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やさしい夫の休日

毎週水曜日が夫のお休みなのだけど、ほぼ毎回、こういう感じになるのでちょっと聞いてほしい。

① 寝坊する(私が)
夫は普段、子どもたちが起きるころにはとうに仕事に行ってしまっているので、火曜日の夜、子どもたちは「明日はあさからパパがいる」ことにテンションが上がっている。
つまり、水曜日の朝、子どもたちは普段より早起きをしてしまうし、いつもなら先に起きたら「ママ起きて!」って激し目に起こされるのだけれど、水曜に関しては私には見向きもせずに、夫と早朝から楽しく遊んでいる。
私は完全に起きるタイミングを逸して(だめ)健やかに眠り続け、誰にも起こされることなく、気がついたら8時とか。
時計を見て飛び起きるシステム。

いい大人がこんな言葉を言うのはとても気が引けるのだけど、

「なんでだれも起こしてくれなかったの……」

ってなる。

以前、勇気を出してこの小学生みたいなセリフを言ったことがあるのだけど、夫はまるで仏様のような顔で、

「寝かしといてあげようと思って」

と言った。

やっさしいんだけど、やっさしいんだけど、それを言って下さるなら、子どもたちに朝ごはんを何かしら食べさせておいてくれたら嬉しかっ(自粛)。

昨日は幼稚園の登園日で、目が覚めたら時刻は8時だし、誰ひとりお着替えしていなかったし、ごはんはもちろん食べていないし、幼稚園の荷物もなにも用意できていなかった。

大慌てで朝ごはんを用意して、ママが起きてきた喜びでしがみついて離れない末っ子をあやして、身支度、あれこれ、猛スピードでなんとか園まで送り届けた。
(もちろん夫にも手伝ってもらった)


②お昼ごはんの勘定はひとり分
夫がお休みとなると、私は朝からお昼ごはんのことが頭から消えない。
10時半を過ぎたころから、お昼ごはんはどうしよう、と考え始める。
夫は料理ができない大食漢で、その上、食料を自分で調達するという発想が根本から抜け落ちているので、その胃袋を満たすのはどうしても私になる。
夫、野生だったら死んでる。

その量が量だけにひと仕事だ。
最近では、そんな私の胸中を察するくらいには夫も成長したのだけど、ベクトルが完全に自分の胃袋のみに向いているのが難だ。
昨日も、冷蔵庫を開けて、

「昨日の残り物あるね!これ食べるから気にしないでいいよ!仕事してていいよ!」

と、真心満たんだったところまでは最高だった。

やっさしい。では遠慮なく、私は小腹が減ったらその時に食べますねぇ、とお仕事に精を出して、パソコンの向こうでは夫がごはんを食べていて、とっても充実した昼下がりだった。

さて、そろそろキャンプから帰ってくる長女のお迎えに行こう、その前にごはんでも、と冷蔵庫を開けたら、なんにもない。

あれ、唐揚げ、けっこう残ってなかったっけ。
サラダも、あれ、クロケットみたいなやつもたくさんあったはず。あれ、なんで…跡形もない。

私も学習しないからいけないのだけど、夫は自分の胃袋を満たすことだけで精いっぱいなのだった。残すとか、微塵も思わないのだった。私がいちからお昼ごはんをひとりぶんつくる手間とか考えないのだった。私も唐揚げ食べたかったとか思わないのだった。
彼の勘定はいつだってひとり分だ。

長女のお迎えの時刻も迫っていたので、つくる猶予もなかったし、冷蔵庫の中を探し回って、たったひとつ残っていたミニハンバーグ(光…!)と焼いたしし唐3本、ライスとそして、おせんべいとうまい棒が私のお昼ごはんになった。
おいしかった(広い心)。


③やるやる詐欺
夫はとってもやさしいので、休日ともなれば「今日は家事(料理を除く)は任せてね!」と言ってくれたりする。
昨日は、前日に私の予定が立て込んでいたこともあって、畳んでいない洗濯物が山積みだったし、お部屋もわりと散らかっていた。

「洗濯物は畳んでおくね。部屋も片付けるよ!」

と言ってくれたので、ありがたくお任せすることにした。

のだけれど、夫は少し早いお昼ごはんをおなかいっぱい食べたら眠くなったらしく、少しだけ読書すると言って、ころんと横になったらそのまま気持ちよさそうに眠りについた。

長女(とそのお友達)のお迎えの時刻と、登園日の息子のお迎えが重なっていたので、息子のお迎えを夫にお願いしてあった。

まさかね、と思ったけれど、そのまさかで、私が出発前の14時半、「もういい加減お迎え行かないと」と起こすまで夫は起きなかった。

部屋はもちろん散らかったままだし、洗濯物も山積みのままだった。
あれ、私が最初からやればよかった…ね、となんだか自分に矛先が向く心地。これはいったい。

こういうことが夫の休日には起こりがちで、たいてい、どれかひとつの発生ですむのだけど、昨日に関しては3つすべてがフルコースだった。

どれもこれも、夫の優しさに起因しているものだから、当然、怒る感じにもならないし、文句を言う感じにもならない。
のだけど、この肩透かし感、いちいち地味に心が疲れるのだ。
フルコースともなればもう。

夫に口頭で、できればこのようなスタイルでお願いしたい旨、私の気持ちを伝えたこともあるのだけど、どうしてなかなか深層部までは届かないようで、あっさりと同じループに戻ってしまう。
聞いたことは忘れるタイプらしい。

耳から入れてだめなら、文字に書くしかないのでは、と紙に書いて(それは別件に関して)思いの丈を伝えたこともあったのだけど、その場ではいたく感心していたのに、半月もしたら冷蔵庫に貼っておいたその紙はただの風景になっていた。

だからね、夫は私のnoteを読んでるので、web上で可視化したらちょっと客観性も加味されて、もしかしたら彼の深層部にまで染みわたるのでは、と、よこしまな気持ち満点でこのnoteを書いている。

一応補足しておくと、夫は自己肯定感が最強なので、これを読んでいじけたり怒ったり拗ねたりする心配は皆無で、むしろ、自分のことをこんなにたくさん書いてくれるなんて、と浮かれると思う。


浮かれた夫にどうか、この絶妙の肩透かし感が伝わりますように。



また読みにきてくれたらそれでもう。