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私に『能』を語ることができるのか。

先日の連休、私は人生で初めて『能』を見た。そう、我が国の伝統芸能である。

この人を夜中に見たら、1000%気絶する。


結論から言うと、私は『能』がとても気に入った。

「とても気に入る?」

我ながら、なんという上から目線か。
能の歴史は室町時代に始まり600年、対してこちらはたかだか52年

申し訳ござらん、重要無形文化財殿に対して無礼千万であった。
さらに若い頃「能面、キテるよね」と笑ってきた過去も私を責める。

写真だと今も笑える『トリオ THE 能面』 引用:能楽協会公式サイトより


でも今は心を入れ替え、己の未熟さを猛省しているので許してほしい。

そう、私は観劇して初めて気づいたのだ。
いかに自分の感性が荒削りだったか、ということを。


観劇のきっかけは今名古屋市で開催されている「やっとかめ文化祭DOORS」だった。

これは「芸どころ名古屋を気軽に体験してもらおう!」と、お座敷遊びや薬膳茶会などのイベントを気軽に楽しめる、ナイスな企画。

そのプログラムに『能楽』があり、なんと3,000円で観劇できるという。
中部地方在住の私は、大喜びで飛びついた。

実は今年に入って、ちょっと能に興味が湧いていたから。
ただ寝ちゃう自信が高かったので、高い観劇代を出すのは躊躇していた。

まさに千載一遇のチャンス!

そんなわけで秋晴れの美しい文化の日、私は名古屋能楽堂へと出かけていった。

名古屋城のお堀周りを経て能楽堂へ。左の黒い物体は石垣だ!


能とは関係ないけれど、綺麗な光を皆様に。


そして能楽堂。撮り忘れたので写真ACさんから拝借。


能楽堂には老若男女、多国籍な人々が群れ集っていた。すごい人気である。
私のテンションも、グッと上がる。

美しい能舞台。初心者も多そうでホッとする。

座して開演をしばし待ちつつ、私は演目のあらすじを熱心に読み込んだ。
だって・・・

『日本人でも理解できない日本語』が飛び交うに決まっているから!

そう怯えていたのだが、実際は少し違った。

いや、やっぱり飛び交っていたのは理解できない言葉だった。
だけど、「それでも構わない」ことがわかったのだ。


今回私が観劇したのは「土蜘蛛」という演目。
内容はこちらのサイトがわかりやすかった。ご興味ある方は、ぜひ。

私が観劇してまず驚いのたは、その動きである。
上半身は微動だにせず、下半身だけですーー・・・っと移動するのだ。
動く歩道に乗っている人を連想してもらえたら、近いかも。

そこへ「何を言っているのか少しも理解できない地謡」「独特なリズムの掛け声」「和楽器の音色」が合わさると、こちらの現実味がだんだん薄れ始める。

衣装がこれまた美しい「土蜘蛛」の一場面:観世流能楽師 林宗一郎氏のサイトより。


そう、夢(物語)と現(うつつ)が、すこ〜しずつ混ざっていくのだ。
水に墨汁を一滴垂らすと、じんわり広がり、混ざり合ってしまうように。

土蜘蛛(赤髪)が蜘蛛の糸で攻撃!この糸は和紙で作られている。

最初は物語を追っていたけれど、私はやがてそれを放棄した。

能はその「空間」に入り込んでしまうことが最も大切なことに感じたからだ。
細かい点を追わないことで、能という「幽玄」の一部になる。

温泉につかっているうちに、お湯と肌が一体になっちゃうように。
抽象画を眺めるときのように。


また、能の舞台には一切余分なものがなかった。

必要最小限の小道具、背景は常に「老松」一択、動きも台詞も厳選されている。
それを全体で受け止めていたら、逆に個々の美しさが際立ってきて驚いた。

これ、まさに引き算の美・・・能は日本の美の結晶なのかも。

禅や和歌、茶の湯に生花が脳裏に浮かんでは消えていく。

そして三島由紀夫が能の戯曲を書き、その重要性を説いていた意味が今更ながらら少しわかってきた・・・本物のインテリってすごいなと思いつつ・・・。


見終わった帰り道、私はある2つを思い出していた。

一つは歌舞伎について。思ったよりも共通点がなくて驚いたのだ。

私は歌舞伎が好きで、18歳の頃からずっと観劇を続けてきたので、そこが気になったのかもしれない。
まあ、10年ほど前に贔屓の役者さんが相次いで亡くなり(中村芝翫 (7代目)さん、中村勘三郎 (18代目)さん)、今は興味が薄れてしまったけれど。

でも考えたら歌舞伎って、江戸時代は大衆が熱狂する最先端の劇団だった。演目だって江戸時代のゴシップが元ネタ。それこそ週刊文春のスクープみたいな。
今は同じ伝統芸能でも、元々魅力のポイントが違っていたのだ。

でも小津安二郎の映画には、同じ匂いを感じた。

彼の魅力である、定点カメラ撮影による静止画のような映像。細部までこだわり尽くした配置、登場人物は抑揚の少ない話し方や表情を貫く。物語も静かに静かに進んでいくところ・・・・どれも能を連想させる。

そういえば小津監督の映画には時おり能観劇のシーンが入っていたっけ。例えば「晩春」や「お茶漬けの味」など。

私は「当時の良家では能観劇を普通にするのね〜」としか思っていなかったけど、もしかして小津監督は、能の要素を映画に取り入れていたのかも・・・・

小津さんの映画を見直して、その辺りをチェックしてみたいと思う。


今回は大いに刺激を受け、見に行って本当によかった。
けれどもし若い頃に見たら、私にはほとんど理解できなかったと思う。

刺激がなく、退屈で、何が言いたいかはっきりしないことに不満を覚えただろう。

でも今ならわかる。それは私の感性が未熟だったからにすぎない。
わかりやすくて刺激の強いものしか、受け止めることができなかった。

じゃあ今なぜ、といえば、それは経験により私の感性が変わってきたからだ。
歳と共に広がり、深まり、繊細さを感じ取る力が増しているのだ。

めがねと同じように、また一つ歳を重ねる楽しみを見つけてしまった!

来年はもっと能を見ようと思う。そして背景や歴史についても知っていこう。

そりゃ幽玄世界と一体になる方が大事だと思うけど、背景を知れば、より深くまで一つになることができるのだから。

今から来年がとても楽しみだ。


ところで皆様にお詫び申し上げたいことがある。

私は最初、「能観劇・面白レポ」を書こうと思い、タイトル画も選んだ。

でも途中からだんだん熱くなっちゃって、結果として前半と後半のトーンが全く違う記事になってしまった。

時だけが流れ、でもリカバリもうまくできず。
私にはまだ、能を語るには早かったかもしれない。つまり・・・

長いわりに一貫性がない記事でごめんなさい。

読んでくださったことに感謝を。
そして次回からは気をつけることを、ここに誓うで候。

翁も「遺憾に思う」と申しておるで候。



















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