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信じる者は救われる


特別な能力があるわけでもないが、そう思いたくなる現象は子供のころからあり、いつも誰かに見られてる気がしていた。

特に実家で歯を磨いてるときはかならず誰かに見られてるきがして(なんだその時間笑) 特に実家は誰がいると思わざる得ないほど、自分が1階にいると二階で人の気配がして怖くなり、二階にいると一階で人の気配がしていったり来たりと変な行動する子供だった。

今では一人じゃないと逆に安心して、おひとり様が好きになってしまった笑

この本を読むきっかけが実は亡くなった祖母と父に、身内で悩んでいることがありそのことをお願いしていたら、スムーズに事がすすみ、奇跡的に解決したことがあった。亡き祖母と父のおかげに他ならないと思わざる得ないようなほど、ミラクルな出来事だったのだ。

見られてる→見守られてるにかわり、今は落ち着いて暮らしてる笑

このミラクルな出来事はお線香を毎日父と祖母の写真に手向けていたのがきっかけで、

この本にもたまにお金だして霊視してもらえるスピリチュアル的な方にも亡くなった人は修行でいそがしくて、あなたが話しかけても気が付かないことがあるので、お線香をたくとわかりますよと言われたのだが、半信半疑だったがこの本にも書いてあって、やはりそうなんだと納得した。

また、亡くなった人を忘れられないこともありますが、一人ひとり運命や寿命がそれぞれちがうように、この世に生きてることは時間は実は長いようで限られていて、限りある命を大事にすることだと。

病気になった時は、その人へのメッセージで自分と向き合い、今の生き方を考えさせるといわれてるそうです。

悲しい、つらいと受け止めるのではなく、自分に起こったうまくいかないことは実は警鐘であって、そこで問題と向き合うことで結果的に幸せになるための行動に転換するということだそう。

受け止め方は次第で好転する行為に修正できることが目的なんだろうなと

なかなか難しいことではありますが、すべてのことは自分にとって幸せに生きるための事なんだととらえられれば人生捨てたものではないかなと思います。

亡くなった人への想いや伝えたいことは、手をあわせなくても伝わってること。別に墓参りやお線香だけでなくいつも思い出してあげることが大事で(執着ではなく)いつも、大切に思っていた人は見守ってくれて、お互いエネルギーを出し合っていい影響をだしているということらしいです。

あの世でもサポートが必要らしく、こちらで手を合わせたり想っていると亡き人のサポートになりまたその亡き人がこちらにもサポートしてくれるような

ただスピリチュアル的なことは信じるも信じないもあなた次第だと思います私は特別な力はないですが、とにかく誰かにじっとみられてるのが子供のころからあったので(たまに着替えてるときもはずかしかったりしたことがある子供時代←ほんとにのぞかれたこともありますが、これはリアルに犯罪レベルのこと笑 いやいや笑うところじゃない)


このようなスピリチュアル的なことも依存するのではなく、ひとりじゃないんだと、自分の大切な祖先を大事にするという心は忘れないでおきたいなと思いました。






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