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飛行機の中のSMAP

飛行機がこわい。

これは、まんじゅうが本当は大好物なのにまんじゅうが怖いと嘯いて、周囲の人たちからまんじゅうをたかろうとした江戸時代の町人、後に落語界で人気者となったあの人をリスペクトして言っているわけではありません。

なんのひねりもなく、リアルに飛行機がこわい。

まず、あんなにクソデカくて重そうな鉄の塊が、何百人も乗せて雲の上に浮かんでいるという現象がもう怖い。ちょっとした異世界体験じゃないのかあれ。

しかし、大阪から飛行機に乗って沖縄に着いた頃には勇者になっていたという話は聞いたことがないし、飛行機内のダンジョンでモンスターを煮て食べたら美味かったという話も聞かない。

どうやら、飛行機は現実世界に存在する代物らしい。というか、自分も実際に乗ったことがあるゆえに、信じざるを得ない。もちろんその時は小刻みに震えていました。

いっそここでムリヤリ寝てしまえば、起きた頃には目的地に辿り着いているだろうと目を閉じるも、それはそれとして、雲の上の世界がどうなっているのか見てみたいという好奇心はありました。

きっと雲の上には天国があり、ドラえもんたちが雲固めガスで作った天上の街が発展している……とはさすがに、もうすでに高校生だったので思っていませんでしたが、それでも何かしら神秘のようなものはあるのではないか、というワクワクが、ドキドキとともにあったのです。

どうやら空中にやって来てから数十分ほど経ったらしく、飛行機が飛んだ瞬間はクララが立った瞬間と同じくらい大喝采で喜んでいた同級生たちも落ち着いてきて、ウトウトと眠る者まで現れた頃、自分はむしろ目が冴えてきました。

というか、もう空中にいるのだから今後どんな運命が来ようとも受け入れよう、日の丸の国旗とともに、……と、戦中の大日本帝国海軍航空部隊のような心持ちになっていました。

そっと丸い窓の外を見やると、まるでハーゲンダッツのバニラ味の表面のごとくふわふわとした真っ白な姿をした雲が見えました。

自分を乗せたこの鉄の塊は今、明らかに雲の上にいる。雲の上には何もなく、人が誰もいない。高木ブーさんもいかりや長介さんも仲本工事さんもいない。神様もミスター・ポポもいない。

なんだこれ。再びなんかこわくなってきた。が、途中で下ろしてくださいと言っても無駄なのだ。

なにせ、飛行機には空港というものはあっても駅はなく、普通電車はもちろん、JRの新快速よりも、阪急の通勤特急よりも、いやそれどころか、新幹線やF1よりも速いのである。

おかしいだろ。チートだろ。空に浮かぶ上に他のどの乗り物よりも速いってなんだよ。順序からすれば、タイヤのない車を発明する方が先だろうが。

誰に何をブチギレているのか謎ですが、そのような情緒不安定な状態をなんとか落ち着かせるべく、隣に座っている友人に声をかけました。

電車より速くてこわいと力説したのですがまるで相手にしてもらえず、彼は何を言っているんだおまえはという顔をして「俺、寝る」と言いましたが、全スルーするのも不憫だと思ったのか、座席に備え付けられたヘッドフォンでラジオが聴けることを教えてくれました。

ラジオといっても当時は林原めぐみさんのハートフルステーションくらいしか聴いたことがなかったので、さほど興味はそそられませんでしたが、他に気を紛らわせるものがなかったので耳にヘッドフォンを充てがうと、そこからSMAPの誰かと誰かの会話が聞こえてきました。

中居くんとキムタクだったか、香取くんと草彅くんだったか、今となっては思い出せないのですが、とりあえずSMAPの誰かふたりでした。

ふたりは「余計なもの」に関するトークを繰り広げていました。生活において絶対に必要ではないもの。

たとえば、彼らの主戦場のひとつであるテレビがなくても人は生きていける。彼らがたくさん世の中に発表した歌がなくても人は生きていける。彼らが普段おこなっているコンサートがなくなっても世の中は回っていく。

しかしながら、そういった余計なものがない暮らしというのは、上手く回るかもしれないが、つまらないのではないか……というようなことを語っていらっしゃいました。

このラジオは10分ほどの短い番組で、すぐに終わってしまったのですが、どうやらチャンネルが替えられないようで、飛行機が着陸するまで、ずっとこの番組を延々と聴く羽目になりました。

中居くんだったかキムタクだったか香取くんだったか草彅くんだったかには申し訳ないのですが、あの時間は実に余計なものでした。

でもそのおかげで、人生初の飛行機の記憶にSMAPが入り込んでいて、それはもう二度とできない体験なのだと思うと、貴重なものだったと思うので、またあのラジオが聴きたい。飛行機こわいし。


サウナはたのしい。