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命の終わりに

月曜日、親しい人が亡くなりました。

彼女は両親の親友で、幼い頃は家族ぐるみのお付き合いをしていました。
たくさんの時間を彼女の一家と過ごしたものです。

とてもおおらかな人でした。

お料理、ソーイング、スポーツ、絵を描くこと、何をやっても上手な人でした。

大抵のことは「いいよ、私に任せな」と言って、引き受けてしまう人でした。
しかも、見事に解決してくれる頼もしさ。

みんながわがままを言いたくなってしまう人でした。

タバコが好きで、だけど家族から怒られると言って、いつも換気扇の下でこっそり吸っていた姿を思い出します。

タバコが様になる大人の女の人でした。

しかし、私を含めた子供達が大きくなるにつれ、両家で集まる機会は減ってしまいました。
私が彼女と最後に会ったのは7年前。あとはずっと年賀状だけのやり取りでした。


彼女は70をとうに超えていたし、ここ3年は闘病生活でした。
特にこの1年は辛かったと聞いています。

「弱った姿を人には見せたくない」ということで、お見舞いに行くこともできなかったけれど、そこが彼女らしいと思っていました。

だから、亡くなった日の午後に家族で駆けつけて、お別れをした時。
辛くてたまらない、という感じにはならなかった。

死に顔がとても安らかだったことも、後押ししました。
「もう苦しくないからね」という彼女の息子の言葉は、みんなの気持ちでもあったと思います。

その夜は久しぶりに両家でご飯を食べながら、彼女の話で盛り上がりました。
それぞれ好きにしゃべりながら、笑って、合間合間にポロポロ泣いて。

良いお別れができたと思います。理想的と言っても良いかもしれません。


だけど、違うんだ。
年齢的に十分生きたとか、闘病から解放されたからなんて、後付けの理由なんだ。自分を納得させるために言ってるだけなんだ。

私はただ、ただ、寂しい。寂しくてたまらないよ。
この世に彼女がいないことが。あちらの世界に行ってしまったことが。

でも。
もし今彼女が健康な状態で生き返ったとしても、結局私は年賀状のやり取りだけで、過ごしてしまうだろう。

そして、久しぶりに会った時、最初の会話はぎこちないのだろう。

別れ際に「またおいで」と言われて、「うん、また来るわ」と答えながら、行かないのだろう。

それでも彼女が文句を言ったり大笑いしながら、幸福だったり辛かったりしながら、あの場所で生きていてくれることが、支えになっていたんだよ。

彼女の命は、私の一部分を確実に占めていたんだよ。


人は生きているだけで、驚くぐらい誰かを支えてる。
命の終わりに、私がいつも痛感させられるのはこのことだ。

何度も命を見送ってきた。
しょっちゅう会っていた相手もいるけれど、学校を卒業して一度も会ってないクラスメイトもいる。

だけど深さの差はあれ、私はみんなに支えられていた。
彼女たちがいなくなった時、いつも私の心は少し傾ぐ。心許なくなる。
それで気づくんだ、命の重みに。

そんなことは幻想だろうか?
「お前は相手の何を知っているんだ!」と言われたら、答えられない。

でも、相手の深部を知らなくても、彼女は、彼女たちは確かにいた。
私の人生に存在してくれた。関わってくれたんだ。

それだけでは悲しむ理由にならないだろうか。

それが良い縁でも悪い縁でも。
夢に見るほど大好きでも、死ぬほどムカついていても。


命の終わりに、私はいつも思う。

支えてもらっていることのありがたさと、自分も誰かを支えていることのありがたさを。

生き切った人への敬意と、これから自分も生き切るのだという覚悟を。

命は美しいけれど、重くて泥臭くて痛い。
それを教わりつつ、私は今日もあたふたドタバタと生きていく。

生き抜いてみせる。

彼女がいる、あちらの世界へ行くその日まで。


Tおばさん、本当にありがとう。出会えて関われて幸福でした。









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