見出し画像

謝ることと、許すこと。

『本当に謝ること』は、実はとてもむつかしいと思います。そして本当に許すことも。

謝っているつもり、許しているつもり、の方が実は多いかもしれません。

私はかつて心からの謝罪を受けたことがあります。
でも当時はそれがわかりませんでした。

気づけたのはnoteを書くようになり、再び自分と深く対話をするようになってからです。

この気づきは、私の心や思い出をより自由にしてくれました。
自分が知らぬ間に、『本当に許していたこと』を知ったからです。


小学校1年生から2年生にかけて、私はQさんとPさん2人の女子クラスメイトに、いじめられていました。

2人に連携はなくそれぞれ単独での行動。つまりいじめのダブルパンチ。
人生にはキツい時期があるものです。

今回はPさんとの話を書こうと思います。Qさんの話はまたいつか。


当時、Pさんと私は主人と下僕の関係でした。

なぜならPさんが臆病でケンカ慣れしていない私を、ロックオンしたからです。
彼女は「逆らったら、私のロボットがあんたを狙うからね」と言いました。

私は「ロボットに殺されるよりは・・・」と思い、言うことを聞きました。

今ならツッコミどころ満載ですが、当時は信じちゃったんですね。
ロボットアニメに夢中だったのが、いけなかったかもしれません。


それから私は砂場に胸まで埋められたり、道端の草を食べさせられたり、その他もう少しエグめなことを、毎日あれこれやらされました。

クラスメイトはPさん側か無関心。
先生と親には言ってません。ロボットが本気で怖かったから。

毎日が地獄でした。

ところが小2の夏休み明け、突然に風向きが変わりました。
クラスメイトの女子たちが、なぜか急に私の味方になったのです。
(変化の理由はわからずじまいです。助かったけれどこの経験から、私は女性の集団がダメになりました。怖いし信用できない)

反対にPさんはどんどん孤立し、そのままクラス替えを迎えました。
私の小学生時代は、2年ごとのクラス替えだったのです。

新クラスには、Pさんもいじめもありません。
親友もできた私は、やっと学校生活を楽しめるようになりました。
怖くない毎日が、ほんとうにうれしかった。

しかし運命は平和を与える裏で、Pさんとの再会も用意していたのです。


小3の冬。
1・2年時のクラスメイトで、クリスマス会をやることになりました。

1・2年なんて最悪期だったのになぜ参加したのか・・・記憶がありません。
しかしクリスマス会当日のことはよ〜く覚えています。

なぜなら顔を合わせた瞬間、Pさんが謝ってきたからです!

彼女は「あの時いじめてごめんなさい」と、勢いよく頭を下げました。
体は少し震えていて、どう見ても心からの謝罪です。

加害者が謝るなんてレアケースですから、私は運が良かったのでしょう。

また私はその時、Pさんの事情も知っていました。
彼女は小1の頃、お姉さんから激しい家庭内いじめを受けていたのです。

小さな心に深い傷を抱えていたPさんは、人に自分の痛みをぶつけなければ、耐えられなかったのですね。

だから私は言いました。

「うん、いいよ!」と。

そしてクリスマス会中ずっと、

Pさんを責めて、責めて、責め抜きました。ええ、完全に復讐です。


確かに私は臆病な子どもでした。
しかし目には目を的な一面も持ち合わせていたのです。

ただで許すことなど、到底できません。

私は自分がされた事や当時の気持ちを、Pさんに説明しました。
クリスマス会の間ずっと隣に座り、ねっちりじっくり説明しました。

彼女が心から悔いている行為について、静かに何度も淡々と。

Pさんが泣き出しても構わず、別れ際までずーっと言い続けました。

クリスマス会の内容は一切覚えていません。
覚えているのはPさんの泣き顔だけ。

いやあ、ものすごーーーーーーくスッキリしました
正直、「ざまあみろ!!!!」と思いました。反省なんかしなかった。

けれど小5のクラス替えで、私はPさんとまた同じクラスになったのです。

知った時は本当に嫌でした。もう関わりたくないと思っていたから。


しかし、意外にも私とPさんはすんなり話すようになりました。

最初はちょっと気まずかったけれど、他の子も交えて一緒に遊んだり、宿題をやるうちに、私たちは自然に笑ったり冗談を言い合う仲になりました。

Pさんが小6で転校したときは心から泣いたし、しばらくは文通もしていたのです。

そうできたのは、彼女への怒りや恐れがつるっと消えていたから。

子ども心に、私はそれがとても不思議でした。


そのうち私は「Pさんを許せたのは、復讐したからだ」と思うようになりました。相手にやり返して自尊心を取り戻したのだと。

友人に「MY武勇伝」として語ったたりもしたけれど、どこかでしっくりきていない自分もいました。

やり返したとはいえ、いじめのひどさの方が明らかに重かったのに。

私は、昔も今も心の広い人間ではありません。
残念ながら許せない人(例えばQさん)がいることも、知っています。

小1のいじめは確実にトラウマとなり、私を長い間苦しめました。

それなのになぜ。
心にずっと残っていた問いでした。


noteを書くことで、もう一度自分の深い部分と語り合おうと決めた時に、この出来事にも向き合うことは決めていました。

そしてゆっくりゆっくり考えるうちに、ふと見た動画、昔読んだ小説、友人との会話などが、ポツンポツンとつながり始め、ある朝、急にわかったのです。

怒りや恨みがつるりと消えた理由、それは・・・

Pさんが私の復讐を、正面から受け切ったからだということが。


悪いことをしたら謝りなさいと、幼い頃に教わります。

でも現実では謝りながらも言い訳したり、逆ギレするほうが多いでしょう。
会社や国ですらそんな対応を繰り返し、世界中で負の連鎖が続いています。

誰でも我が身が可愛いし、己を正当化したいものですから。

しかし9歳のPさんは、それをしませんでした。

あのクリスマス会の1日、逃げず、怒らず、言い返さず。
ネチネチ責めるわたしの隣にじっと居続けたのです。

Pさんは言葉だけでなく、私自身を真に受け止めきってくれました。
全身で、真に謝り切ってくれました。

だから私は、自分でも知らぬ間に許してしまっていたのです。
真に許したからこそ、怖さも痛みも不要になったのです。

この事実に気づいた時、私は9歳のPさんを心から尊敬しました。


あのいじめにおいて、私は被害者でPさんは加害者でした。
でも一度も過ちを犯さず、加害者にもならない人間がいるでしょうか。

私だって過ちだらけですし、人をたくさん傷つけてきました。
被害者であり、加害者でもありました。

だからこそPさん、私はあなたから学んだのです。

自分の苦しみを他者にぶつけてはいけないこと。

謝罪とは、相手の痛みや苦しみを受け止めきること。

そして真の謝罪がなされたときは、本当の許しもまた訪れることを。


私はこれからも間違うと思います。
気をつけても、人を傷つけてしまうことがあるでしょう。

その時はPさん。9歳のあなたをお手本にしようと思います。

あなたのように見事受け切れるか、ちょっと・・かなり自信がないけど。
でも頑張るよ。頑張ってみせるね。

真に謝れる人間であるように。

多分、もう会うことはないでしょうけど、Pさん。
あなたの幸福を心から願っています。




この記事が参加している募集

#noteでよかったこと

48,011件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?