服のハナシ。vol.5
東ドイツ軍セーラーシャツとORCIVALのバスクシャツのハナシ。
みなさんこんにちは。
やっと秋が来たなと思ったら、結構冷え込む日が増えてきましたね。
今回は、可愛らしい海軍コーデということで、セーラーシャツとバスクシャツを使用したコーデにしました。
ということで、今回は、東ドイツ軍セーラーシャツとORCIVALのバスクシャツのハナシ。
セーラーシャツ
セーラーシャツの歴史
セーラーシャツとは、、、
前がVネックで後ろにスクエア型の大きな襟があるシャツのことです。セーラーシャツのセーラーは、襟の形のセーラーカラーです。
セーラーシャツは、1800年代半ばにイギリス海軍で誕生した軍服だそうです。元々は、イギリス海軍の共通の制服がなかったため、作られたのがセーラーシャツです。
なぜ、イギリス海軍でセーラーシャツが採用されたのかというと、セーラーシャツは、胸元がVネックで大きく開いているため、海に落ちた場合でも泳ぎやすいということもあり採用されたようです。
そして、やっぱり、セーラーシャツってかわいいですよね。当時のイギリスでもかわいいと話題になったみたいです。そこで、イギリスの海軍学校の制服として採用されたあと、1800年代後半には、子供服としても普及していったそうです。
日本の海軍にも採用され、1920年には、京都の平安女学院で制服としてセーラー服が採用されたことで、現在当たり前にセーラー服が存在しています。
東ドイツ軍セーラーシャツ
東ドイツ軍のセーラーシャツは、コットンの厚手のキャンバス地です。
この風合いは、ドイツ軍ならではかなと思います。イギリス軍やフランス軍は、コットン100%でもう少し薄手のしなやかな質感が多いかなと思います。また、アメリカ軍のものには、ウールのものもあるみたいです。
また、私が着用しているものには、「NVA M-48」というステンシルもあり、NVAは東ドイツ軍を示し、M-48は、サイズを示すみたいで、Sサイズ相当くらいらしいです。
バスクシャツ
バスクシャツの歴史
バスクシャツとは、、
船乗りのワークウェアとしたのが始まりみたいです。
明確な基準はないですが、ボーダーとボートネックがバスクシャツのアイコンだと思います。
その後は、フランス海軍の服として採用され始めました。そこから普段着としても普及していったみたいです。
「バスクシャツ」という語源は、フランスのバスク地方からきています。私は、単純にバスク地方発祥なんだと思いました。しかも、当たり前のように世界共通で「バスクシャツ」認識だと思っていました。
しかし、フランスでは、「ブルトンマリン」と呼ぶのが一般的だそうです。このブルトンというのは、フランスのブリュターニュ地方からきています。
実際にどっちが発祥かははっきりわかりません。どちらの地方も海に密に面しており、漁業が盛んだったことは確かです。
ただ、バスク地方は、元来スペインとまたがっている地方で、スペイン側のバスクとフランス側のバスクがあります。
私が調べた限りでは、当時のフランスが完全にフランスの領土であるブリュターニュ地方の「ブルトンマリン」を浸透させたかったのではないかという見解を目にしました。
ORCIVAL
ORCIVALとは、、
フレンチマリンウェアの老舗ブランドで、貴重な編み機を使って生産を行っています。フランス海軍への納品を行っていたブランドでもあります。
ORCIVALは、1939年にフランスのパリで、チャールズ・バートによって誕生しました。1947年からは、フランス海軍に納品も行っていました。そして、代表的なアイテムである「バスクシャツ(マリンTシャツ)」は、フランス海軍や様々な著名人にも着用されてきました。
ORCIVALというブランド名は、フランスのオーヴェルニュ地方のオーシバルという小さな村から付けられたそうです。
アイコンである、蜂のマークは、蜂の帰巣本能の習性とかけて、海軍も無事に帰ってほしいという願いが込められているそうです。
おわりに
今回は、東ドイツ軍セーラーシャツとORCIVALのバスクシャツのハナシ。でした。歴史を辿ると思わぬ発見やさらなる謎がでてきてまた面白いですよね。服の歴史を知って、自分だけのこだわりやテーマでコーディネートを組むとより一層面白いと思います。
今回のコーデも載せてみます。
Instagramには、今回のコーディネートを投稿してるので、よかったらポチッと
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