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小学校の「演芸大会」で、超スベった思い出。

こんにちは、ぷるるです。
毎日暑いですね。

お盆に実家へ帰った時に小学校時代の写真を見ていたら、かつて自分が全校生徒の前で爆スベリをかました記憶がよみがえってきました。

よかったら聞いてください。


小学校5年生の頃、席替えにとても恵まれたことがある。
隣席は、マッシュルームカットが印象的な少年。

見た目が昭和の香港スター、サモ・ハン・キンポーに似ていたから、以後彼のことを『サモ・ハン』と呼ぼう。

サモ・ハン・キンポーより痩せていたが、平均よりは太っていた。


サモ・ハンは運動が不得手で成績は普通。もちろんイケメンでもない。

ただ、彼はとっても話が面白かった。でも自分一人で語りまくるタイプではない。
聞き方も上手という、いわゆる「会話巧者」な男の子だった。

また運の良いことに後席の二人とも気が合ったため、私たちはよく休憩時間も4人でおしゃべりを楽しんでいた。


奇跡の配席って、たま〜にありますよね。


さて、そんなある日のこと。
突然に全員参加の「クラス対抗演芸大会」なるものが開かれた。

演芸大会など後にも先にもこの一度きりで、誰がどんな理由で企画したのか、まったく思い出せない。でもとにかく開かれて、各クラスは代表を選ぶことになった。

前後の席で4人グループを作り、その単位で競うのがルールだ。面白い子だけで固まらないよう、公平を考えたのかもしれない。

私のグループはサモ・ハンと後席の二人。
この最高な布陣に、我々4人のテンションは当然に上がった。

すると後席女子が「サモ・ハンの早口言葉をやらない?」と提案してきた。

サモ・ハンの早口言葉、とは・・・

つい数日前サモ・ハンは「3倍速・生麦生米生卵」を習得し我々に披露した。
結果、我々の腹筋は崩壊したが、まだ他のクラスメイトはこの技を知らない。

出典:ぷるる・記憶の小箱より引用

うん、あのネタならいける!我々はすぐに練習へ入った。
サモ・ハン以外の3人は、合いの手で彼のサポートに徹する。

サモ・ハン 「生麦生米生卵!」*1倍速
他3人   「ヨッ!」
サモ・ハン 「生麦生米生卵!!」*2倍速
他3人   「ハッ!!」
サモ・ハン 「生麦生米生卵!!!」*3倍速
他3人   「yeah!!!」

徐々に倍速を上げ、場を盛り上げる作戦だ。

この作戦は功をそうし、クラスメイトを爆笑の渦に巻き込んだ。そう、我々は楽々と演芸大会の代表に決まったのだ。

当然の結果だと私は思った。この後に待ち受ける悲劇も知らずに・・・


そして数日後。
クラス対抗演芸合戦の本番がやってきた。

全校生徒は体育館に詰め込まれ、各演者のジャッジを始める。
そして出演者は、時に拍手を受け、薄い反応に涙していた。

生徒達は素人ながらも、いつしか鋭い批評者の目を演者に向けていたのだ。

誰もが審査委員長

でも私は緊張しながらも、それほど心配はしていなかった。
だって信じていたから。

サモ・ハンの早口言葉の力を!!

ゆえに我々は胸を張って舞台に上がり、サモ・ハンは臆することなく「3倍速 生麦生米生卵」を披露した。

追従する私たちの合いの手。
加速するスピード。
唸るグルーヴ。

過去最高の出来だった。何もかもが完璧だった。

完璧だったが・・・


超スベった!!!


ノっているのはこっちだけ。
客席(?)は戸惑い3割、シラケ7割の冷えっぷり。
クラスメイトまでもが、他人の顔をして我々から目を背けているではないか。

あの笑顔は嘘だったの!?


私は11歳にして、空気とはこれほど冷えるものかと初めて知った。

そしてパニックに陥った。冷えの意味がわからなかったから。
でも・・・今の私にはわかってる。

なんというか、この早口言葉3倍速、

実はそれほど面白くなかったって・・・。



なんというか、所詮は早口言葉なのだ。

ただ私たちはサモ・ハンが面白い子だって知っていて、それはクラスメイトも同じで、だから彼がやるだけで笑えただけなのだ。

対して今この場にいるほとんどが、サモ・ハンのことを知らない。
つまりは内輪ウケレベルってこと。全校を相手にするには弱すぎたのだ。

でも私たちは誰も、誰もその真実を見抜くことができなかった。

結果、一度も笑いを取れずに制限時間に。

我々は逃げるように舞台袖へ駆け込んだ。
背後からは、次のグループの盛り上がる声が聞こえてくる。

恥ずかしさ、みじめさに全員が打ちのめされていたその時。
サモ・ハンがこう言った。

「すまん、俺のせいだ・・・ほんとごめん」

いつも陽気なサモ・ハンが、今にも泣き出しそうである。

こんな辛い時に謝るなんて、サモ・ハン!!
なんていい奴なんだ、サモ・ハン!!

私たちは自然に肩を組み、身を寄せ合って互いを励ました。
傷は残ったが、結束が固まった瞬間だ。

でも私は胸が痛くて仕方なかった。本当は声を上げて泣きたかった。
そしてサモ・ハンを悲しませるすべてのものが、本気で憎かった・・・。



以上が演芸大会の思い出です。

幸いなことにサモ・ハンはすぐ元気を取り戻しましたが、小六の時に他県に引っ越してしまいました。お別れ会がとても辛かったのを覚えています。

今考えると、私はサモ・ハンが好きだったのでしょう。

それにしても好きな相手に「早口言葉3倍速男」を選ぶあたり、人の「傾向」って変わらないものですね。

久しぶりに思い出して、我ながら驚いてしまいました。

この傾向が良いのか悪いのか、人生の途中である今はまだ解りません。
答えがもし出たならば、noteでお伝えしたいと思います。

ただ、30年後ぐらいになると思いますが・・・・。
せめて皆様の長寿を、心よりお祈り申し上げております。





















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