見出し画像

西行の恋歌を好きになりました (1116字)

去年、岩波文庫に入っている西行の『山家集』を読みました。去年読んだ本の中で特に心に残っている1冊です。一つ一つの和歌を音読しながら読んだので読み終わるまで時間がかかり過ぎてしまいましたが、読み切ってよかったです。

有名な「願わくは花の下にて春死なんそのきさらぎの望月の頃」という和歌から自然のことを詠んだ歌が多いのかと思ったのですが、それ以外のもの多いです。仏教への篤い信仰心を表現した歌も多く心を打たれました。

「ありがたき法にあふぎの風ならば心の塵をはらへとぞ思ふ」

「心の塵」とは今の人にも分かる現代的な表現だと思います。

冬を詠んだ歌は寂しげなものが多いですが、透き通るような美しさがあります。

「ひとりすむ片山かげの友なれや嵐にはるる冬の世の月」

この歌はすうっと心に入ってきました。西行も寂しい夜は空の月を見て慰められたのです。

意外だったのは恋歌に良いものが多いことです。出家したので世俗的なものとは無縁だったのではと思っていたのですが、そんなことはありません。恋の苦しみを歌ったことが多く、深く感じ入りながら読みました。

「つつめども袖より外にこぼれ出ててうしろめたきは涙なりけり」

誰かを思ってその思いが報われない時のことを、詠んだものかもしれません。「袖」という言葉は昔の和歌でよく使われるようです。涙を隠すためのものです。一つの和歌で「涙」と「袖」が一緒に使われるのはやや珍しいです。でも、西行の歌ではそれが多いです。

西行の和歌は同時代の『新古今和歌集』の歌人たちにくらべて、飾らないで率直に胸の内を読んだものが多く、その歌風がこの歌にも出ています。

「秋の月もの思ふひとのためとてや影に哀をそへて出づらむ」

この歌は本当に好きになりました。しみじみとした情感があります。秋の月が恋する人のために影に哀れを添えるとは、恋愛で苦しんだ人でなければ書けないと思います。

「逢ふことのなき病にて恋ひ死なばさすがに人やあわれと思はむ」

好きな人に会えないで、悲しみのために死んでしまうという激しい表現が使われています。和歌としての美しさには欠けるかもしれません。でも、この率直な表現は好きです。武士でもあった西行の潔さが現れている気がします。苦いユーモアも感じました。

「なつかしき君が心の色をいかで露もちらさで袖いつつまむ」

慕わしい君の心のすべてを、どんな風にして袖で包み込もうか、と言う和歌らしい優美な表現が使われています。「心の色」と言う表現も好きです。現代人の心にも響きます。

『山家集』を読み終わったのは去年の暮でした。今でも、時々読み返しています。1回ぐらい読んだだけではその良さは分からないのと思うので、またいつか音読しながら再読したいです。




この記事が参加している募集

読書感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?