見出し画像

ヤマタノオロチ考

古事記にも出てくるヤマタノオロチ.おそらく自分が初めて知ったのはドラえもんじゃないかと思います.単行本では22巻の『タイムマシンがなくなった!!』に登場します.

ドラえもん22巻 『タイムマシンがなくなった!!』 p.127

ここでドラえもんの言う「また」をのび太は「股」のことで,首と首の間の数だと解釈していますし,ドラえもんもそのように考えているのかもしれません.ここで「股」のことと解釈すれば問題を解決するのは1つしかなく,首を円周上に配置して1つ目と8つ目の頭の間も数えるしかありません.それか本当にのび太が言うように頭が9つあるのかというと,古事記によれば「八頭八尾の身あり」と八つの頭と八つのしっぽを持っているというように書いています.となれば「また」を解釈するしかないのですが,調べてみるとそもそも意味が違うという文献が多く出てきます.

デジタル大辞泉から「股」の意味を引用してみましょう.

一つのもとから二つ以上に分かれている所。また、そうなっているもの。

デジタル大辞泉「股」

表記ゆれはありますが,ヤマタノオロチのヤマタの部分を「八岐」と書くこともあります.この岐阜の岐という字は「わかれる」とかそんな意味です.そこから考えるとヤマタノオロチは根本から八本にわかれている怪物だといえます.

自分はこの「また」を「わかれた」という意味である説を推したいところです.とはいえ確証はないので真相はわかりません.というわけで以下でネットに上げられているいろんな説を考えていこうと思います.



「八」はたくさんを表す

結論から言うともちろん否定はできません.「八」という数字は末広がりということで縁起が良くという話はよく聞きますが,ネットの記事には八は最大の数だからたくさんを表すという考察が出てきます.

最大であれば「九」は一体どうなったのだと突っ込みたくなります.同じことを考えていらっしゃる論文がありました.

上古(645年の大化の改新まで,もしくは710年で終わる飛鳥時代まで)には八進数という概念があったらしく,八を最大数としてとらえるものの名残りがあるとも考えられる.しかし712年に古事記が成立した時期には和語として九を表す「こ」や十を表す「とお」が存在しており,既に十進数になっているのではないでしょうか.

ちょっと話はそれますが,「名残り」について注釈しておきます.概念が変わったにも関わらず昔のままで残り続けている概念は実際にあって例えば「人一倍」がそれにあたります.昔の日本は「一倍」で今の「二倍」の意味だったのですが,外国からtimesの概念が入ってきたことで一つずつずれてしまいました.明治の時代に入って政府から一倍を×1として使うという御触れが出されて今の概念になりました.しかし,「人一倍」という単語は今でも「普通の人より倍も」という意味で使われます.このような昔の概念が言葉として残っている事象はあり得るので,八を最大数として扱う概念が古事記成立時期にも残っていることは否定できないと考えます.

閑話休題.八を最大数としてとらえて八がたくさんを表しているのだと考えるのであれば,考えられるのは2通りです.

  • 頭が八つあってそのわかれているところが「たくさん」ある

  • 頭の数もまたの数も不確かだがたくさんある

実はヤマタノオロチの頭の数は八頭八尾と書いていますが,これは頭もしっぽもたくさんあるという意味だというのであれば筋は通ります.しかし1つ目はヤマタだけがたくさんで八頭八尾が数字の「八」というのはどうも自分は納得できないところがあります.「九」使えばええやん.

というわけで「八」がたくさんを表すというのであれば頭の数は不確かであるというのが自分の腑に落ちるところです.

そもそも頭の数は9つ

福井県や長野県など畿内から東の方に九頭竜の伝説があります.九頭竜は九個の頭を持つ竜の伝説なのですが,日本武尊が草薙の剣で倒したりそのまま飲みこまれたりいろいろな伝説があります.この九頭竜伝説がヤマタノオロチ伝説と同じであるという主張があります.

ただ古事記に書かれているヤマタノオロチ伝説は出雲国へ須佐之男命が討伐に行く話で西側の話になります.ここからは勝手な推測なので確証は全くないのですが,九頭竜の伝説は川の氾濫を治水によって治めたことをヤマタノオロチ伝説になぞらえて作られたものではないかと予想しています.これは須佐之男命から日本武尊と時代が下っていることと西国ではなく東国の話であることを根拠にしています.

日本における竜は川になぞらえられることが多く,川の氾濫を竜が暴れたことと同一視するような考えです.これに則ればヤマタノオロチも西国で川の氾濫があってそれを須佐之男命が治めた話なのかもしれませんし,西国にいる異教の民を征伐した話かもしれません.ここについては調べていないので完全にあてずっぽうで書いています.

このような考えなのでヤマタノオロチ=九頭竜であるという説は個人的には否定したいところです.どちらかというとヤマタノオロチがあって,その逸話が東国にてローカライズされた結果なのではないでしょうか.

八は一体何なのか

先ほど添付した吉原昭夫さんの「古事記に見られる数概念について」の論文に面白い話がありました.古事記に見られる八の起源は自身の分割によって生じたというのです.自身の分割とは自分の身体を「頭・胸・腹・陰・左手・右手・左足・右足」の8つに分けたというのです.なぜ身体を分割することが重要なのかというと,国生みの物語で神の身体の一部から五穀であったり神が生まれたりしていることがその重要さの根源となっています.

またこの順番は禊の順番と同一らしく,この禊の順から祭壇の八方と関連付けられて相乗効果により「八」が神聖化されたのではないかと考察されています.

こうして八が神聖化されるに至っただろうということなのですが,この考えをもとにすれば八咫烏であったり八百万だったりと,八を使ったものが多いことに納得がいきます.ヤマタノオロチは八岐大蛇と書くことがありますが,ここに八が使われているのも人間を超越した存在として示すのに八が使われているのではないかと解釈することもできるのではないでしょうか.



まとめ

自分の考えをまとめます.八を数字として考えるのであればヤマタノオロチの「マタ」は「分かれていること」を意味しているので八頭八尾の怪物として解釈するのが良い.一方で八という数字にあまり意味はなく,たくさんであったり人智を超越したものというようにとらえるのであれば,頭の数もしっぽの数もわからない

以上が自分の調べた結果の結論です.ヤマタノオロチは決してナナマタノオロチであってはいけないし,頭の数が9個というのも説得力に欠けたものじゃないかという結局「頭の数は9個と定めることのは説得力に欠ける」と言いたいだけのnoteになってしまったかもしれません.


そういうわけで一日二日くらいで調べて書いたヤマタノオロチ考でした.ここまで読んでくださってありがとうございました.

― 了 ―

pyocopel

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?