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私だって走る師走

頭の中がいと、うるさい。
どれだけ手を動かしてもやることが連綿とあって、これぞ暮らし、と思うと同時に、心が折れてしまうよ、とも思う。
私だけでもやることがたくさんあるのに、子どもたちに課されるあれこれは、同時に私の目を見てお伝えいただくこともたくさんあって、うっすらと胸に降り積もって気づけばずっしりと重みになる。

例えばピアノ。ていうか、ピアノ。
半年ほど前からだろうか。先生のレッスンが突如、熱を帯びてきた。
彼女にいったいどんな心境の変化があったのか知らないけれど、めったに泣かない長女がお迎えのときにはずぶずぶに泣き濡れていることがたびたびある。
元気印の長男さえも魂が抜かれた容れ物のような状態になっていることが何度かあった。

「ピアノの練習ってできませんかね」

先生が目の奥に何かしらの炎をたぎらせながら口元はしっかり微笑んでおっしゃる。
目の奥の炎の正体が分からない私は、体制をどう整えていいか測りかねながら絞るように

「えっと……習い事や宿題の兼ね合いもあって……忙しい日もあってですね……」

私がもっとも自慢できる点と言えば口から生まれたことだというのに、どうしたことか、言葉が上手く出ない。口から出まかせほど得意なことはないはずだったのに。

先生は依然、口元はしっかり微笑んで、厳しいお言葉をいくらか並べた。
もう腹に据えかねてますよ、というふうに。
先生はやはりお怒りになられている。とにかくもっと練習をと言っている。1日30分はやりましょう。できないときでも15分はやりましょう。ただ練習するんじゃなくて、集中して、楽譜をしっかり見て、考えながら練習しましょう。
やだ、ちょっと、私のほうを見ないで、先生。

*

こうなると、レッスン後に泣き濡れるのは私の責任でもあるような気がして、胸が騒ぐ。そんなことばかり考えているのをスマホが察知するのか、インスタグラムのサジェストに情熱的なピアノレッスンをなさるお母様のリール動画が流れてきた。

「ターァタ、ができてない!わかる??タータ、じゃなくて、ターァタ!!!できる!!あなたの手ならきっと素敵にターァタできるの!!!!」

泣きながら、ターァタに臨む、長女よりも長男よりもうんと小さな女の子。
むっちりした指が愛おしい。

情熱的な鍛錬の上に素晴らしい演奏が存在するのだという世の中の理だって分かっている。きっとターァタができた暁には彼女は大きな達成感と新しい景色を見るんだろう。それは間違いなく素敵なことだ。

けれども、実際に目の当たりにすると心身ともにもやしっ子の私は怯んでしまうよ。まさか先生は私にも、あのリールの親御さんとまではいかないにしても、それなりの情熱をお望みなんだろうか。だとしたら私のことも長女のことも誤解しすぎでは。
私にはタータの違いもターァタの違いも分からないのです、先生。

けれど、長女がこれ以上泣き濡れるのも、長男が抜け殻になるのももうひとつ腑に落ちない。それに、なにごとにも練習が必要なのも確かなことだし、私の目を見てお説教されるのもちょっと勘弁願いたい。
という訳で、真面目なお顔で「可能な範囲でよいので、みんなきちんと練習をしようね」と文字にすると当たり前すぎて読み飛ばしそうなことを、ようやく子どもたちに言った。

子どもってやりたいこともやることもものすごく多いのに、たくさん寝ないといけないから、こちらからなにかを課すのってとても憚られる。
あれもこれもと課されて、漫画を読む時間が減ったり、寝る時間が短くなったりしてはよくない。

とは言え、公言した以上、いったんは私も大人だし、お母さんなので、それらしく声をかけている。
と同時に、冬休みなので相応に宿題もあるし、特に、なんでも手を出してかじりたがる長女はこまごまとした、やるべきことが他にもいくらかある。
自分で隅々までマネジメントできれば言うことがないけれど、そうもいかないのが子どもだし。

*

家の中は散らかっているし、洗濯物はずっと目の前にぶら下がっている。脱衣所に行けばしまわれる気配のない乾いた洗濯物たちが、とんでもない標高でそびえ立っている。

「どこか連れてって」「一緒に遊ぼう」「お外は気持ちいいよ」

彼らの声が突き刺さる。
こんないいお天気なのに、私はなんで応えてあげられないんだろう。
パソコンの中では年を越すべきではない仕事が私を待っている。
冷蔵庫の中は空っぽでいよいよ買い物にも行かないといけない。
大掃除ってなに?ちょっとなんのことなのか分からないの、というふりをしているそばから、汚れた窓と洗面台の鏡に罪悪感を煽られる。
バカ!!!煽んなバカ!!!!

なにをしていても、終わっていないあれこれが背名を刺してくるので気が休まらない。なにかしらに向かって手を動かしているんだけれど、同時に手を付けてもらえないなにかが恨みがましくこっちを見る。そして、ああ、時々ふと思い出すピアノの練習。ピアノに座ったはずの長女は気づけば、寝室へひっこんで「ひまわり!〜健一レジェンド〜」を読んでいる。ひまわり!めっちゃ面白いよね。

これが師走。師走の醍醐味。と思うことでしか自分を慰めることができない。もちろん、こんなことをだらだら書いている場合じゃないのだけど、もう、頭の中がうるさすぎて取り出しておかないと情緒が悪さをしてしまう。

とりあえず今日1日を駆け抜ける。けっきょく毎日がそれだけ。




また読みにきてくれたらそれでもう。