見出し画像

ケチの遺伝子【忘れ去られた自己肯定感】 2

美鈴2


子供の頃、買ってもらえなかったなー、
なんにも……
私って、透明人間なのかも、って思ってた。
誰も私に興味がない。
親も兄も友達も先生も……

親は忙しかった。
父は小さな印刷会社に勤めていたそうだがあまり知らない。

母は病院で清掃の仕事をしていた。
母は体が小さかった。私も下の子もそこは似ている。

父がいつからいないのかよく分からないが、
中学の頃には帰ってこなくなっていたと思う。
まだ家にいた頃の記憶はあるが、
黙って夕飯を食べるとさっさと寝ていたと思う。
話をした記憶がほとんどない。
どんな声だったか、思い出せもしないくらいだ。
インクの匂いは微かに覚えている。

兄がいた。
兄は中学を卒業するとすぐに家を出た。
働きに出たのだと思う。
兄の記憶もほとんなない。
家に二人でいることも多かったが、大抵寝ていた。
そういえば、兄の声も覚えていない……


母はニコニコ笑うような人ではなかった。
いつも忙しそうに何かしていた。
いつご飯を食べていたのか、
いつ寝ていたのか、今考えても思い出せない。
学校行事なんか来ても、
隅っこの方で申し訳なさそうに少しだけそこに居て、すぐ帰っていた。

他のお母さん方は綺麗な洋服を着て、
お化粧をして、楽しそうにおしゃべりをしていたが、母のそう言う姿は見た事がない。
母には友達はいたのだろうか……
私の母だけ老けて見えた。

小さい頃の記憶はあまりないが、
小学校入学の時のことは鮮明に覚えている。

周りの子達はレースの襟のついたブラウスと、
チェックや赤・紺色のジャンバースカートを着て、真っ白いハイソックスを履いていた。
それにもレースと刺繍がついていた。
ピカピカの赤いランドセル、
ピカピカの筆箱と長い新品の鉛筆。
どれも眩しかった。

これだけ周りの子達の記憶があるのに、
自分の記憶はない。
ただ6年間使ったランドセルには、
他の子の名前が書いてあった。

3年生の時、上靴が小さいくて足の指が痛くなって、踵を踏んで履いていた。

そのことで担任やクラスメイトにものすごく責められた事がある。
それまで一度も私の名前にちゃん付けをして呼んでくれたことがない子が、
「どうして美鈴ちゃんは、上靴の踵を踏んでいるんですか?」と
帰りの会で手を上げて言ってくれたのだ。

そのあと担任の先生が私の上靴を見に来て、驚いていた。
今にして思えば、汚かったのと、
ものすごく小さかったからだろうと思う。
一年生の時から履いていた上履きだったから……

その時のことははっきり覚えてはいないのだが、職員室に連れて行かれて上履きをもらった気がする。

上履きをもらったことも嬉しかったと思うが、それより何より、
「美鈴ちゃん」と私の名前を呼んでもらえたことが嬉しかった。
小学生時代で一番嬉しかった出来事だ。
この時から、私の人生に色が付き始めたように思っている。

つづく


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?