためには、現著作者である人の膨大な努力が必要になることを覚悟するしかない。
脚本が上がってきたらチェックするの前に、作品の核を自分ではないクリエイターに理解してもらうための膨大な認識すり合わせが必要になる。
この辺は「顧客が本当に必要だったもの」の例示に近いものがある。多くの人が携わる場合、言葉を尽くしたとて根本が伝わっていないことはざらにある。

いちファンができること

単なるファンは当事者ではない。こういったことに口をはさんでも、無駄に問題を大きく見せて、当人同士の柔軟な動きを阻害し、問題をこじらせるだけでいいことなんかひとつもない。
原作者の意図に沿わない改変行為そのものを問題視するなら、多くの同人誌の存在を許してはいけないし、それを楽しむことなんか言語道断であるはずだ。
原作のファンは、映像化作品が面白かったら何度も見るなりして支持すればいいし、詰まらなかったら「つまらなかった、やっぱり原作が最高や」と愚痴でもこぼすくらいがちょうどいいのだと私は思う。


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