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ドキュメンタリー映画『ひいくんのあるく町』をあるいてみた話①

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私はこの光景を見ながら「あー、、、えっと。何しに来たんだっけ?」と思った。この写真は山梨県某所。盆地になっていて、360度 ”山” みたいな場所。私は訳あって東京からやって来たのだ。その 訳 がなんだったかよく思い出せなくて、その感覚が、東京に帰った今思うと、とても愛おしく大切なものだったと感じる。

私はとある打合せでそこへ行った。でもAI技術とやらが世界を支配している時代にわざわざ現地に行く必要はない。メールでも電話でも幾らでもやりようがある。ちょちょいのちょいである。予算も出ない。ほぼほぼ私的な旅行。でも現地に行って、そこで ”何か” を得たかったんだと思う。”聖地巡礼”とか、そんな感じに近いのだろうか。「そこに確かにある、居る」という実感。

私はそこで多種多様な感性を持つ方々と出会った。サラリーとして生活していたら絶対に出会わなかった人たち。都会ではたぶん出会わなかった人たち。どの人も、とても魅力的な人だった。決して都会に暮らす人たちに魅力がないわけではない。ただ、人で溢れる都会のような場所では、なかなかひとりひとりじっくりお話するという機会が少ない。「そっか。同じ人間でも、それぞれ違って、それでいいんだな。」という極々当たり前の感覚。いま流行りの多様性。「あぁ、こういうことか」と。。。

そんな魅力的な人たちと出逢える町でより魅力的な存在が「ひいくん」だった。だから青柳監督は映画の主人公に「ひいくん」を選んだのではないだろうか?

であるとするならば、私の中で合点がいくのである。何を言っているかというと、最初に企画を持ち込んだ際「え、?LGBTでひいくんですか?」という青柳監督の言葉に対して逆に戸惑っていた自分が居たからである。青柳監督はひいくんに何かしらの枠組みなんて持っていなかったのである。むしろ私がひいくんを勝手な枠組みで捉えていた事に気付いた。いや、ポスターがそんな感じだったのもあるんだけど。だとしても、どうして、青柳さんがそんな感覚を自然に持てているのか、そこが謎だったのである。それで、私は現地に行ってみたいと思った。それが、どうして私が「ひいくんのあるく町」を ”あるいてみたい” と思ったかの動機である。

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左が青柳拓監督
右がひいくん

私は日本という国において、特定の枠に配属された。ただ、そこに馴染めなかった。なんていうか、私はこの枠の中でしか生きていけないのだろうか?と感じた。もっと別の世界に行ってみたい。人として、人とお話をしたりお仕事をしたりしたい。「何言ってんの?」と思われるかもしれないが、本当にナチュラルに人として扱われたいのである。「何言ってんの?」ですよね。

私のこの感覚がドキュメンタリー映画「ひいくんのあるく町」に感情移入する理由である。「ひいくんのあるく町」の主人公「ひいくん」はこの町では人として人と接している。変わり者だけど、普通に町の人たちと触れあい、会話をし、みんなと笑い合っている。もちろん、ひいくんにはヘルプが必要な場面もある。でもヘルプが必要な状態って普通にみんなありますよね?歳をとったら何らかのヘルプが必要だし、若い人でもヘルプが必要になることもある。妊婦には席を譲りましょう。女性の安全を確保しましょう。普通の事である。”いっしょに生きる” ってそういうことではないだろうか。なんか今、そういった普通の事がしづらい空気がないだろうか。みんな生きづらさを感じていないだろうか。少なくとも私は感じている。だからこの作品が心の琴線に触れたのだと思う。皆に観てもらいたいと思ったのだと思う。みんなが「ひいくん」でみんなが「青柳さん」でしょう?っていう。

でもこの感覚や想いはなかなか人に伝わらない。何故か?自分で言うのもあれだが、私にそういう話術とか文章力がないからである。この文章も書くかどうか悩んだ。「でもやらないよりはましか。ひょっとしたら感覚の鋭い人が私のこの拙い文章や想いを綺麗な形にしてくれるかもしれない」というこの宇宙でぶっちぎりに他力本願な想いでこの文章を書いている。

この文章の他にもある事をしている。それはドキュメンタリー映画「ひいくんのあるく町」上映会&交流会である。この作品を誰かに観てもらい、できれば感想を共有し、あわよくば誰かがその体験をSNSや口コミで拡散してくれたりして、そのうち有名な人の耳に入り、その人がまた拡散して、遠い何処かの町や、孤独に感じている誰かの世界に「ひいくんのあるく町の人々」が宿ったらそんな嬉しい事はない。小さくて弱々しい願いではあるのだけど、みんなで強くしてくれ嬉しいな、そんな想いを込めた上映会&交流会です。

一方で、上映会はLGBTをテーマとした場で行う。”『LGBTと「ひいくんのあるく町」』てどう結びつくの?”という意見を沢山頂戴する。監督に言われた時の通り、実は私、そこには無自覚な所があり、言われて初めて ”おぉ、、、そうか” と思った。なんか私の中ではとても自然な流れではあったのだけど、外側から見たらそりゃそうか、唐突だよなとも思う。

LGBTと「ひいくんのあるく町」は「Ally(アライ)」という言葉で結びつく(と思っている)。「アライ」はLGBTコミュニティでは、「仲間」「理解者」「支援者」などの意味で使われている。最近では色々な企業で使われたりしており、似たような言葉では「LGBTフレンドリー」などという言葉がある。アライと何が違うのか?と思われるかもしれない。安心してほしい。私もよくわからない。いずれにしてもこれらの言葉にはLGBTと ”いっしょに生きていく” 事への意志が伝わってくる。もちろん、この言葉や概念が存在する意味については議論の余地がある。

人それぞれLGBT当事者との関り方への濃淡があるだろう。人それぞれ「ひいくん」とのかかわり方への濃淡があるだろう。人それぞれ「青柳さん」とのかかわり方への濃淡があるだろう。人それぞれ「あなた」とのかかわり方への濃淡があるだろう。あとどれだけ似たような文章を並べれば伝わるだろう?「ひいくんのあるく町」で映し出されている地理や人は限定的である。しかし、この映画で映し出している人と人との関り方は私達(あなた)の生活と何ら変わらないものである。要するに普遍性のある映画なのだ。

そんなようなことをみんなで考えてみませんか?6月22日、お待ちしておりますね。

次回は私が目撃した「ひいくんと青柳さんの関係」にフォーカスを当てて書きたいな。今日はこんな所です。

映画「ひいくんのあるく町」上映!あなたにとって「いっしょに生きる」の意味はなんですか?

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~終了しました~

2019/06/22 (土 )
池袋みらい館大明 14:00〜17:00
定員 30名(先着予約制)
参加費 1,500円
御予約
(link: https://www.kokuchpro.com/event/QAtheater))

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